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【小説】至極清閑な暮らし向き

出逢ったのは、余命3か月の銀行員と好奇心旺盛な小説家、そして協調性のないマッドサイエンティストだった ─── 余命宣告を受けた小曾根は、家族と別れ独りシェアハウスを探す。誰も入居していなかった物件を押さえ、入居日を迎えた。孤独を愛する者たちと、心に闇を抱えた現代人の奥底に眠る垢のような、わだかまりを共同リビングのテーブルに広げていく。

 本当の孤独を知っていますか。
 寂しさではなく、至高の孤独を。
 自分の時間をきっちり分けられる人こそ孤独を友とし我が物とした、人生の達人なのです。
 気高く凛として咲く、一輪挿しのように生きられたら素晴らしい。
 今日もそんな思いで筆を執りました。



 本当の孤独は、心の隅々まで命を行きわたらせ、満たしてくれる ───

 シェアハウスを申し込み、審査結果が来るのを心待ちにしていた小曽根 泰二郎こそね たいじろうは、SNSに書かれた審査結果を開いて安堵のため息をついた。
「ようやく、独りになれる。
 これで、誰にも迷惑をかけずに残りの人生を生きられる」
 静かな廊下でスマホを片手に握りしめ、ゆっくりとデスクに戻って行った。
 デスクには所狭しと書類が積まれ、パソコン画面が埋まるほどの付箋ふせんを張り付けてある。
 椅子に腰かけるや否や、電話が鳴った。
「小曽根さん、どこへ行ってたんだ。
 稟議りんぎが止まってるぞ」
 重要書類を入れるかごに束ができていた。
「すみません、すぐに回します」
 左肩に受話器を挟み、電話口の苛立いらだった声に謝る。
 右手で象牙の認印を摘まみ上げ、朱肉へ押し付けるとデスクに並べた書類に叩きつけるように押していく。
「部長、取引先からの郵便です」
 個人名が入った郵便は、自分で開けるしかない。
 近頃は電子化が進んだおかげで減ったとは言え、紙の方が丁寧だと思い込んでいるやからは多い。
 表題だけ読んで中身を推測して、不要ならすぐに段ボール箱へ投げ込む。
 書類の山がデスクから消える日など永遠に来ないだろう。
 少なくとも自分が生きている間は ───
 人がひっきりなしに出入りし、走り回る部下たちが他人ごとのようにぼんやりと見えた刹那せつな、人生が走馬灯そうまとうのように脳裏をよぎった。
 仕事に打ち込んでいれば、ひととき忘れられるのだが集中力が切れると首筋にひやりと憂鬱ゆううつが降りてくる。
 何度も歯を食いしばって自分を奮い立たせてきたが、重くなった胃がキリキリと痛みだすとどうにもならなくなる。
 呻き声を上げる小曽根を、何人かの部下が認め休憩室へ運び込んだ。

 灰色のデスクの上にパソコンが一つ。
 壁にはスチールの小さな本棚があり、窓を半分ほどさえぎり昼間でも薄暗い。
 物理学だの、数学だのといった難しい本が床に無造作に積み重ねられていた。
「先生、礒見いそみ 先生」
 入口のドアを開けた男が、モニタを食い入るように凝視する女を呼んだ。
 だが、声が聞き取れなかったのかキーボードをシャカシャカと打つ音がまた響く。
 仕方がないので部屋に入った男は、女の前にてのひらを差し出してさえぎった。
 ギロリとにらむ女の形相に、思わずたじろいだ男が、
「先生が悪いのですよ。
 さっきからお呼びしているのに、答えていただけないから」
「で、何か用か。
 私が暇そうに見えるのか。
 無駄にする時間など一分たりとも持ち合わせていない」
「今度の学会はいかがなさいますか」
「お前が行って適当に発表してこい」
 ふんと鼻を鳴らしてモニタに視線を戻した。
「一度くらい顔を出してください。
 僕が怒られてしまいます」
「お前の仕事だ。
 私はとにかく行かない」
 男が缶コーヒーを書類の隙間に置くと、かたわらのスツールに腰かけた。
 深く息を吸い、ため息を一つ吐くと床に落ちる窓の光に視線を落とした。
「太陽の公転速度と、星の動きを比べるとどちらが速いと思う」
 礒見いそみ かおりは、無駄な脂肪の一切を削ぎ落したようなとがった顎をしゃくり、窓を指した。
 男は逡巡しゅんじゅんした。
 彼女の問いには、いつも深い意図がある。
 床に映った四角い光は、ほとんど分からないほどゆっくり動いているはずだ。
 印をつけて、30分ほど経ってからもう一度見ると動きを認知できるだろう。
「太陽の方が速いのではないでしょうか」
 迷いながらも言い切った男に、ふんと鼻を鳴らして彼女が言った。
「答えは、どちらも動いていない、だ。
 一般相対性理論も知らないのか」

