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「アルコールランプが消えるまで〜理系くんと文系くんの青春ミステリー〜」1-1

《あらすじ》
「探偵のロジック」百瀬光太ももせこうた
「観察者のロジック」久米充一くめじゅういち
 高校二年の二人は放課後、物理実験室で、日常に潜む謎というほどでもない「不可解」にそれぞれの視点からロジックを与える。
 見守るのは、使用されなくなったアルコールランプの処理を任された物理教員、山内万理子やまうちまりこ
 これは、アルコールランプの炎が燃えている間だけの、青春の一ページ。
 第1話「本を傷付ける少女の謎」
 第2話「あるクラスだけ眼鏡を外す先生の謎」
 第3話「ここにはいない女子生徒の謎」
 それらにロジックを与えていく中で、光太は人付き合いを拒んでいた自身を変え、充一との友情を受け入れ、高校生活を前向きに送れるようになる。

(297字)

    第1話

 放課後の空気を清々しく感じていられるのも、もうあとわずかだろう。以前よりずっと高い位置に留まっている太陽に、百瀬ももせ光太こうたは迫る夏を見る。
(暑いのは苦手なんだよな……)
 現実から逃れるように、光太は手元に目線を落とした。
 返却された本に、なんらかの異常がないか確認する作業に戻る。読み耽ってしまわないように気を付けながら、ぱらり、とページをめくると、カウンター前に誰かが立った。
 顔を上げれば、そこには同じ二年六組――というよりは、中学からの腐れ縁といった方が的確な、宇山うやま美乃梨みのりの姿があった。
「返却お願いします」
 えくぼを浮かべ、美乃梨は人気作家の新作を差し出してくる。さらりと揺れたセミロングから香った花の匂いに気付かないふりをして、光太は片手で受け取る。ハードカバーの分厚い本は、ずっしりと手首に負担をかけた。
「……早いね」
「あたし速読だから」
 にこにこと美乃梨は笑っている。それは中学生の時、ミステリ雑誌の短編賞で「もう一歩」に名前だけがあった時に見せた、あの笑顔と変わっていないように光太には思えた。
「さぁて、次の人気作は?」
 美乃梨はカウンターすぐ前の、新作コーナーに向いてしまう。光太は軽く唇を噛むと、彼女に返されたばかりの本をパラパラとめくった。
 傷んでいる。
 ページを開き、背表紙から押し付けた時のように。全体が空気を含んで、ふわふわと膨らんでしまったみたいだ。
 読みさしの時にページを下にして置く人はいる。けれど、少なくとも美乃梨がそういう読み方をしないと、光太は信じたかった。
「なあ、宇山。オレがあげた栞ってどうした?」
「んーやっぱファンタジーは強いね! 次はこれ、借りてこうかなぁ。これの人気度ってどんな具合?」
「……昔は人気作より、オレお勧めのマイナー作品の方が好きだったくせに」
「百瀬くんとは趣味が合わなくなっただけよ」
「オレが大賞だったから?」
「何その、自意識過剰!」
 美乃梨はケラケラ笑いながら、人気のファンタジー作品を手にした。貸し出しカウンター、といっても光太のすぐとなりだけれど、貸し出しを担当している図書委員のもとに向かう彼女の髪からは、ふわりと再び花の香りが漂う。
 ――ラベンダーだ。
 有名なジュブナイルSFのように、花の香りに誘われ、時をかけることができればいいのに……光太は思って苦笑する。「少女」ではないから叶わないだろう。光太に今できることは、口の中に嫌な苦みを感じながら、傷んだ本を何事もなかったかのように返却してしまうことだけだ。
「………」
 ため息をつくと、光太は椅子を立った。
 他の図書委員に気付かれる前に、本棚に戻してしまおうとしたところへ、青い縁の眼鏡の生徒が寄ってきた。靴紐が光太と同じ赤色だ。だから同学年だということは分かったけれど、光太には見覚えのない生徒だった。
 西高校は一学年六クラスあるから無理もない。まして、開襟シャツの胸ポケットに止められた彼のバッジは二年一組――光太からは最も遠い教室で、かつ、無縁と言っても過言ではない理系だ。
 彼は本ではなく、一本の鍵を光太へと差し出した。
「落とし物です」
「はあ……」
 ほとんど無意識に受け取った光太は眉を寄せた。鍵にはキーホルダーがついている。それにはやたらと丸い文字で「物理実験室」と書き込まれてあった。
「いや、落とし物って。お前が届ければいいんじゃね?」
「どうして僕が?」
「どうしてって……拾ったの、お前だろ。どこの鍵かもはっきりしてるし、物理なら理系のお前の方が馴染み深いだろ」
