アジール雑論~異端、そしてアジール~

2013年にやま、が書いたものです。過去に書いたものであるので考えが変わっている部分があることは付言しておく。

Utokaさんの下記コラムを見て、私が以前に書いたアジールの話に繋がると思ったので公開します。




アジール雑論~異端、そしてアジール~

やま、

はじめに
 
 今回書く『アジール雑論』は、生涯をかけて思惟し、後世に残そうと思っている『アジール論』の叩き台になる文章にしたいと考えている。
 
 上手い文章、納得、共感させられる考察になっていないかもしれないが、思惟する労働者 の意見として拝聴して頂ければ幸いである。

本稿では、『アジール』についての私の考えを発表させて頂き、今後についての示唆が出来れば良いと思う。

1、近代が否定するアジール
 
 西洋の学者はアジールを三つの段階に分離し、「聖的・呪術的な段階、実利的な段階、退化から終末にいたる段階」と定義した 。アジールは族長や呪術師などが強力な機能を持つようになった段階で明確に出てくる。その場はアフリカの諸民族の例から「①特定の人間。王、あるいは族長の触れた罪人には手を触れることができない。②家屋。族長あるいは王の一族の家のみがアジールになる場合も、一般人民の家屋がすべてその機能を持つこともある③屋敷。族長・貴族等の家の周辺で、ある範囲の半径内④墓所。王・族長の墓、及びその墓守も同じ機能を持つ⑤特定の神聖な村落、あるいは都市⑥寺院・神殿⑦神聖な樹木⑧森」であったことが指摘されている 。日本においては②③の家・屋敷に関しては私的所有の場「主人の自己の家における成敗権」や「家・敷地内における主人の家刑罰権」などにアジール的要素を見る学者もいる 。
 西洋におけるアジールは「罪人のアジール」「外国人のアジール」「奴隷のアジール」に分類される 。日本の場合は罪人、異邦人、奴隷自体つまりアジールに所属している個人自体が無縁性(アジール性)を持っていたが、西洋においては集団、場所がアジールであった 。「無縁」の原理はキリスト教と教会によって原理自体が組織化していった 。平泉澄氏は「国家の未発達な人類史のある時期に現われ、国家権力の人民生活への浸透と共に終わる」と分析している 。
 過去(戦国・安土桃山の頃)の日本におけるアジールの特徴は「不入権」「地子・諸役免除」「自由通行権の保証」「平和領域」「私的隷属からの解放」「貸借関係の消滅」「連座制の否定」「老若の組織」とされている 。俗権力も介入できず、諸役は免許、自由な通行の保証され、私的隷属や貸借関係から自由、世俗の争い・戦争に関わりなく平和で、相互に平等になる「桃源郷」のようであった 。無論、実情としては餓死、野垂れ死と隣合わせというのが実情であった。また、国家権力の統一が進んだ時代でもあったため、権力者はアジールを統制下におこうとし、極力範囲を限定し、枠にはめようとしていた 。しかし、その中でアジールは権力者との妥協と談合でもあったが自らの共同体を守ろうとしていた。権力との妥協の例を挙げると阿弥陀寺に三好長慶が1557年に出した禁制 や同寺に室町幕府が1560年に出した禁制 、1587年に自治都市博多に出した定書などであろう。権力の対してアジール権を認めてもらう覚書を貰うことで彼らの居場所を守ろうとしていた。
 アジールの力の根源は「力」「団結」「独立性」であった。「力」とは武力、世俗とは違う力つまり宗教や天皇の権威 、「団結」とは日本的民主主義とも言える多分の儀を背景とした平等原理 、「独立性」とは基本的に他の共同体に依存せずに完結できること である。権力との対峙では必要とされたものであり、中世の土一揆、近世の百姓一揆の源流にも同じようなあったとこも指摘されている 。そういう意味では中間組織を基盤と考える「アナーキズム」とのシンクロ性が高いようにも感じる。
 アジールの大きな特徴として「主従関係、親族関係等々の世俗の縁と切れている点にある。 」と語られる。現代で言えば、「趣味趣向で集まっている集団」がそれに当たるのではないのかと個人的に感じてならない。その雑多な共同体が一同に集う祭典がコミックマーケットでだろうし、あそこに集っている方々の趣向は様々である。個人的な経験から言えば、趣味の共同体の中に入れば、一般社会内での身分とは違った序列で個々人が定義される。故に「薄いアジール」が形成されていると言っていいのかもしれない。しかし中世、近世のアジールと違い、生活の基盤が一般社会であり、「共同体の独立」が弱いように感じる。これが良いか、悪いかは抜きにして、外部からの圧力に弱いのだ。20年近く前に起こった「東京都青年の家事件 」もそうであろうし、近年起きた「四国の乱事件 」も少数派共同体の外部からの圧力の弱さを如実に示す事件であろう 。一般社会とあまりにも異なる趣向のコミュニティーは常に外部からの圧力を気にして生活していかなければならない。
 これは近代国家が「国家内の人間や土地をすべて統治下に置く」という建前のもと成り立っている限り、解決されない問題である。繰り返しになるが、近代国家においては「顔も知らない」「利害関係のない」を主とした多数派からの「同意」「許可」「黙認」がない限りにおいては存続の危機感を持ちながら共同体に所属していかなければならないのだ。古代~近世においても多数派(民衆)や国家権力、地方権力からの差別、圧力があっただろう。しかし、先述したようにそれを跳ね除ける「力」「団結」「独立性」があったし、均一性、同一性を求める「国民という概念」がなかったからこそ存続し得たのだ。また、国家権力、地方権力、宗教勢力、民衆(これもまた幾つからの共同体に分かれている)などが分離しており、そのパワーバランスの上でアジールが維持できていた。
 近代国家は「国家内の人間や土地をすべて統治下に置く」という建前は持っていたものの、管理されたアジールは存続していた。赤線・青線地帯(売春防止法施行後も事実上現存しているところもある)や暴力団、新宿二丁目などはその一例だろう。近代国家においてもアジールが存続できる余地はこれらの例から探れるかもしれない。
 