 体調を崩した小曽根を、部下が車に乗せて走らせた。
「病院へ行った方が良いのではありませんか。
 顔色が悪いですよ」
 激務に追われる銀行員は、車くらいにしか金をかける物がない。
 レクサスの後部座席でぐったりとする彼は、ほうけたように外を眺めていた。
「思えば、仕事しかしてこなかったな。
 俺の人生は何だったのだろう ───」
 モニタに映し出された後部の画像が、後ろへと流れていく。
 アラウンドビューに切り替えると、車を上から見下ろしたような映像になる。
 どんな仕組みなのだろう、と改めて考えるが素人には分からない。
 コンピュータが生活のあらゆる場面に組み込まれ、ブラックボックス化していく現代においても、人生の価値は自分で探さなくてはならない。
 分からない物に囲まれて、目先の仕事に追われる人生だった。
 不意に無力感が心を支配し始める。
「もう、疲れたな」
「ご自宅でゆっくり休んでください」
 引っ越したばかりのシェアハウスの玄関まで、肩を貸してくれた部下に礼を言い、リビングの椅子に腰かけた。
 ふう、と息をつきコップ一杯の水を飲む。
 体調は日を追うごとに悪くなっていく。
 自分には仕事しかない。
 ネガティブな意味だけではない。
 人生に何も残らないわけではない。
 数えきれないほどの企業を破綻はたんに追い込んだが、救った企業もまた数えきれない。
 星の数ほどの人と知り合い、別れてきた。
 まだ陽は高いが、夜空の星が天井の向こうに見える気がした。
 何とか身を起こし、着替えるとえ付けたばかりのベッドに入り目を閉じた。
 隣りの部屋で、時々物音がした。
 日中も部屋にこもって仕事をしている人たちがいる。
 自分にも孤独を選ぶ機会が、人生のどこかであっただろうか。
 つい弱気が顔をのぞかせ、自嘲じちょうに口元がゆがむ。
 そうだ、俺には銀行以外に道はなかった。

 街の喧騒の中に身を置くと、歩いているだけで大量の情報を得られる。
 カフェでパソコンに向かい創作にふける時間を愛し、行き詰るとまた歩く。
 そんな生活も近頃はルーティーンワークになっていた。
 エッセイを書くために調べ物をしていたとき、ふと目に留まった言葉が「シェアハウス」だった。
「なるほど。
 特定の人を観察して理解するには、一緒に住むのが一番か ───」
 あごを右手の甲に乗せ、テーブルにひじを突いたポーズで、うなりながら瞑目めいもくした。
 早速、駅に向かって歩いて行くと不動産屋が何件か目についた。
 間取り図が、所狭しと貼りだされている中に、シェアハウスを扱う業者を見つけるまでに、そう時間はかからなかった。
「小説を書いているのですが、良い物件を探しに来ました」
 店員はカウンター越しにこちらをジロジロと値踏みするように凝視する。
「それでは、静かなお部屋がよろしいですかね」
 などと言うが、小説家だから静かに仕事をしたいと決めつけるのもどうかと思う。
「違います。
 シェアハウスに興味がありまして」
 少しずり落ちた眼鏡を指で押し上げ、ひたいしわをよせた店員が、
「ご予算はいくらくらいですか」
 と金の話に切り替えた。
 シェアハウスをする客は、金がなくて仕方なく選択することが多いのだろう。
 その事情は分かるが、創作に活かすためなどと本当のことでも言って得はないだろう。
 貧乏をごまかして、きれいごとを言っているようにしか聞こえない。
「はあ、5万円くらいで狭い部屋でもあればと ───」
 と言うと、いくつか見つくろってきてくれた。
 間取り図を見て、目に留まった物件があった。
「これは ───」
 廊下があって、部屋が分断されている。
 ある程度の静寂があって、共同スペースでたまに人と顔を合わせる感じだろうか。
「ちょっと、注文がつく物件なのですよ」
 店員は顔をしかめ、髪を掻き上げた。
「病気の方が入居されまして ───」
 深刻な状況らしいのだが、異変があったらすぐに通報してくれる人がいた方が安心だ、という主旨のことを言われた。
「お家賃は、勉強させていただきますので日中一緒にいてくださるだけでも。
 もしよろしければですが」
 壁のチラシに視線を移し、しばし逡巡しゅんじゅんした。
 そして軽くひざを打った。