「確かに馴染みはあるけれど。それを根拠として僕が届けに行かなければならない、というのはおかしな理屈じゃないかな。それを言うなら、ここは図書室で、君は図書委員だ。自身の管轄で見つかった拾得物に対する責任は、僕よりも君の方にあるだろう?」
「……めんどくせぇな、お前」
 舌打ちし、光太は手の中に鍵を握りこんだ。後輩委員にカウンターを任せ、足元に置いてあったデイパックをつかむ。委員としての活動時間はまだ残っていたけれど、鍵を届けてから戻ってくるのは面倒だった。
 光太がカウンターから出るころには、もう、青い眼鏡の理系少年はいなかった。もう一度舌打ちし、光太は階段を駆け下りる。
 図書室はA棟四階。物理実験室はC棟の三階だ。各棟は二階でしか連絡していない。二階分おりて、一階分のぼるという手間をかけ、光太が物理実験室に辿り着くと。
 扉が、開いていた。
 そして、微かにお酒のようなにおいが漂っている……。
「あのぉ……」
 遠慮がちに、光太は廊下から中を覗き込む。物理実験室にいるのは、ほとんど白髪になった髪を一つに束ねた白衣のおばさん、山内やまうち万理子《まりこ》一人きりだった。定年退職の近さをにおわせるしわの深い顔で、おばさん物理教員は、アルコールランプの小さな炎を見つめていた。
 飲酒ではなかったのだ。
 公立高校での不祥事、その目撃者となることを少しばかり期待していた光太は、バツの悪さに頭を掻いた。大股で、万理子が頬杖をつく、黒い実験台へと近づいた。
 光太の気配に、物理教員は顔を上げる。目尻のしわが一番深かった。
「あら。あなたもアルコールランプに興味があるのかしら?」
「ないっす。オレはただ、これを届けに来ただけです」
 アルコールランプの隣、図書室のバーコードが貼られたハーブに関する図鑑の側に、光太は鍵を置いた。「あら」と万理子は、睫毛の少なくなった目を瞬かせる。
「ここの鍵ね。どうして?」
「どうしてって……先生が落としたんじゃないっすか? あー、他の物理の先生かもしれないっすけど」
「それはないわ」
 万理子は即答する。
「教員含め、自由にさわれる鍵は一本だけだから。マスターキーは全部、事務室で管理されてるの。わたしはそれを使ってないのに……今日ちゃんと、鍵を開けることができたわ!」
 不思議ね、と万理子は少女のように目を輝かせる。そうして光太に、前の椅子に座るよう促した。
「どういうことだと思う? 百瀬光太くん」
「……文系で、物理なんて取ってない生徒の名前でも知ってるんすね」
 うふふ、と万理子は意味ありげに微笑んだ。その笑顔の意味を知りたかったから――というよりは、彼女が見せる矛盾が気になって、光太は黒い丸椅子に腰を下ろした。
「どうもこうも、何も謎なんてないと思うっすよ」
「あら、そうなの?」
 深く頷き、光太はアルコールランプの近くに置かれた本を指さした。火気の近くに燃えやすいものがあることに首をかしげながら、
「これ、見てもいいっすか?」
「ええ。どうぞ」
 ハーブ図鑑らしい緑色の表紙をめくってすぐ、本文が始まる前のページに、レシートそっくりの感熱紙が挟まれてあった。大きく印字されているのは今日から十日後、本の返却日だ。その下には貸出日時が記されている。


1-2 https://note.com/yamabuki_0201/n/n54ac2f2e231f
1-3 https://note.com/yamabuki_0201/n/n6e80f4a26513
1-4 https://note.com/yamabuki_0201/n/n91dbcbb3a236
0.5 https://note.com/yamabuki_0201/n/n9f7c041e4cd3
2-1 https://note.com/yamabuki_0201/n/n7b30b2e51cd3
2-2 https://note.com/yamabuki_0201/n/n95b8daaab52a
2-3 https://note.com/yamabuki_0201/n/nea40185e45e1
1.5 https://note.com/yamabuki_0201/n/n599584b913b8
3-1 https://note.com/yamabuki_0201/n/n34f40c4f8583
3-2 https://note.com/yamabuki_0201/n/nfeacbcd02328
3-3 https://note.com/yamabuki_0201/n/n2f41b86da756
3-4 https://note.com/yamabuki_0201/n/n459403f1e2a7
2.5 https://note.com/yamabuki_0201/n/n9511224f127e