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神無くして原罪あり  ー芥川と太宰ー

 福田恆存を読んでいたら、日本近代文学について述べたところで「日本の近代文学は神は不在だったが、原罪はあった」というような文章に出会い、(そうだよなあ)と考え込んでしまった。
 
 私が知っている限りでは太宰治が当にそういう状況を体現していた。太宰がキリストというものへの関心を示し続けたのは、太宰において、そして日本近代文学においては「神はいないが原罪はある」という状況だったからだ。
 
 神はいない、というのは、日本社会には西欧のような「神」が広まらなかった事を意味している。キリスト教は日本に根づかなかった。それでは、後者の「原罪」とはどういう意味か。
 
 私はそれについてはこう考えている。日本の近代文学者は大抵は夭折しており、自殺、病死といった死に方が多い。
 
 日本の近代文学においては、文学に邁進する事が、社会からの疎外を意味していた。自らの理想に情熱を燃やして、文学の道を突き進む事。それは、明治政府が行っていた社会の秩序化と反対の道を行く事だった。
 
 ここに倒錯的な熱情と宗教性が現れる事になる。いわばそれは自らの生命をかけたチキンレースだ。自らの生命を燃焼させ、自らが死に近づけば近づくほどに、自らはこれほどまでに「文学」「芸術」に仕えていると彼らは信じる事ができた。
 
 ここに、神はいないが原罪は存在するという特殊状況が現れた。神は存在しないが、おぼろげに見える芸術の神に自らを捧げる文学という行為そのものは存在したのである。
 
 だから、日本近代文学者は、自らが社会から疎外されるという原罪から逆に発想して、神を求めた。
 
 それこそが太宰治のキリストへの愛好の正体なのではないか。また芥川龍之介のキリストへの関心も同様のものだと私は思う。彼らは自らの罪を感じた故に、この社会には存在しない神を渇仰した。
 
 これを、日本という特殊地域における偏狭な思想だと笑うものは笑えば良い。私はどのような人間も自らの特殊な宿命を通過せぬ限り、普遍へと到達する事はないと考えているだけだ。
 
 ※
 芥川と太宰との関連を少しばかり考えてみよう。
 
 芥川の晩年に「玄鶴山房」という短編小説がある。芥川自身に似た老人が自殺未遂をする、という話だ。
 
 小説の最後に主人公の玄鶴は死んでしまう。玄鶴の葬式が開かれる。そこに親戚の若い男がやってくる。彼はリープクネヒトを読んでいる。リープクネヒトは共産主義者だ。
 
 「玄鶴山房」の最後の文章を引用してみよう。
 
 「――彼は急に険しい顔をし、いつかさしはじめた日の光の中にもう一度リイプクネヒトを読みはじめた。」
 
 これが最後の文章だ。評論家の吉本隆明は、このラストを厳しく批判している。
 
 私は吉本の批判は正しいと思っている。しかし、私にはやつれ疲れた芥川の顔がぼんやりと浮かび(まあしょうがなかったじゃないか)と思ったりもする。
 
 …この文章について考えてみよう。ここでは、年老いて死ぬ玄鶴という旧世代に対して、若い共産主義者の青年という対比が成されている。
 
 「玄鶴山房」は芥川の晩年の作であり、自殺未遂する玄鶴にも芥川自身の姿が投影されていると考えていいだろう。
 
 芥川ははっきりと自分の死を感じ取っていた。ただ、芥川は、自分の死の後に、共産主義に希望を見出す溌剌とした青年を期待していた。あるいは期待しようとしていた。
 
 ここで、「芥川と政治」という概念が唐突に現れてくる。私は、こうした部分において、芥川はもはや美神、つまり芸術に仕える事に心底疲れて、疲れ切って、それ故に、現実的有効性がある(と信じられる)政治に希望を見出したくなったのではないか、と想像している。彼は当時の流行だったマルクス主義に希望を見出そうとした。
 
 芥川は、美神に仕えていた文学者だった。彼はそれを誇りにも思い、信じもしていただろう。しかしこの道は歩いても歩いても果てのない、泥沼の道だ。
 
 私自身も、いや、私に限らず、現代だってそう変わらないではないか? 私はあまり多くは語るまい。ただ、美神に仕えるよりも、大衆に、庶民に仕えた方が現実的有効性が多くある(これが現代の"政治"だ)わけであって、それと比べれば、星の光のように頼りない美神に仕える事はなんという徒労だろう!

 美神に仕えたところで、誰もいない虚無の道をただ一人歩いていくだけだ。貧しい自己満足以上に得られるものは何もない。だとしたら、自分を曲げてでも、大衆に仕え、形骸化した日本社会に頭を垂れてその仲間に入れてもらった方がいいではないか? その方が「得」であり「合理的」であろう? 現代だってさして事情は変わらないのではないか?
 