2,大衆とアジール

ホセ・オルテガ・イ・ガセト著『大衆の反逆』では『大衆とは善きにつけ悪しきにつけ、特別な理由から自分に価値を見出すことなく、自分を「すべての人」と同じであると感じ、しかもそのことに苦痛を感じないで、自分が他人と同じであることに喜びを感じる全ての人である 。現在の大衆は喫茶店の話から得た結論を社会的に強制しそれを法的な効力を与える権利があると思考えている 。そして現代の特徴は凡俗な人間が、自分が凡俗であることを知りながら敢然と凡俗であることの権利を主張しそれをあらゆる所で押し通そうとするところにある 。』と書かれている。つまりオルテガは大衆を=労働者としていない。社会的階級ではなく、「欲求のみを持ち、権利だけあると考え、義務を持っているなどとは考えもしない人々」を指している。
 『大衆の反逆』は1929年に出版されているが、ここに書かれている大衆は今の日本の大衆そのものではなかろうか?少なくとも日本の大衆は一貫してそうであった。敗戦後、自らの戦争責任 を忘却し、A級戦犯や軍部、政治家に罪を押し付けて、最近の「福島原発問題」では自らが原発推進に乗っかっていたことを棚に上げ東電、政府批判に終始する。この姿勢こそ大衆の行動そのものだ。
 太平洋戦争(大東亜戦争)だって国民は止められた。議会が予算権を握っており、非戦派系の議員を選択するという手段があった。翼賛選挙であり、非翼賛系議員は妨害されたとはいえ、当選者が出ていることからも、議員を選ぶという形で抵抗ができたはずなのだ。また、メディアが正しい情報を流していなかったと言うが、当時のメディアの中心であった新聞が戦争に翼賛する記事に終始したのも、大衆が非戦系の新聞を買わず、戦争を賛美する新聞を買い続けた結果、売りたい新聞社側が賛美する記事を書くようになるのは当然である。自業自得なのだ。
 「原発問題」もそうだ。少なくとも1988年頃「反原発ブーム」が起き、原発の危険性は反原発系知識人から語られていた。そしてその運動は盛り上がっていた。1989年の参議院議員選挙では、社会党が第一党になったりした 。しかし衆議院では自民党に勝てず、そのブームで原発を無くせなかった。この「反原発ブーム」の時に散々原発の危険性が語られたのだ。それでも国民は原発を選んだ。ただそれだけだ。当時はメディアも原発の危険性の情報を隠してはいない。少なくとも当時の記憶のある人間は原発の危険性を知っていたはずである。にもかかわらず「騙された」と言うなど、笑止千万だ。
 オルテガの定義での大衆については、定義が広すぎるので、ここではもっと限定して『大衆』を定義したい。私の言う『大衆』とは『少数派を排除する人々とそれに無意識かつ無自覚に翼賛する人々』の総体である。この大衆が少数派を排斥する運動を起こしている。その一例がニコニコ生放送 「風俗街が消えた!?」 ニコ生ノンフィクション論 でも語られた、行政・女性団体・警察つまり大衆と国家権力が手を結び、「沖縄の宜野湾市の真栄原社交街」が潰されたことであろう。沖縄だけではなく、横浜・黄金町や東京・町田なども大衆と国家権力が手を結び、風俗街を壊滅させた。聞くところによると大衆が警察を潰させたらしい。つまり大衆が風俗アジール(少数派)を破壊したとも言えるのだ。国家権力は長い間このアジールを容認してきたし、性のアジール以外でも国家権力は、アジールとの対決よりも融和で対処してきた(暴力団への対処もその一例だっただろう)。対決して地下に潜られるよりも、融和して顕在化させる方を選択するというのは、国家権力としては当然の選択といえよう。見えるということは、管理しやすいのだ。しかし、大衆はそれを理解出来ないから、潰すという簡単な結論を導き出す。民主制国家は究極的には多数派の政治だから国家権力も大衆からの要請があれば、潰すに加担せざる得ない。これが悲しい現実なのだ。
 また、近年の迷惑防止条例や児ポ法運動なども大衆と国家権力と手を結び、自らと価値観を異なるものを排除しようとする運動の一つの例であろう。この条例に加担する人々は自らがこの条例によって縛られる可能性すら考えず、汚い物、不快なものを排除したいという欲求で押し通すのだ。
 大衆と少数派は相容れない。国家権力より大衆の方が少数派にとっては厄介である。国家権力は顕在化するアジールを容認する可能性が高い。過去のマイノリティー運動は国家権力との対決路線をとってきたが、対決路線では何も解決しない。アジールを創出して、独立し、国家権力の容認を貰うと言う形でしか、少数派の居場所を作れないのではないと思う。国家権力との連携にこそアジールの活路があるのではないかと感じてならない。

