見出し画像

「美しい」という言葉。

私が夫と結婚した時、夫の実家には舅、姑、夫の祖母が住んでいた。

私の父方の祖母は私が赤ちゃんの頃に亡くなっており、また母方の祖母も6年前に他界していた。私はまた「おばあちゃん」と呼べる人が出来てとても嬉しかった。

夫の祖母は色々と趣味のある人でちぎり絵や俳句、絵手紙を得意とし、お天気が良ければ三輪自転車を漕ぎお買い物に行く。そして、高齢ながら納得のいかない事には、絶対に意見を曲げない凛とした方だった。

私に子供が生まれ、住まいのアパートから徒歩10分の所にある夫の実家。ベビーカーを嫌がる子供をおんぶ紐で背中に背負い、散歩がてらに義実家に寄り顔をだす。

姑も義祖母も歓迎してくれる。特に義祖母はひ孫が可愛いらしく、自分の部屋に私を招き入れ、背中の息子を下ろすように促し「さぁ。のたりなさい。」と、ハイハイするひ孫を愛おしそうに見ていた。

「この子は背(せびら)が大きいやか。立派な体格になるえぇ。」いつもそう言って笑っていた。
             *せびら…背中の意

母方の祖母も丁寧な言葉遣いをする人であったが、義祖母の言葉遣いは何とも魅力に溢れている。

古い言葉遣いといえばそこまでなのだが、似たような言葉であっても、今の言葉より細やかな情緒や使い方によっては粋が少し含まれている感じがするのだ。その匙加減に惹かれるというか。

おばあちゃんの部屋の掃き出し窓はそのまま庭に通じており庭が一望出来る。
そこから見える桜や椿の木や睡蓮鉢、自分の植えた花、ちぎり絵の話、なんて事ない日々の話を聞くのが好きだった。

それから何年後か、万緑の季節。
義実家の庭で子供が遊んでいる。
それを見守る私。もう来年は幼稚園。
喉が渇いた息子は当たり前のように、義祖母の部屋に行き「ひぃばあちゃあん、のど渇いたぁ。」と言って用意してあった麦茶を飲ませて貰っていた。

何気に樹々の木漏れ日を見て「きれいですね。」と私が言うと、「うっふっふ。」と義祖母は柔らかく笑いながら「…ほんまに、美しいえぇ。」と答えた。

「美しい」

ああ。本当だ。
「きれい」でなく、これは「美しい」だ。

決して「美しい」は古い言葉では無い。
本を読んでいても普通に見掛ける言葉だ。
ただ、あまり口で言ったり聞くことは少ない気がする。少なくとも私は大体のこの表現を何も考えずに「きれい」と、それまで済ませてきたように思う。

「美しいかぁ。」
ポロリと言葉がこぼれた。

義祖母はなにも答えなかった。

きれいと美しい。
同じようで違う。

とても良い言葉を教えて貰ったと思った。

義祖母と二人で木漏れ日を眺めていた。

そんな義祖母は今はもういない。

義祖母に「せびらが大きい。立派な体格になる。」と、評された息子は小学生辺りまでは大きいと評判だったが、高校生の今、極々標準の身長。
ただ、肩幅が身長に対して広めで骨太タイプな事もあり、放送部所属なのによくラグビー部と間違えられている。何故かラグビー部限定。

おばあちゃん。
おばあちゃんの予想、当たったよ。

そして今、私は心が震えた時、好んでこの「美しい」という言葉を使っている。

「美しい。」私にとって特別な言葉だ。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?