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近代文学者としての福田恆存

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 最近、福田恆存を読んでいる。福田恆存は面白い。
 
 福田は「保守主義者」のレッテルを貼られているが、実際、どのあたりが保守主義者なのか、判然としない。逆に言うと、今の「自称保守」はあまりにもわかり易すぎる。
 
 私は現代の政治党派が、自分達の都合で小林秀雄や福田恆存を担ぎ上げるのに嫌悪感を抱いている。小林や福田が生きていればまず間違いなく全面的に嫌悪したであろう人々が、小林や福田を担いで騒いでいる。
 
 しかし歴史とはそういうもので、それは小林も福田もよくわかっていたはずだ。死んだ天才を生きている凡人が自分達の都合で担ぎ上げる。時期が去ればどこかへ行ってしまう。また、これら凡才は、同時代に小林や福田がいたとしても、決してそうした人を理解できないし、おそらくは無視した事だろう。これは歴史においてずっと繰り広げられてきた事だ。
 
 アマゾンの福田恆存の本のレビューを見ていたら「これこそが保守主義の真髄だ!」みたいな文言が目に入ったが、実際、どのあたりが保守主義の真髄なのか、書いていなかった。今の自称保守が福田恆存をまともに読むのは到底無理だと思う。
 
 しかし、他のアマゾンレビューには、福田恆存の根底にあった思想は「自然」だった、という事が書いてあった。このレビュアーは賢い人なのだろう。私も、おそらくはそうだろう、と思った。
 
 それで、一応、「自然=伝統」といったラインで福田の保守主義は考える事ができる。しかし、福田の言う自然とは何か、伝統とは何か、を考えていくと難しい。
 
 もっと言うと、仮にある地点で福田が、決定的な彼の思想を打ち出していても、「考える人」である福田恆存が、もっとその先も歩いていったなら、彼が以前に打ち出していた思想を否定する可能性はある。「考える人」というのはそういうものだ。
 
 現代は物事を簡潔にわかろうとする人が多すぎる。「福田恆存とは〇〇」「小林秀雄とは〇〇」という定義を一応作る事はできる。彼らはすでに死んでいるし、死んでいる以上、死ぬまで歩いた歩みが彼らのすべてであるからだ。その歩みから彼らの全体像を割り出す事は可能だ。
 
 しかし、もし、彼らがもっと先に歩いていったら、と考えるのは無意味ではない。というか、それこそが思想の大切な部分ではないか。不思議に聞こえるかもしれないが、小林秀雄的な思考を突き進む事によって小林秀雄を否定する、福田恆存的なものを突き進む事によって福田恆存を否定する、そういう事は可能であるし、私は、それは小林秀雄にとっても福田恆存にとっても本望な事であると思う。
 
 こうした事態をゲーテは「エンテレヒー」と呼んでいた。ゲーテは近代後期の人だから、キリスト教的な純粋な信仰を信じていなかったが、前進していく精神は、人間の個別的な生死を越えて進んでいくと信じていた。
 
 私は、そうすべきだ、と思う。そしてその事、小林秀雄的である事によって小林秀雄を否定し、先へ進む、といったような事、そうした事は人間精神が自己を試してみなければならない事であって、単純な肯定ー批判を乗り越えた事柄であろう。もっとも、こんな事を言っても、全てを白黒で分けたがる党派人間には理解できないだろうが。
 
 ※
 福田恆存の「自然」の概念はおそらくは、ロレンスの「黙示録論」から影響されたのだろう。
 
 ロレンスの「黙示録論」は、キリスト教のヨハネ黙示録を痛烈に批判した本だ。ロレンスは全般的にキリスト教を強烈な批判している。そしてキリスト教以前の、異教的なもの、古代的なもの、自然なものを賛美している。
 
 それがロレンスの独特の性の賛美へと結びついていく。ロレンスの視点は、どちらかと言うとニーチェ的である。ただニーチェは、「超人」という自我主義に結びついたのに対して、ロレンスは「恋愛」という人と人との関係に希望を見出そうとした。
 