3,アナーキズムとコミュニタリアニズム

アナーキズムの語源はギリシャ語の「anarchos」で「支配者のない」を意味し、本来なら「無強権主義」と訳すべきで「無政府主義」と訳すべきではない と語られることがあるように、アナーキズムは秩序などを破壊して北斗の拳のような世界を構築する思想ではない。自主管理から生まれる無政府自治の精神から出てくるものである。アナーキズムは『積極的な「人間信頼」の立場に立ち、人間は本来的には善的なものであり、障害がなければ幸せな人間になれる。しかし、人間性を歪める抑圧の制度があるため、人間を歪め、社会も悪くなってしまう。抑圧制度の最もなものが国家である 』というのが前提となって成り立っているのだ。
 私が影響を受けた著作であるアミタイ・ エチオーニ著『新しい黄金律(ゴールデンルール)―「善き社会」を実現するためのコミュニタリアン宣言』から読み取れるアミタイ・エチオーニ氏の共同体主義も同じ前提で成り立っているように思える。『善き社会とは社会的な美徳(秩序)と個人の権利とを、生かすような社会であると規定し、善き社会では秩序と自律のどちらか一方を「最大化する」というよりは、秩序と自律とのバランスを注意深く維持することが必須であると主張したい 』としている。彼はこの原則を『村から各国の国民(夫婦、家族、趣味サークル、世界全体)までのあらゆる集団を含む。コミュニティーとは(人間関係の)属性の集まりであって、どこか具体的な場所を意味するものではない 』というようにあらゆるコミュニティーに適用しようとしている。これも積極的な「人間信頼」の立場に立たないと成り立たない発想であろう。少なくとも私が日本の大衆を見るに彼らがこのようなことをできる能力があるようには考えられない。大衆は不安に襲われると『自律』を放棄して、『秩序』を選択する。近年の大衆の傾向がまさにそれである。各県で成立している「迷惑防止条例」がその例だろうし、女子高生に「すいません。道を教えてくれませんか?」などと声をかけただけで「通報」されるというのもその例であろう。大衆は権力に頼って秩序を維持しようとしている。日本の場合、統計の数値 などを見ても治安が悪化してはいない。大衆が悪化していると「勝手」に感じているだけなのだ。これは全くの他者への信頼感が失われているからであると思う。しかし、僕の実感としては、自主的に参加している共同体(友人関係、趣味)での信頼関係は失われているように感じない。私はそこに活路があるように思える(別の大きな理由は注に記す )。
 アナーキズムもそういう意味で同様で「自主的に参加している共同体」内でしか成り立たない主義であるのだろう。伊藤野枝は「無政府の真実」においてアナーキズムが空想であるという批判に対して『私はそれが決して「夢」ではなく、私どもの先祖から今日まで持ち伝えてきている村々の、小さな「自治」の中に、その実現を見ることができると信じている 』。と語り、中央政府の監督とは違う、必要に迫られて起こった相互扶助組織としての村を彼女の生まれ育った村を取り上げて書かれている。村の中で起こった「盗難事件」に関して、警察を使わず村内だけで処理した様子が描かれている 。このような共同体ができたのは共同体の規模が小さいからだろうし、長い間の付き合いでの顔見知りであるからだ。アナーキズムを国単位、世界へ広めるには国中、世界中がそうなるしかない。私はそうなるのは不可能であろうと考える。故にアナーキズムの考え、主義を利用するが、主義に完全に乗っかれないのだ
 私が考えているのは小さな共同体でのアナーキズムであるし、これはアミタイ・ エチオーニ氏の共同体主義とも方向性としては似通っていると考える。要するに信頼関係を前提とした『主義』という点で同じであり、信頼関係が成り立つ間においてでしか成り立たない。小さな範囲に限定されると思えてならない。つまりコミュニティーを小さく分離していく必要があるだろう。そしてそのコミュニティーが「アジール」と呼ばれるものになるのだ。そのアジールは「癖」や「趣味」「思想」などで連帯したものになるだろうし、その連帯はシュティルナーの言うようなエゴイストの連帯的な共同体を道具として考えるような連帯、いつでも離脱可能な連帯が一番良いのだろう。複数に所属するようなものが望ましい。アナーキズムやコミュニタリアニズムの考えを否定しながらも取り入れることによりアジール論が作り出せるのではないかと私は考えている。