 …うっかり、自分の話をしてしまった。話をもどそう。
 
 私には芥川の気持ちがある程度わかる気がする。中原中也の詩句「暗き空へと消え行きぬ/わが若き日を燃えし希望は」が語るように、若き日の文学への熱情、希望。そうしたものをいくら持続させ、いくらその道を歩いても、歩いても歩いてもそこには泥沼しかなく、ただ刹那的な自己満足と、自分が世界から離れていくような感覚があるばかりだ。
 
 いくら美神に自己を捧げても、美神から与えられるのはせいぜい、ほんの少しばかり感興に浸れる文章の塊でしかない。この道は地獄としか言いようがない。
 
 こんな道に疲れ果てて、芥川は死の前に、わずかばかりでも、美神とは違う、現実性のある「政治」に期待を持とうとしたのだろう。しかし、そうは言っても、芥川はあくまでも芥川だから、彼が仮に長生きして、政治運動に入り込んだとしても、すぐにその運動に挫折し、幻滅するのは必定だ。そうするとやはりまた、彼自身の元の状態、「神なくして原罪あり」という状態が復活するだろう。
 
 ※
 ここからは短く記そう。
 
 太宰治は芥川が終わったところから歩み始めた。結果としては、芥川の人生を繰り返す事になった。もちろん、二人の表現の差異は大きいが。
 
 太宰は若い頃に左翼の政治運動にのめり込んでいた。生家が金持ちだった彼は、資金提供もしていたらしい。太宰は政治運動に挫折して、文学に邁進する事となる。
 
 弱い彼は、女に頼り、また美神にすがりつこうとした。その結果は一体、どうなったか。
 
 またもや、そこには泥沼しかなかった。もっとも、彼は芥川が想像もできなかった「戦後」というものと出会いはしたが。
 
 しかし、太宰は戦後の空間に本格的に放り出される前に死んだ。彼にはもう政治活動に希望を見出す事もできず、何に希望も見出す事もできなかった。
 
 何にも希望を見出す事ができない存在は、空中に自分を救ってくれる神を見出そうとする。その時に、太宰はキリストの姿を思ったのだろう。また、自分自身を十字架に掛けられたキリストと見たかったのだろう。
 
 文学・芸術に賭ける事によって破滅する自己を救う何者かを、彼は求めた。そしてそうした意識そのものも自分の作品の中に込めてみたが、しかしそうする事は文学ではあっても、自らを救う行為にはならない。文学はついに人を救わない。もし救済というものがあるとしたら、漱石が「行人」で書いたように、「狂気・宗教・死」のどれかであろう。
 
 また、太宰が愛そうとしたキリストは決して、自分自身を「十字架に掛けられた可哀想な男」とは考えなかった。この点を私は重視したい。キリストの物語に、そうしたキリストの意識が介入してしまうと、彼が「復活」する物語は、エゴイズムによって歪んでしまう。
 
 キリストは死の前に苦しみ、あまりに苦しむがあまり、神へ呪いの言葉すら吐いたのだが、その救済、つまり、その復活はあくまでも彼の意識の「外部」で行われた(キリストは"死後"に復活する)。
 
 キリストは十字架に磔になりながら(この苦しみこそが自分を救う、だから今は我慢だ)とは考えなかった。もしそうだったら、おそらくキリストは救われなかっただろう。"復活"しなかっただろう。
 
 救済というのは必ず「他者」によってもたらされなければならない。本人が救済を期待して、自分で自分を救済しようとしても、救済にはならない。神や天使は空から降りてこなければならない。自らの心からそれは決して現れはしない。
 
 しかし、神はいないが原罪だけはある、という状況の日本の近代文学者は、自分達の外部に救済を求めるのが難しかった。
 
 太宰も芥川も晩年には私小説へと傾いている。それは、芥川がそうなりたくなかったような、泥沼の私生活を描いた私小説作家と結果的にはよく似ている。
 
 結局、私小説というものは自分で自分を救おうとする行為でしかないのではないか。それは沼にはまった個人が、自分の頭を自分で引っ張り上げて、自分を救い出そうとするようなものだ。救済しようとする手が救済されようとする自分を捉える。それはどっちも「自分」なのだ。
 
 神なく、原罪だけがある個人には、原罪からすくい上げてくれるその手も自ら捏造しなければならなかった。それ故に、複雑な角度に分裂した自己というものが作品の中に現れてくる。太宰の晩年の作品にはそれがはっきり認められる。
 
 「人間失格」のラストでバーのマダムが、破滅した主人公の葉蔵を「天使みたいないい子でした。」と語る。これは太宰が複雑に凝らした、自己を救済しようとする、主体とは違う別の角度だ。別の角度とは、主体を救う、主体とは別の視線を作品内に導入した、という意味だ。
 
 これはしかし、太宰という個人が複雑に凝らした作品内の、視線の別角度であり、それもまた太宰の願望の表現の一つに他ならない。
 
 キリスト教から離れていたゲーテは、「ファウスト」のラストで、ファウストを救う為に天使を天から降臨させた。ゲーテは近代人であり、キリスト教を信じていたわけではないが、作品が整然と成就する為には、「キリスト教」という枠組みを利用しなければならないとよく知っていた。
 
 それに比べれば太宰のような作家にとっては、自意識しか存在せず、神はなく原罪だけがある状態だった為に、ゲーテのような円満は望むべくもなかった。しかし、この労苦は、単に太宰治という一個人に着せられるものではなく、福田の言うように、日本近代文学が背負わざるを得なかった呪いではなかったか。
 
 そして私にはこの呪いは今も消えているとは思えない。人々は手近な偶像を信じる事で、あらゆる難局を乗り切ろうとしていたが、それら偶像が脆くも崩れて壊れていければ、壊滅的な自己と他者、そしてまた他者とは結局はもう一つの自己に他ならないから、残るのは自己の無数の群れだという事になってしまう。
 
 そうなると、ここではまた、"絶対"というポイントをどこに求めればいいかわからなくる。そうなると我々はまた神を探したり、あるいは神に倦み疲れて、また別の神に走らざるを得なくなるだろう。私には、充足して満足している現代作家よりも、芥川や太宰といった暗い人々の方が自分の魂に近い存在に感じる。
 
 
 (以上、文章に書いた論理では、夏目漱石や森鴎外の存在はこの論理から漏れてしまうので、これについてはまた改めて考える事とします。)

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