 こう書くと、自我を重視する思想よりも、人との関係を重んじるロレンスの方が「良い」と読者は思われるかもしれないが、強調しておきたいのは、ニーチェもロレンスも、日常の通俗的なレベルでの和解・救済を求めているわけではない、という事である。
 
 ロレンスの「黙示録論」はひどく辛い本だが、これは、簡潔に言えば、神なき世界において、神に相当する絶対性をどこに見出そうかと模索した本である。同じ事を近代の哲学者や作家はみんなやっている。
 
 しかしそれらすべては現代においてはもはや、過去の淡い夢となっている。偉大な近代人が限界まで苦悩し、首を吊ってみたり、神に唾を吐いてみたり、自らが神になってみたり(それは幻想に終わったが)、といった様々な滑稽なドラマは今や何を意味しているのかさっぱりわからない。全ては一元化され、平べったい大衆が全てとなり、それは世界中、物質的な繋がりを持って、金とメディアで全ての価値は計られる事になった。
 
 近代の、新たな神を探る試みは、もう終わった。わかりやすく言えば「金」が神なわけだ。
 
 それにしても、今、保守を自称する人々はなんと幸福そうで、楽しそうだろう。それは苦渋する福田恆存や小林秀雄の表情となんと遠い事だろう。人々はもう考える必要もなければ、闘う必要もない。彼らは積極的に屈服する。彼らは自分達は戦っていると思っているが、彼らの全ては敗北から始まっている。だがその敗北を彼らが意識する事は決してない。彼らの精神はその意識に決して耐えられないだろうから。
 
 ※
 ロレンスはキリスト教を迂回して、古代的、異教的な自然に慰めを見出そうとした。その思想に福田恆存はある程度、感動したのだろう。
 
 福田恆存は保守主義者と呼ばれているが、現代の保守とは全く違う。「近代の宿命」という文章で福田は次のように書いている。
 
 「天皇の神聖化とはこの空虚感を埋めるためにもちだされた偶像以外のなにものでもない。」
 
 「この空虚感」というのは、日本が近代化した際に、西欧における神に類するものが何もないという事から生じた空虚感の事だ。この空虚感を埋める為に、天皇が西欧の神の代替物として置かれた。
 
 この分析は見事であると共に、当然なものだ。しかし、今の保守派は決してそういう分析をしないだろう。自分達の祈願の対象が崩れてしまうからだ。
 
 信仰と理性というのは基本的には水と油の関係である。信仰を持つとは、理性が止まるポイントである。今の人々は自分達は理性的だと信じているが、それぞれ適当なところで理性を止めているのであって、それを徹底的に遂行させようとする人はまずいない。
 
 それどころか、そういう人間がいたら、まわりから寄ってたかって嫌がらせを受けるだろう。理性を遂行し、分析を徹底する事は、人々の偶像を破壊してしまう行為だと人々もうっすら理解しているから。
 
 福田恆存は「近代の宿命」の中で「天皇制の虚妄なることを立証したいのである」とさえ言っている。今の保守からは怒られるような言葉だ。
 
 福田は天皇制を一方的に批判しているわけではない。この文章の前には「日本の近代がさほど混乱を惹起せずにすんだのは天皇制の支えがあったからにほかならぬ」と書いている。だから福田は天皇制を評価しているが、ただ、だからといって崇拝対象として評価しているわけではない。彼は、それが近代国家を成立させる為にやむなく導入された制度だとみなしている。
 
 このあたりは森鴎外も「かのように」という小説で書いている。存在しないが、あたかも存在する「かのように」扱う事、そうせざるを得なかった明治人の苦渋がそこには溢れている。それはある程度まで福田と同じ視点だろう。
 
 ※
 福田は「近代の宿命」で、西欧の近代的な様々なものは、明確にキリスト教の遺産を活用したものだと強調している。近代化、近代と言うが、それは西欧の長い伝統あって可能な事だった。
 
 それに対して、日本という国はキリスト教を経過せず近代化しようとしているので、絶望しかない。それが「近代の宿命」が言おうとしている事だ。
 
 ネット識者は「解決策を出さず、問題点だけあげつらう文章は意味がない」と訳知り顔で言うかもしれない。私はこの手の人間が嫌いだが、福田は、他人事として日本の絶望を語っているわけではない。むしろ、福田恆存が福田恆存なのは、彼自身、積極的にその絶望の担い手ならんとしたからだろう。
 