4、アジールとファシズムとの近似

ファシズムとはイタリア語のファッシ(束、集団、結束 )にイズム(主義)を付けた言葉である。日本においては軍国主義とか誤った訳で語られるが、直訳するなら、結束主義となるのだろう。呉智英は『封建者かく語りき』において皮肉混じりに「とにかく、ただただ悪いファシストという種類の人がいる。この人は、常日頃から、戦争とか侵略とか少数民族抑圧とか管理社会化とか悪いことばかり考えている。何故悪いことばかり考えているかというと、それは当然、その人がファシストだからである。その人は何故ファシストなのかというと、決まってるじゃないか、悪いことを考えている人だからである。とにかくね、いるんです、悪いのが、ファシストっていう 」と語るように、 ファシズムは単なる悪という、イメージのみで語られることが多い。
 しかし、ファシズムを勉強してみると違った姿が見えてくる。ファシズムの創設者ムッソリーニなどは、左翼、しかもアナーキスト寄りコミュニストであった。それが、第一次世界大戦参戦論で所属していた党(イタリア社会党)を追われて以後、イタリア戦闘者ファッシを結成、第一次世界大戦に従軍し、既存の左翼とか一線を画した運動と思想を展開した。その後、ファッシ党を設立した。 ムッソリーニはマルクスに心酔しつつも、ソレルの影響を受けていた。それが、単なる左翼ではない、ファシズムを生み出すこととなった。この頃からは「右」という自覚に変わっていったものと予測される。
 このファシスタ党というのは、面白い組織で、極左から極右、アナーキスト、共和派から王党派までを抱えていた。それもこれもファシズムドクトリン でも書かれているように、ファシズムが既存の思想のライン引きとは違うラインを引いたから生まれた結果であった。私はその共通項は『直接行動』と『反議会主義』であったと考えている。ここでいう「反議会主義」とは、大衆民主主義という意味であって、独裁公認ではない。討議、合議には、反対しているわけではない。独裁者と言われるムッソリーニも、ファシスタ党内で異論を挟まれたり、反論されたりし、最後にはファシズム評議会で政権から追われることになるなど、全く独裁権力を振るえていないのだ。
 私が注目しているのが、ファシスタ党が様々な人々を共通項があれば受け入れていたという所である。ムッソリーニなどが典型例だろうが、既存の組織に収まりきれない、パージされた、爪弾きにされた人々の溜まり場であったとも見えるのである。いわば異端の集合体であったとも言える。『権力を目指した異端たち』とも言えるかもしれない。
それに対して、先程から説明しているアジールは、『異端の集まり』であるかもしれないが、国家権力を握ろうとはしない。国家権力と距離を置きながら(敵対するときもあれば共同歩調を取る時もある)、異端の居場所を作っていた。いわば国内の自治派(独立派にも近いが独立とまではいかない)とも言えるかもしれない。要は、権力に対する考え方、距離が異なっているだけで、それ以外には、割と共通しているのだ。ファシズムの理論を使わざる得ない「アジール論」にとって、ファシズムの誤解を解くことは必要不可欠なのだ。

