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【日記】優しいね。

12月×日。
昨日は唐突な発熱で仕事に穴を空けてしまった。声が出なくなってしまい、喉の痛み等はなかったのだが、大事をとってお休みをいただいた。
申し訳ないやら、情けないやら。
人には「休むと決めたらとことん休もう!できる限り充実できるようにしよう。」なんて偉そうに言っちゃうけど、自分のこととなるとこのテイタラク。
もやもやした気持ちを持て余し、起き上がろうとしても力が入らず、なんだってこんな目に遭ってんだろう、とやり場のない気持ちを抱えていた。

その日の晩に熱は下がり、倦怠感もやや緩和されてきたので、予定していた通り翌日は実家に帰った。
年末年始は何かと立て込んでいて、きっとゆっくり出来ないだろうから、祖母と四方山話しをする時間を確保したかったのである。

そして本日。
実家は電車で20分ほど。そこから歩いてまた20分。
昨日は寝続けていたので、ちょうどいいリハビリになった。12月のくせに昼間は暖かく、地元に歓迎されている気持ちになる。

実家のドアを開ける、開かない。
あれ、歓迎されてない感。
「おーーい、T子さーん」
祖母のことを名前で呼ぶようになったのは、桜コーヒーで祖母自身から聞いた昔話に胸が震えてからというもの。
親近感と、尊敬と、とにかく祖母も一人の人間だと思い知った。彼女の口からはじめて聞いた自分史は深く、感動的で、あっけらかんとした口調ではあったが貴重な時間だった。

隣に住むおば様が通る。若干気まずい。
「よっくん、帰省?」
上品なおば様である。
「チックショー、鍵がなくて・・・」
白昼堂々泥棒に入るような後ろめたさを覚えて愛嬌増し増しで答える。おば様は通りすぎる。

そうこうしてるうちに祖母が登場した。
「あれー!よっちゃーん!どうしたん!」
86歳の祖母は割と身軽。
颯爽と自転車を降りた。
「どうしたんもなにも、会いにきたねん!開けて!」
素っ気ない孫である。

家に入ってから姉が今日、訪れることを思い出す。
姉+甥、姪、甥である。
幼児と赤ちゃん。
僕はこの三人が大好きなのだ。

姉は来て早々、「子供食堂行くで!」と言った。
子供たちはと言えば「え、初耳なんすけど」なんて顔をしている。
五歳児も三歳児も、それなりに大人の会話を聞いているのである。
0歳児の甥っ子だけは泰然自若とした態度で「まあ、行くんやったら行きますけど。」て顔をしていた。

初めて訪れた子供食堂は、一階部分に保育所が併設してあるようだった。エレベーターで建物の二階に上がると、ビックリするぐらいの子供!そして先生!奥の部屋には老人!が詰め込まれていた。
無理やり詰めてもらい、席に座る。
座った途端に「ビンゴゲームをはじめるよー!」と風格のある先生らしき人が声を張り上げる。
「え。子供食堂ってこんな盛り上がってん?」と訊く僕に姉は「クリスマスって壁に貼ってるから、そういうアレなんちゃん?」と教えてくれた。

しばらくするとビンゴゲームが始まった。
数字ではなく、配布された用紙に好きな平仮名を書きカードを完成させる。先生は箱から平仮名が書かれている用紙を引き、当てていくというビンゴゲームだった。
「なるほど!合理的」
あっという間に出して頂いたピラフやチキンの揚げ物に夢中の姪っ子。(三歳)
覚えかけている平仮名を駆使して「ここは"わ"!」などと僕に指令を出す甥っ子。(五歳)
相変わらず「まあ、やるんやったらやればいいじゃないすか?知らんけど」って顔で泰然自若を貫いているZERO歳児。

ビンゴが始まるや否や、天性の勝負師である僕はテンションがぶち上がってしまった。
先生方や姉が苦笑いになり、子供たちが振り返るほど僕はオーバーリアクションで弾けた。
「盛り上げな」と「このアウェイを乗りこなさな」という二つの試練を勝手に感じていた。
厚かましい。おこがましい。
何より、純粋に楽しかったのである。

景品はハート型に折られた折り紙だった。

甥っ子と姪っ子は無事に景品にありつけることができ、嬉しそうだった。

・・・・・・

帰り道の車中。
唐突に甥っ子が「◯◯が叩いてくるのどうしたらいいかな〜」と独りでに話し出した。
敏感な僕は真っ先に「そんなんぶっ飛ばしたったらええねん!」と間違った方向の答えを授けた。
「でもぶっ飛ばしたら押し倒されるし蹴られるもん〜◯◯は大きいから〜」と事も無げに答えた。
「分かった。帰ったらよっくんが必殺技を教えたるわ。これで君も勝てる」
と、(5歳児に教える護身術はどの程度やったらええんやろか〜)なんて馬鹿げたことを思案しながら勇気づけたつもり、だった。
が、甥っ子は「勝ちたいんじゃなくて、仲良くしたいの!!!」と言い放った。
一瞬、唖然とした。

おい、待ってくれ。
五歳児ってこんな大人?

くだらないプライドを死守すべくマウントを取り合ったり、自分を正当化して誤魔化したり、そういう小賢しさがない、真っ当な考え方に触れ、僕は(半分冗談とはいえ)自分の稚拙さに泣きたくなった。
何より、目の前にいる甥っ子の成長に。

守ろうと思えばどこまでも守りたくなる。
現に、この子が生まれた際、あまりの可愛さに「よし。一生食うに困らん金を早めに稼いで貢ごう。この子が躓いた時には甘やかし尽くして養えるように」なんて考えたりもした。
それは姪っ子の時だって、三人目の時も然り。 
目の前にいる赤ん坊が可愛くて仕方なかったのである。

だが、人はたくさんの人の間を生きていく過程で文字通り『人間』になっていく。
軋轢があったり、いさかいがあったり、誤解があったり、解り合えたり。
言葉を尽くして理解しようとする、してもらおうとする。
そうやって成長していく。

予防線を張ることよりも、この子が傷ついたり悲しんでいる時に貼るバンソウコウを用意しといた方がいいんじゃないか?
自分もそうだったし。

盛大やらかして、失敗して、傷つけて、傷ついて。
でも落ちぶれずに済んでいるのは何者にも代えがたい人たちに救われて、掬われてきたからである。

あー!経験値ってマジ大事!
そして、彼もまた一人の人間として成長痛を感じているのだな。

保育所に通っていた頃のことは割と覚えている。
僕は、甥っ子ほど勇敢ではなかった。
バカにされてら苦笑いでやり過ごし、たえず大人の顔色を伺ったり、小器用なガキで、今の方が素直な気さえする。

尊重とは難しい。
当人同士をいっぱしの人間だと信じて任せてみることが始まりだ。

その夜の帰りしな。
「むやみに傷つくなよ〜」と上目使いでポケモンを観ていた甥っ子に向けて言った。
甥っ子は小さな、ほんとうに小さな声で「ぅん…」と返した。きっと分かってない。
リザードンの影響力には勝てそうになかった。


養うことはないだろうな、と思った。
生まれた時にはそういう言葉でしか表出できないほどの愛情をもて余していたけれど、今はちょっと違う。
家出したら真っ先に来てくれる家を用意しとこう。
今はこんな感じだ。

誰かの人生の脇役になるのも悪くない。
むしろ、自意識バチバチで主演を張っていた思春期の頃より今の方が見える景色が広がった。
出来れば名脇役になりたい。

生まれてくれて感謝。
お年玉をあげる行為は、僕にとって感謝賃なのである。
僕にとっての神様とは、子供たちだ。

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