 そしてこの事は、他の日本近代文学の「文豪」らも同じだった。ある者はその絶望に疲れて自殺したり、夭折したり、逃避して自分の世界に閉じこもったりしたが、担わざるを得ない必然的な絶望が存した事、これが彼らを偉大にもしたし、彼らを殺しもしたのだった。
 
 そういう意味では、福田はオーソドックスな「日本近代の文学者」だった。私は、福田や小林を右と見て、丸山眞男を左と見て、左(丸山)を下げ、右(小林・福田)を上げるという政治的操作に同意できない。西欧的なものが流れ込んできた時、いかにして、自分達が自立性を持つか、自分達のアイデンティティは何か、という根底的な問題から発生したのが、福田であり、小林であり、丸山だった。
 
 それが小林秀雄の場合は、日本人文学者の自分がいかに、ランボーやドストエフスキーといった西欧の文学者の魂にまで近づけるかという試みとなった。小林秀雄という一個の魂が、文学作品から抽象される対象の魂と出会い、自己と他者が融和されるまで、徹底的に作品を読み込み、その出会いを言語で表現する事。それが小林がやろうとした事だった。
 
 丸山眞男の場合は、逆に、西欧近代的な、社会学的、歴史学的視線を徹底的に学んだ人間が、その視線で逆に日本の歴史を見ていったら一体どうなるのか。それが丸山の課題だったと私は思う。
 
 丸山の日本の歴史に対する叙述を読むと、私には丸山が持っている解析方法があまりに立派すぎて、日本の歴史が逆にその解析方法に耐えられていないように感じる。西欧から学んだ、政治や歴史を切る視点を日本の過去に応用すると、日本の過去は西欧のような豊かな意味を含んでいないーーそれ故に、丸山の文章は抽象性が目立ってしまう。私にはそんな風に感じられる。
 
 それでは福田恆存はどうだったか。私はそれがはっきり言えるほど福田を読んでいないが、以下には勝手な感想を記して、この稿は閉じる事にしたい。
 
 ※
 先にも言ったように、福田は天皇制のようなわかりやすいアイコンを信奉していない。しかし、福田は、「葬式」のようなありふれた、日常的な伝統を高く評価している。
 
 そしてこれは、自然のリズムに沿ったものだと理解されている。葬式が何故、自然のリズムに沿うのか。それは生と死のリズム、すなわち四季、つまり冬という死がやってきても、また春という生がやってくるというような感覚である。
 
 福田が礼賛する自然とはそういうもので、私は福田を通じて、始めてそうした自然観に出会った。ただ、これは「日本の自然」にだけ依拠するものではない。
 
 福田は例えば、キリスト教の背後に「自然」を見る。キリストの死と復活は、その背後に異教的な、冬から春にかけての死と再生の物語がある。学術的にはどうなっているか知らないが、そう言われてみればそうだろう、いや、間違いなくそうだろう、と私は感じた。
 
 福田は葬式の「通夜」に注目する。通夜において、酒を飲んで騒ぐのは死者に対する冒涜に見えるが、本当はそうではない、これは死から生へと移っていく方途を現している。そして四十九日とか、何回忌といったものを経過する事によって、徐々に悲しみが癒えていく。これらは死から生へと移っていく自然のリズムを模倣したものだ。
 
 私は福田の葬式に対する認識が学問的に正しいかどうかという事は気にしていない。ただ、福田が自然のリズムというものに注目している事が大切だと思う。
 
 何故、福田が自然に注目したか。私なりに考えると、次のようになる。
 
 自然のリズムを模倣する人間の生活、死から生、生から死への移行が季節の移り変わりであるような生活、そうしたものは、二十四時間、一年中、一定の快適な空間を保証しようとする都市の暮らしとは反対のものである。
 
