【図解2022,2023】「自分の名前」のとらえ方
【2軸マップ型】私はリアルの仕事の場では本名を名乗っているが、noteなどのインターネット上では「図解描きの山田太郎」というハンドルネーム(発信する場合のニックネーム)を使っている。
「山田太郎」はイベント参加時も使っているので、「山田太郎」はインターネットだけでなく、リアルにも一部食い込んでいるといえる。
これら2つは「他者から見た私」を表現するときの名前だが、自分視点で自分を見る時は「私」という認識になり、そこに名前はついていない(名前のない「一個の自分」という言い方もできる)。
ある意味、私には「山田太郎」「本名」「私」という3つの「自分の名前」がある。
【2軸マップ型】これに対し仮に私が本名で発信活動をしていたとすると、他人視点では「本名」、自分視点で自分を見る時は「私」という2つの「自分の名前」を持つことになる。
その場合、このnoteはおそらく「図解」という大枠は同じでも、今とはかなり違う内容になっていただろう。
このnoteは良くも悪くも「図解描きの山田太郎」の産物。「自分の名前のとらえ方」は「『その場』とどう向き合うか」とも密接に関係している。
「自分の名前」のとらえ方について、感じたことを図解にしたものです。
あすず@手描きイラスト図解さんのnote『310. 実名は無理でも、情報発信をライフワークにしたい』(リンクは後ほど)を読んで、自分にとっての実名/ハンドルネームでの発信、そしてそれ以外の場での名前の位置づけについてあらためて考えてみました。
私は良く言えば慎重、悪く言えば臆病なところがあり、ハンドルネームを使っているのは元々は身元バレが怖かったからです。
ただ、noteを5年以上投稿している今は、この「図解描きの山田太郎」というハンドルネームが、発信活動との距離感として一番自分に合っているように感じています。
当たり前ですが、本名もハンドルネームも物理的な中身は同じ「私」です。
そして、本名での発信だとその内容はすべて「自分の現実のこと」としての発信になります。
一方で「図解描きの山田太郎」としての発信は、「現実に自分に起こったこと」と少し距離を取り、それを抽象化・教訓化しながら向き合って発信活動をできているように感じています。
もちろんこれはいいことだけではなく、「生々しさ」や「信頼性」という点では実名での投稿に及ばないというマイナスの面もあります。
ただそれを踏まえても、自分にとっては「『私』としての人生を生き、その内容を抽象化して『図解描きの山田太郎』として発信する」というのが世の中とのちょうどよい距離感だし、「発信活動はおすそ分け」という私のスタンスにも合っていると感じています。
自分の名前というのは自分が最も目に(耳に)する名前です。
それを考えるというのは、ある意味ではその名前を使う場、引いては自分の人生とどう向き合うかを考えることにもつながるのだと気づきました。
発信・創作活動をどういう名前で行うかは人それぞれだと思いますが、私は今の「図解描きの山田太郎」という名前を、これからも大切にして行きたいと思います。
このノートのきっかけになったあすずさんのノートはこちら。
本や他の方のnoteも引用しつつあすずさんの考えを考えを述べていてとても学びの多いnoteなので、ぜひ読んでみてくださいね。
あすずさん、考えるきっかけをありがとうございました!
図解こぼれ話
この図解、私にしては珍しく図解部分に全く色を使っていません。
その理由の1つは、私にとって「本名」「山田太郎(HN)」「私」に優劣がないからです。
色を使うとある部分を強調できる反面、他の部分はどうしても一歩下がる形になるので、今回のメッセージにはそぐわないんですよね。
下のような「すべて同じ薄めのオレンジにする」という方法も試してみましたが、これだと「オレンジの範囲」に目が行き、肝心のテキスト部分=名前の印象がやや薄くなってしまいます。
また、今回は内容的に「静かさ」のイメージを込めたかったのもあり、最終的にタイトル以外には色を使わない選択をしました。
色をどう使うか、あるいはあえて使わないか。それぞれの選択に自分の思いを乗せることができます。
図解っておもしろいですね。
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