5、帝国とアジールそして民主政国家

多くの方々は民主共和国よりも帝国の方が抑圧的で、弾圧的だと思われるだろう。しかし、少し歴史を齧ると違った様子が見えてくる。例えば、オスマン帝国(カリフ国)が1299年~1922年まで存在していた。この国家はトルコという名を冠することから、イスラム教の国家と思われがちだ。実際、国内はイスラム教徒が多かったのは事実だ。しかしキリスト教やユダヤ教など異教徒も取り込んだ多文化共生的な国家でもあった。また、統治スタイルも、中央から総督が派遣される以外は概ね自治にに任されており、行政の余剰金を中央へ差し出せばいいという仕組みであった。
 また、ハプスブルグ帝国もドイツ系民族を中核としながらも領土の中でドイツ人、マジャール人、チェコ人、スロヴェニア人、クロアティア人、セルビア人、イタリア人、スロヴァキア人、ルテニア人(オーストリア=ハンガリー領内のウクライナ人)、ポーランド人、ルーマニア人などおよそ11の民族が共存した多民族が共生した国家であった。 むろん、宗教的には非寛容的な部分もあったが、最後の皇帝ヨーゼフ2世 の治世の時に、宗教に対する寛容政策に移行した。これら帝国は、民族主義の勃興、そして、最終的に民族主義爆発により発生した第一次世界大戦で国家の命脈が絶たれた。
 これら帝国は、民族主義の勃興、そして、最終的に民族主義爆発により発生した第一次世界大戦で国家の命脈が絶たれた。
 この二つの帝国から浮かび上がるのは共生という一種の寛容さであった(ローマ帝国やモンゴル帝国にもあったことを指摘される )。無論、帝国、王権に対する害のあるような場合は弾圧も行うが、帝国、王権に害を及ぼさない場合は比較的寛容であったといえるだろう。これらの帝国は、上下の差はあったかもしれないが、横の差はなかったとも言える。つまり、皇帝、カリフの下の平等とも言えるかもしれない。日本においても一君万民という思想があり、戦前の部落解放運動でもこの御旗の下、解放運動を起こしていたりしている。
 つまり、君主制は民族間または国民間つまり横の差別とは必ずしも結びつかないのである。横の差別とは、大衆間にあるものであるものなのである。その差別心あふれる大衆たちが権力を握るのが近代民主主義国家であるのだ。しかもこの近代民主主義国家は、帝国国家が行ったような露骨な弾圧を基本的にはしない。真綿で締め付けるかのような弾圧の仕方を行うのだ。特に現代においては巧妙であり、嫌煙権や女性の人権など正義的なものを御旗を掲げて議会を通し、法案、条例を使い弾圧するのである。先に挙げた「性アジール」の弾圧もこのやり方で潰されたのである。帝国も弾圧するが、正義を掲げたような弾圧はしない。王権や国家の不都合だから弾圧するんであって、相手の正統性を否定はしないのだ。
 要は民主主義国家における弾圧とは相手の正統性を認めない宗教的弾圧と同じなのである。苛烈にやらないため、それに気が付かないだけで構造としては同じだ。国民国家とは一種の排他性を有した国民という本尊をいただく宗教国家という見方もできるのである。民主政国家が弾圧を行う際に掲げる「人権」なる錦の御旗も国民というご本尊の経典であり、絶対的なものなのである。それに異論を挟むことはもはや異端であり、殺されはしないが、ゆるやかに排斥されるのである。
 アジールに集う面々は基本的にその国民国家からはみ出した者、はみ出しそうな者、止む終えず同化している者になるだろうが、彼らはその本尊もしくは経典を信じられない、もしくは信じようと思わない、実現しようと思わない人間になり、異端を超えた異教徒的な存在となるであろう。
 その異教徒が、存在していける空間、もしくは場所、それが「アジール」だとすれば、今の国民国家に存在し得るか微妙なところである。国民ではない違う権威の庇護のもとでしか存在し得ないかもしれないのだ。それが、日本においては皇室、天皇になるのではないかと思えてならないし、それが日本の異端の居場所を作る良い方法ではないかと思う。

