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【hint.123】あまりにも当たり前になっているから

 手が「読ん」だり、耳が「眺め」たり、お尻が「透明を感じ」たり・・・・・・つまり私からの提案は、「何かをするのにどの器官を使ったっていいじゃないか」ということです。大事なのは「使っている器官が何か」ではない。むしろ「それをどのように使っているか」です。
「読む」「眺める」「注目する」といった私たちの能力は、特定の器官の機能なのではなくて、「パターンを認識してその連続に意味を見いだす」「すぐに必要のない情報をキャッチしておく」「特定の対象を選択して知覚する」といった認識のモードないし注意のタイプに対する名前と考えるべきではないでしょうか。
 それは別の言い方をすれば、器官というものがそもそも明確に分けて考えることのできないものである、とも言えるかもしれません。目で物の質感をとらえたり(触覚的な視覚)、耳で聞いた音からイメージを連想したり(視覚的な聴覚)、甘い匂いを嗅いだり(味覚的な嗅覚)、といったことを、感覚は自然に行っています。
(いずれも、伊藤亜紗 著『目の見えない人は世界をどう見ているのか』/光文社新書 より)


この本は読んでいてとてもワクワクする。

それに、自然と自分以外の存在へのリキみを解きほぐしてくれる。

「あぁ、僕ってここにまだリキみがあったんだ」って、それこそ変な煽りやリキみのない文体で気づかせてくれる。

これは、「視覚を使わない体に変身して生きてみること、それが本書の目的です」という、著者の面白いスタンスが、そうさせてくれるんだと思う。

言われてみれば、僕たちはひとつの感覚をひとつの目的のためだけに使って生活しているわけでないことに気づく。

たとえば、視覚をみるだけに使っているわけではなくて、「触ると気持ち良さそうだな」とか、「湯気がすごいからあれはとても熱いな」とか、「向こうの二人、離れてるから声はまったく聞こえないけどきっと楽しい話をしてるんだろうな。さっきからずっと笑ってるもん」とか、「えっ!?こんな色なのに本当にコーヒーの味がしてるんだぁ」とか、「あそこ、やっぱり臭そうだな〜(笑)。ひどい顔してるやあの人」とか、そんな風に、世界を「見て」いるようで、実は、世界に「触れ」たり、世界を「聞い」たり、世界を「味わ」ったり、世界を「嗅い」だりしているんだよね。

簡単に言ってしまうと、「目から情報を得る」ということを視覚と呼ぼうとか、「耳から情報を得る」ことを聴覚と呼ぼうとか、同じように「鼻からの情報」を嗅覚、「舌からの情報」を味覚、「皮膚からの情報」を触覚と呼ぶことにしようと決めたのは、僕たちの勝手であって、そしてそれは頭で考えた理論的な、ある一種の世界の「切り取り方」なのであって、その「切り取り方」が唯一のものではないということなんだよね。

あまりにも当たり前になっているから、なかなかそのことには気づくことができないけど、そういうことなんだよね。一種の信念体系(ライフスタイル;アドラー心理学用語)と言ってもいいのかもしれない。

この本は、こんな角度から僕自身や世界について、たくさんのことを教えてくれる。気づかせてくれる。

とても好きな本です。

今日のみなさんにも、たくさんの元気になる瞬間がありますように。

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