 都市とは、人間の自意識を模倣したものに他ならない。私はそう考える。なぜなら、人間の自己意識とは、二十四時間、一定のものとして回り続け、世界という環境から身を離し、常に己自身でいたいと願うからだ。
 
 ハムレットにおける自意識はいつもぶつぶつと呟いている。彼は、肉体を排除し、純然たる意識になりたい存在だ。純然たる意識とは、世界から離れて世界や自己を認識する者である。人間関係は煩わしい、また、ハムレットに復讐の宿命を課す、世界の秩序も呪わしい。彼はあらゆる義務や束縛から自由でありたい。そして自由に感じ、考え続けていたいのである。それが自意識というものだ。
 
 この自意識が近代に特に問題になった。半端な自意識は、自らの知性に酔っていればそれでいい。その程度のインテリはたくさんいる。彼らには究極的な問題は降ってこない。
 
 だが、極限的な自意識の人間にとってはどうであろうか。この自意識の持ち主は、自我というものに束縛され、自我の紡ぎ出す思考、感覚から抜け出られない。そこに苦しみを感じる。だからこそ、ラスコーリニコフは一歩を踏み出すのである。たとえそれが思考以上の、自我以上の地獄だとわかっていても彼は一歩を踏み出す。彼は生きざるを得ないからーーというより、人として死ななければならないから、と言ったほうがいいかもしれない。
 
 自己意識が最も恐れるのは「死」である。自己意識は回転し続ける黒い球体のようなもので、色彩を持たず、リズムも持たず、ただ自己を反芻し続ける。この自己意識は、世界の全てのものを自己の外部に見て、それらを評価、吟味する事によって自己から遠ざけるが、自己を消滅させる死だけはどうにもできない。
 
 自己意識は、自然的なリズムを持たず、死から生、生から死へといった運動を自らに許す事ができない。自然にとって死は、生を生む為の一つの運動かもしれないが、自己意識にとって死は、絶対=永遠でありたい自己を消失させる恐怖でしかない。
 
 この自己意識というものは、大まかには西欧近代と関連付けられる。自己意識は西欧からやってきたものであり、そこから自我というものが強く意識される事となった。この自我は甘い陶酔をもたらしたが、同時に自己を自己に束縛するという結果にもなった。
 
 ※
 ここまで書いてきて、やっと結論を言えるようだ。要するに、福田恆存がロレンスを経由して、「自然」に触れようとしたのは、自己意識という近代的な無限牢獄に対する処方箋だったのではないか、という事だ。
 
 そして、この自己意識に対抗しようとする意識は、死への愛好という形でも現れる。自己意識、自我は何より、自らの生への執着から発したものだ。自我にとって心地よい環境を作り、世界の激動を彼岸に見て、自分だけはいつも自分であり、自己である事に酔っていたいーーこの傾向に対する対決として、自らを死なしめるという発想が一つにはある。
 
 死に意味をもたらすのは基本的には「宗教」であるが、理性の強い福田には今更、宗教には帰れなかった。そこで、死から生、生から死へと移行していく自然のリズムが着目され、いわば、死そのものを死なしめる為に、彼は自然に帰ろうとしたのではないか。
 
 自然のリズムを体現している人間として、そこから、民衆・伝統といったものが現れてくる。それらは生と死を溶け込ませた一つの生き方である。そうしたものに着目する事で、福田は自意識の問題を越えようとしたのではないか。
 
 物理的に考えるなら、自意識とは都市の問題であろう。反対に、自然のリズムを体現した民衆とは、農業を基調とした生の問題であろう。人類は長い間、農業を基礎として生きてきたが、そこでは、人々の生と死は季節のように流れていくものとみなされた。
 
 冬を春に変える事はできないし、その逆も不可能だ。そこでは自然は人間にとって「運命」として現れ、人々はその運命の結節点として、季節ごとの祭儀を催して生きていた。
 
 しかしそうして自然の中に生きていた人間が、自然の秘宝を読解し、自らの力と化した時、世界は変わった。人は科学技術によって世界を自分達の望む環境にしていった。運命は消え、自然のリズムは消え、むき出しの自我が現れた。今度は、それぞれの自我が敵となった。欲望は一つ叶えられると、また新たな別の欲望を生んだ。
 