 夕飯時になっても、2人の住人は姿を現さない。
 白い壁紙が室内を明るく感じさせるリビングには、テーブルとイス、電子レンジと最低限の皿、洗い物を入れるかごがあるくらいである。
 共用だから、趣向のないこざっぱりした家具と調理器具のみである。
 冷蔵庫は自由に使って良いが、できるだけ名前を書くように言われている。
 調味料は供託金から買うシステムである。
 持ち込んだミキサーのふたを開け、米とグラノーラを入れるとボタンを押した。
 甲高い機械音がすると、あっという間にベージュ色のドロッとした液体に変わる。
 消化器が弱っているので、固形物は受け付けなくなった。
「あと3か月。
 持っても半年の命です」
 医者の言葉は非情である。
 そして正しい。
 肌のつやがすっかりなくなって、しなびた指先を伸ばすと、マグカップを茶箪笥ちゃだんすから取り出した。
 仕事中は気を張っていられるが、独りになると身体の力が抜けてしまう。
 思えばずっと気を張って生きてきた。
 金を扱う仕事は、人の裏切りを扱う仕事でもある。
 あざむき、頼られてまた裏切る。
 こうして脱力しているときには、自分に正直でいられる。
 人生とは、皮肉なものである。
 自分自身の存在が、頼りなく揺らぎ始めたときに気づいた。
 肩の力を抜いてもいいのだと。
「小曽根さん、ですよね」
 不意に背後から声をかけられた。
 30代と思われる男は、気さくな笑みを浮かべて向かい側に腰かけた。
「身体のお加減はいかがですか。
 事情を知っていて越してきたのですから、気兼ねなく何でも言ってください」
 男は名刺を差し出した。
 「作家 津福 健一朗つぶく けんいちろう」とあった。
「ちょっと待ってください。
 福津さんって小説家の ───」
「ご存じですか。
 あまり有名ではありませんけどね」
 目を丸くして、小曽根は彼の顔を凝視した。
 テレビでも何度か見た顔だった。

 小説家の津福と、小曽根の仕事や生い立ちなど込み入った話をした後、
「では、お体に障りますから」
 と話を切り上げて行った。
 家族のことを、生活から切り離そうとして引っ越しを決断した。
 病気を患ってからも、特に何も変わらなかった。
 生活のすべてを仕事中心にしてきた自分が、見返りを求めていたわけではないが結局家族に何かを期待していたのかも知れない。
 その時、スマホが振動した。
「父さん、大変だ」
 上ずった声で、通話口からいきなり訴えた。
「会社の金を使い込んだのがバレたんだ。
 このままじゃあ、俺クビになっちまうよ」
 裏返った声だった。
真志しんじか、今どこにいる」
 テーブルに片手を突いて身を起こした。
 スピーカーから車の音や人の話し声が聞こえる。
 外からなのだろう。
「このままじゃ、俺警察に捕まっちゃうよ」
「どうすればいい」
「今すぐ500万用意できれば、何とかなるかも知れない」
 口座をメモに書き、
「ここへ振り込めば何とかなるのか。
 父さんの伝手つてで話してやろうか」
 答えはなかった。
「ちょっと待った」
 スマホをひったくると同時に、
「お前は誰だ、こちらからかけ直すから一旦切るぞ」
 荒っぽく怒鳴りつけ、通話を切ってしまった。
 口を半開きにした小曽根は、その女の横顔を呆然ぼうぜんと見つめた。
「あの、あなたは誰ですか」
 蚊の鳴くような声しか出なかったから、聞こえなかったのか女は無言でスマホを突き返した。
 鼻をふんと鳴らし、
「ほら、息子さんにかけ直してみなさい。
 こんなの常識だろうが」
 最後は𠮟りつけるように声を荒げた。
 息子は、きょとんとして父親の身体のことを聞いてきた。
 勿論もちろん金を使い込んだなど、心当たりがないようだった。

