ONE PIECE×吉田松陰①〜松陰先生とルフィの共通点〜
日本史シリーズを書きます♪
今日は、日本史上最高の教育者として有名な吉田松陰先生を取り上げさせてください(^ ^)
松陰先生が活躍したのは幕末ですが、主宰する『松下村塾』で学んだ塾生の中から伊藤博文と山縣有朋という2人の総理大臣を輩出しています。
他にも、内務大臣になった品川弥次郎、野村靖。
司法大臣になった山田顕義などなど、挙げ出したらキリがないくらいの偉人達が吉田松陰先生から学んでいるのです✨
この松下村塾ですが、学費はなんと無料。
「学びたい!」という意思さえあれば、身分や年齢関係なく誰でも入塾出来たそうです。
広さは8畳ほどで、お世辞にも立派と言えない建物。
松陰先生が教えていたのは、2年だけというからさらにビックリですよね!
この短期間で、日本史に名を残す人物をたくさん生んだことが、史上最高の教育者と呼ばれる理由です✨
松陰先生のどんな教育法が素晴らしかったか?という話は次回に譲るとして。
今日は松陰先生自身が大切にしていた価値観について話します。
先生と呼ばれるくらいだから、とても静かで穏やかな人かとイメージする人も多いかもですが、実際はまるで違います。
「翔ぶが如し」
松陰先生は自分のことを良くこう語っていたそうです。
『自分の心がそうせよと叫ぶなら、怯むことなくすぐに従うべきだ!』
松陰先生は、学者でありながら「行動すること」の大切さを繰り返し説いています。
また、松陰先生の書いた手紙などを読んでいると
「狂であれ」
という言葉も頻繁に出てきます。
これはどういう意味かというと、夢を持った時に立ちはだかる壁は
「世の中の常識」や「固定観念」ですよね。
家族や友達からの「どうせ無理だから辞めな」という声に、せっかく芽生えた夢を潰されるというのは今でも良くある話。
それらと戦うために、「狂」という強い意思を持ち、一心不乱に自分の道を進みなさい。
と、松陰先生は説いているのです。
ちなみに、松陰先生の『狂』のエピソードは山ほどあるのですが、一つだけ紹介させて下さい。
歴史の授業で学んだと思いますが、幕末最大の事件は『黒船の来航』です。
黒船の存在は、当時の日本人に恐ろしい衝撃を与えました。
それもそのはず。
黒船の大きさは当時1番大きな日本軍艦のなんと約20倍もあったのです。
20倍と言われてもピンとかないかもなので、例を挙げると、ウルトラマンの身長は40メートル。
大体僕たちの20倍ですね。突然ウルトラマンが現れたら気絶すると思います(笑)
そんな日本中が恐怖で動けなくなってしまった中、当時25歳の松陰先生は全く違いました。
「この船に乗り込もう!!!」
松陰先生はそう叫び、深く考えることなく、港へ一目散に走り始めました。
まさに、『翔ぶが如し』そして『狂』ですよね。
船に乗り込めば、米兵に殺されるかもしれないし、当時の日本は鎖国であり、国外へ出ることは死刑と定められていました。
まさに命懸けなのですが、松陰先生の胸のうちは
『このままでは黒船に日本は滅ぼされてしまう。日本を守るためにはアメリカの文化を吸収しなければならない』
という一心のみ。
この後、松陰先生は黒船に乗り込むことには成功するも、受け入れを拒否され幕府から死刑判決を受けています。
ただ、黒船の船長ペリーが、『こんなに有望な若者の命を奪わないでくれ』と嘆願書を書いたことで、終身刑となり命だけは助かったのです。
松陰先生の国を思うまっすぐな思いが、敵国をも動かしたんですね。
そろそろ話をONE PIECEに移しますが、『翔ぶが如し』『狂』ともにルフィを連想させます。
尾田栄一郎先生は、『考えるより先に行動する男であって欲しい』と思いを込めて、ルフィのモノローグ(心理描写)は一切描いていないんです。
(モノローグは↑なやつです)
また、じっと待つことがこの上なく苦手で(笑)
『思い立ったらすぐ行動』がルフィの真骨頂ですね✨
そして、もう一つの『狂』ですが、ルフィは一貫して
「海賊王になる!!」
と主張しています。
この発言は、当初はあらゆる場所で笑われていました。
ただ、どんなに笑われようが、馬鹿にされようがルフィは一切関係なく自分の道を貫いて進みます。
日本史上最高の教育者が何より大切にした2つの価値観。
『翔ぶが如し』と『狂』
まさに今こそ見つめないといけないのでは?
と思い、記事を書きました♪
松陰先生のシリーズはもう少し続けようと思うので、また読んでもらえたら嬉しいです✨
ありがとうございました(^ ^)
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