 二十世紀の二つの大戦は、人間が世界をコントロール可能だという事、それ事態が、コントロール不可能な事態となって現れたものだった。それは例えば、車の渋滞であるとか、雑踏が混み合いすぎて人々がパニックになり、圧死したりするような事柄と同じだ。
 
 これらは、人間の自由な欲望がそれぞれにぶつかりあって、人間が"自由な故に"人間にとって不自由な障害となって現れる、そうした例である。
 
 近代化はそうした問題を生んでおり、病める近代人、インテリゲンチャにとっては、自意識それ自体が問題となった。福田の保守主義というのにもし意味があるとすれば、私としてはあくまでも近代的な問題の延長としての意味だと考えたい。
 
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 自意識の解決として、自然=伝統=宿命というものの模索が、福田の思想的道程となった。私はそう考えている。
 
 その歩みが正当であるかどうか、それは私にはわからない。ただ、私には近代において存在していた問題が現代には全然存在しないかのように見えるという事態の方が、かえって不思議だ。
 
 何故問題が消えたかと言うと、先に言ったように、神に変わるものが現れたからだ。メディア・資本主義・大衆といったものが一体になり、その馬鹿騒ぎと一致する事。これが新たな神となった。
 
 しかし、私は少し、後戻りして、福田恆存とキリスト教の問題を考えたい。福田を読んでいて感じたのが、キリスト教についての言及が非常に多い、という事だ。
 
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 福田の文章にはキリスト教がよく出てくる。私は、福田が「保守主義」と言う時、キリスト教へ回帰する西欧の保守主義者がどこかで頭に浮かんでいたのではないかと思う。
 
 福田が影響を受けたT・S・エリオットのように、正当な保守主義とはキリスト教の伝統に帰る事だと考えられていたのではないか。しかしそこからしても、日本にはそのように明確に帰るべき宗教は存在しない。それ故に帰るべき場所を求める事それ自体が福田の思想的課題となった。
 
 私は何よりも福田のシェイクスピア論に感心している。福田のシェイクスピア論はある意味では、小林秀雄のドストエフスキー論を"越えた"と言ってもいいのではないか、とも考えている。
 
 というのは、小林のドストエフスキー論は、ドストエフスキーの自意識の問題には限りなく肉薄したのだが、その底にある「宗教」には触れる事ができなかった。ここで言う「宗教」とは我々が思うような観念としての宗教とは違い、土着のロシアの農民が持っている、生活に根付いたキリスト教観を指している。インテリが知識や思想で捉えるキリスト教とは違う。
 
 福田のシェイクスピア論は、そういう意味ではシェイクスピアの自我(自意識)の問題の底にある宗教の問題に触れる事ができた。それこそが、シェイクスピアの作品の構成を健全ならしめている。そう福田は見ていた。
 
 それと比べた時、例えば劇「ハムレット」の、主人公ハムレットの近代性(自意識)を引き伸ばしたロマン派は、シェイクスピアのような毅然たる作品の枠組み・構成を作る事ができなかった。これは音楽においては、ベートーヴェン以降、全体のかっちりとした枠組みを作る事が不可能になり、それぞれの心が無限に、微細に、延々と終結なく演奏されていくような、そうした楽曲へ変わっていった、音楽の変遷と対応している。
 
 これはどういう事かと言うと、自我や自意識というものを統制する宿命・宗教の枠組みが消え、人間の自由性のみが表立つ事によって、芸術作品は雄大な構成を持つ事が不可能になった、という事だ。
 
 自意識に枠組みを与えたのは、シェイクスピアにとってはキリスト教だった。しかしそれは、シェイクスピアがキリスト教を意識的に信じていた、という事ではない。むしろ、生活者としての人生観を支えるキリスト教というものがあの時代には生きており、シェイクスピアもその考え方に浴していた。
 
 シェイクスピアの劇の主人公は、激情を抱いて世界を運動していくが、激情は世界から懲罰を受け、彼らは各々に滅していく。それこそが彼らの"宿命"だった。宿命とは欲望に対して限界を与えるものである。
 