「私は礒見いそみ かおりだ。
 夜遅くに大声を出されては迷惑だから様子を見に来たら、このザマだ」
 頬骨の影がくっきりと見える、やせ細った輪郭は病人とそう変わらない。
 ギョロリとした目を小刻みに動かし、決して目を合わせようとはしない。
「えっ、失礼ですが礒見さんはあの、がんの特効薬を開発したとニュースに出ていた ───」
 眉間の縦じわを深くして、テーブルの中心をにらみながら言った。
「新聞か。
 テキトーなことを言うな。
 分子標的薬及び遺伝子組み換え技術を発展させた新薬を開発しているだけだ」
 床を小刻みに踏みつけ、くるりと背を向けると廊下に出ようとした。
「見たところ、末期癌のようだな。
 余命3か月というところか。
 医者もさじを投げるだろう」
 小曽根の顔に影が差した。
 ピタリと足を止めた彼女は、天井に視線を向けて言った。
「明日、一緒に研究室へ来い。
 新薬の実験台にしてやる」
 燃えるような目をして、威圧感を残し部屋へと戻って行った。
「いやあ、何事だい」
 入れ違いに、津福が向かいの椅子に腰かけた。
 こちらも不健康な顔をしている。
 髪はボサボサ、目の下に少しクマができている。
「へえ、新薬のねえ ───」
 夜は部屋に籠っている彼女のことを、津福もあまり知らなかったようだ。
「息子さんは、何をしているんですか」
 相変わらず、他人のことをあれこれ知りたがる彼は質問を続けた。
「商社に勤めていまして、私に金をせびるようなことはないのです。
 礒見さんに言われるまで、詐欺さぎに気づかなかった自分が恥ずかしい」
 頭をいた小曽根は、キッチンでコップに水をくんで一口含んだ。
「なぜ、家族と離れて暮らすのですか ───」
 静かに尋ねた。
「最期くらい、自分と向き合いたいと思ったのです」

 銀行の舞台裏は、毎日が戦いである。
 稟議に上がる書類の裏側に、家族を抱えた男たちの姿がちらつく。
 常務になった小曽根の顔には、沢山たくさんの苦悩が刻まれている。
 最近は、ベンチャーの与信判断が増えてきた。
 DX化の波は、農業のような第一次産業にこそ色濃く表れ大規模化している。
 個人でやっていても、それだけで食っていけるわけではない。
 だから土地を手放し、格安で買い集めた者が企業して最新の農機に投資するのである。
 銀行内では、丁寧に調査を重ねて審査をする小曽根の評価が上がっていた。
「常務、またご自分で調査に出られるのですか」
 稟議にまとめた仕事を、一から調べ直さないと気が済まない彼に、部下は渋い顔をする。
 笑って誤魔化ごまかしながら、公用車を自分で運転して出かけていくのだった。

「礒見さん、お陰様でこうやって人生の続編を楽しむことができました。
 本当にありがとうございます」
 深々と腰を折って礼を言う小曽根に、彼女は一瞥いちべつくれるだけで、ふんと鼻を鳴らして背を向けた。
「すっかり顔色が良くなって、き物がとれたようですよ」
 津福が屈託なく笑った。
「新しいビジネスと向き合うようにしたら、銀行の仕事も面白く思えてきたのですよ。
 命に執着しゅうちゃくがなくなったら、生き方の間違いに気づきました」
 荷物をまとめた小曽根は、シェアハウスを後にして出て行った。
 ベッドの他は、ほとんど家具らしいものもなかった。
 瞑目めいもくして、大きく息を吐いた津福は、
「新薬開発、という仕事は人の役に立つ、やりがいのある仕事ですね」
 廊下ですれ違おうとした礒見に言った。
 彼女は、またふんと鼻を鳴らした。
「人の役に立とうが立つまいが、私には関係ない ───」
 パタパタと細かいスリッパの音が、奥の部屋へと消えて行った。
「さてと、僕もしずかに仕事をするとしますか ───」
 津福の部屋には、ノートパソコンのキーボードを叩く音だけが響いていた。
 時折手を止め、唸ってはまた打ち込む。
 一定のリズムで心臓が脈打つように、新たな世界が紡ぎ出されていった。

この物語はフィクションです


「利益」をもたらすコンテンツは、すぐに廃れます。 不況、インフレ、円安などの経済不安から、短期的な利益を求める風潮があっても、真実は変わりません。 人の心を動かすのは「物語」以外にありません。 心を打つ物語を発信する。 時代が求めるのは、イノベーティブなブレークスルーです。