 シェイクスピアの劇の主人公はハムレットのように必ずしも悪人とは限らない。にもかかわらず、ハムレットもまた一人の人間としてその激情を罰せられる。何故かーーそれは、彼が人間だからだ。彼は神ではないからだ。だから、人間としての限界を彼が善人であろうと悪人であろうと、享受しなければならない。ここに、劇の中には見えない宗教的規範と、悲劇の構造の一致が現れる。
 
 シェイクスピアの頃にはキリスト教の枠組みが生きていた。人間いかに生きるべきか、という問いは教会が答えてくれている、と福田は言っている。シェイクスピアはそう考えていたと。実際にはどうかわからないが、自由な自己意識に対してその限界を課すのは、同じ自己意識を持つ他者(人間)ではなく、神であった。
 
 神が定めた必然に沿うように物語は動いていく。シェイクスピアは見事な悲劇を作り上げている。という事は、人間が悲劇に至らざるを得ない必然をシェイクスピアもまた信じていたという事だ。これを福田は、シェイクスピアの頃にはまだ残っていたキリスト教の気風だと考えている。
 
 ※
 福田恆存という人物にとっては、キリスト教、要するに神という絶対者なき世界においていかに宿命を自らに課すかというのが問題になったのだろう。
 
 福田は天皇制を本気で信じる気持ちになれなかった。それ故に、思想的には、今の保守と呼ばれている人にも理解できない文化の地層を掘り進める事になった。
 
 福田が影響を受けたロレンスは、キリスト教を迂回しつつも、"絶対"を求めて、世界を彷徨わなければならなかった。同じように、福田もまた、日本の近代人として、宿命を探した。
 
 しかしここで言わなくてはならない事は、日本における近代文化人の課題は西欧のそれとは異なり二重化されていた事だ。
 
 日本は西欧を輸入した。輸入したものを自身に吸収する過程が必要だったわけだが、日本のインテリは「自分達は偽物ではないか?」という問いを自らに問わなければならなかった。
 
 今の、大谷翔平ブームを見ていると私は虚しい気持ちに襲われる。大谷翔平がアメリカの大リーグで活躍している事が人々には嬉しい…そこにおいては、アメリカの文化・文明は優れたものだという前提が見て取れる。
 
 成田悠輔というメディアが持ち上げた「天才」が出てきた時も私は違和感を持った。成田悠輔はイェール大学の助教授(実際は助手程度らしいが)という肩書を引っ提げて出てきた。イェール大学はアメリカの名門大学だ。アメリカという上位存在に対する何の疑いもない、へりくだった態度は、私には虚しいものに思える。
 
 というのは、かつての日本は決してそうではなかったからだ。というより、近代化していく日本が独自性を保ち得たのは、自分達は世界の中心ではない、自分達は異邦人であり、西欧人からは興味を持たれてもおらず、彼らからすれば小汚い黄色い猿でしかないーーその屈辱と、それに対する怒りと、またそこから自己を自己として成り立たせようとする努力が、日本の独自性となっていったのだろう。
 
 その感覚は夏目漱石という一個人が、ロンドンで体験している。漱石は広いロンドンの街を歩いて、自分とおなじようにみすぼらしい男が向こうから近づいてきたと思ったら、目の前に大きな鏡があっただけだった、というエピソードを書いている。
 
 漱石はロンドンで「自己本位」という言葉を得たが、これはエゴイズムを指した言葉ではない。言葉としては「自立」に近い感覚ではないか。西欧人からすれば、日本などは世界の端っこの、そもそもどこにあるかわからないような人の群れである。
 
 現在だって、大した差はない。私は、繰り返し自分に言い聞かせたいと思っている。「世界は私達に興味がない。お前はそもそも存在すらしていない」 この言葉がかえって私には、自らを存在させなくてはならない動機となる。
 
 福田恆存もまた日本の近代文化人として、二重の問題を背負っていた。福田は「エリオット会見記」で次のように書いている。
 
 「まちがっても、むこうから日本のことや私の考えを問いかえそうとはしません。日本人や私を軽蔑しているのではなく、かれらの頭のなかに、西洋とはちがった歴史と文化をもつ日本というものが存在しているという観念が、はじめからないのです。あったとしても、それはいずれは自分たちと歩調をあわして生きるべき国であり、ですから、私のほうが西洋についてきくべきであり、かれらは日本のことなど考えなくていいわけであります。」
 
 日本においては知識人と言われ、リスペクトされている福田も外国に行ってみればただの人でしかない。その事は福田ははっきりと見つめていた。
 
 こうして日本における近代化の問題は二重となる。まず、西欧の近代化、封建社会からの離脱の問題があり、更にはそれを輸入した日本という世界の端の国としての問題、この二つが同時に日本のインテリを襲う事になった。
 
 今から見れば「文豪」に列せられている人々は、結果から見ればその十字架を背負ったという事だろう。神経衰弱になったり、首を吊ったり、夭折したり。もちろん、それら個人的な苦難は、歴史的な苦悩なんてなくても、可能だろう。
 
 ただ、現代の我々から見れば過去の文豪らは、自らの個人的資質や、個人的な苦悩への傾向それ自体を、歴史が彼らに要請する苦悩とうまく共振させた、という事になる。
 
 こうして、彼らには苦痛でしかなかったものが、後に彼らを過去の「文豪」という、いわば神々に列聖させる事となった。もちろん、それは極東の島国に住む我々が勝手に崇める小さな神々でしかないのだが。
 
 ※
 福田恆存もそうした二重の問題を背負っていた。西欧の問題について盛んに言及しつつも、西欧人には決してなれない、日本人というみすぼらしい人種。しかし、こうした自己のみすぼらしさ、自分達が世界の中心でも何でもないという自覚が、彼らに対して自己認識を促した。
 
 それに比べて、「日本は世界で認められている!」と叫ぶ現代はなんとみすぼらしい事だろう。自分達の弱さから逃げて、自分よりも強いもの(その典型がアメリカだが)にすがりついて、自己を消してしまおうとする人々。彼らが自己を認識する事は決してない。
  
 こうして考えてくると、私には福田恆存は保守主義の代表というより、典型的な日本近代の知識人の一人であるように思われる。
 
 日本近代の問題が、あるいは小林秀雄を、あるいは丸山眞男、あるいは福田恆存を生んだ。確かに、その問題に対する解決法、彼らが希望を見出そうとする方向は、それぞれに違っただろう。そういう意味では丸山が左、小林と福田が右、と言っていいだろう。
 
 しかし私はそれ以上に、彼らが日本近代の問題と闘った事それ自体が大切だと思う。そして現代においてはあたかも、日本の近代の問題が全く存在しないかのようになっている事、その事が一番問題であるような気がする。
 
 政治的にはアメリカに屈服する事によって、思想的には金銭を第一とする事によって、そうして精神を排除し、唯物論と大衆の嗜好だけが全てになって、近代の問題は消えた。
 
 日本近代の問題は全て、現行のシステムに吸収されてしまった。それ故に、システムに屈服する事から始めている人々が福田や小林を今更担ぎ上げても、見当違いな問題が諸所に現れるだけだろう。
 
 福田恆存は、日本近代の問題を別にどのようにも解いていない。彼は彼なりにそれと闘っただけであり、彼は小林秀雄と同じように評論家であったから、日本近代文学や西欧近代文学の運命を読み解き、それを読解するという形で、彼なりの世界との闘争を繰り広げたのだった。
 
 そして今を生きる我々が福田恆存から学べる事は、テストの答えのように無味乾燥な結論ではなく、むしろどこに問題があり、どこまで彼が歩いていったかというその歩みの軌跡からであろう、と思う。そういう意味で私にとって福田は随分とたくさんの問題を提供してくれていった。
 
 彼は既に故人だがーーしかし、今、こうして彼の文章を読むと、彼は私のまわりの、あるいはネットで色々話しているどんな人よりも「生きている」と感じられるーー私は、彼に礼を言いたい気持ちになっている。
 
 そしてまた、それから先を考えていくのは、現に今を生きている、「今の我々」の仕事のはずだ。


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