まとめ

1章「近代が否定するアジール」では歴史上存在したアジールの説明と近代国家の建前と実際について書いた。少し前までは近代国家は本音と建前で運営されており、住み分けが行われてきた。だからこそ、多数派にとっても不快にならず、少数派もその場にいればそれなりの生活が営めていた。つまりマイノリティーの受け入れ場があったのだ。しかし時代が下るにつれ、近代国家が黙認してきたアジールは弾圧されて行っている。そして一部マイノリティーは市民権を獲得した例もあるが、殆どの場合、同化か差別の二者択一に近い状況に追い込まれていくことになるのである。この状況は近代国家の行き着く先であり、ある意味当然の状況なのである。リベラリズムが国民に浸透していれば近代国家でもマイノリティーが排除されにくいのだが、残念ながら日本ではそれほど浸透していないため、近代国家の「国家内の人間や土地をすべて統治下に置く」というのが「国家内の人間を同一化する」という方向に行ってしまうのである。ここで、国民をリベラリズムで染めていけば解決するのではないのかという意見もあるのだが、それは不可能である。リベラリズムに一時的に染まることはあるだろうが、それは一時的なものであり、A級戦犯や東電の例に見られるように手のひら返しされるだろう。近代国家のアジールとは大衆と隔絶した僻地なのである。

2章「大衆とアジール」では大衆の不寛容さと国家権力のアジールへの寛容さを書いた。近代国民国家とは国家権力が大衆に乗っ取られていく歴史だと思う。日本の大衆は自らと異なるものを排斥しようとするものである。裏返せば自らが異ならないようにするのだ。だからこそ彼らが権力を取るということは均一化を求め、少数派に同化か排斥かを求めてくる。個人主義化したと言われている現代の若者も「KY」という言葉を使ってしまうことからも分かるように、日本の大衆には基本的に寛容さはないと考えておいたほうがいいと思う。そしてその大衆がどんどん権力を握っていっているのが近代化の全面展開である。世論に左右される政治や裁判員制度がまさにそれであろう。これらによってますます少数派が生きにくくなっていると思う。しかし大衆にとっては自らの権力が強まっていく快感を得ているのだろう。しかし、彼らは一時的な感情でしか動いていないため、結局混乱を呼ぶだけ、現在の政治状況はまさに大衆が権力を握った結果でもあるのだろう。 大衆と国家権力を切り離し、国家権力を我々の味方にする。これが一つの解決策になるのではないかと思う。大衆が政治にダイレクトに影響を与え出す以前はアジールに今よりも寛容だった。あの寛容さを求める以上、体臭が権力を持った今の状況はふさわしくないと思う。

3章「アナーキズムとコミュニタリアニズム」ではアナーキズムとアミタイ・エチオーニ氏のコミュニタリアニズムが人間信頼に依拠した点で共通である事を指摘し、大衆にはその前提となる信頼を置けないということを指摘した。その上で信頼できる人間間においては成り立つことを認めた。そしてシュティルナー的な連帯に活路があるのではないかと提案した。アナーキズムは誤解されているしそうであり、公安の把握では犯罪者暴力集団、テロリスト暴力集団であるらしいのだが、多くの人も同様の認識である。しかし、先述したように人間信頼の思想であり、目立つのが一部暴力分子であるだけで、ほとんどのものは啓蒙家であったり、改良主義者、隠遁家であったりする。そしてこの穏健的アナーキズムはコミュニタリアニズムとかなり近いと思うのだ。

4章「アジールとファシズムとの近似」では「ファシズムとアジール」の共通点と違いについて述べた。いわいる悪とされるファシズムがそんな単純なものではないことを、ムッソリーニと彼が組織したファシスタ党に触れながら述べた。ここで注目したのは、異端の集いではなかったという点である。異端の集いという点では「アジール」も共通しており、「ファシズム」と「アジール」の違いは、権力への距離ではないかと指摘した。ファシズムは異端にも関わらず権力奪取したからこそ、後世、多くの人々(民主政派)により異様な扱いを受けて、彼らのコミュニティーの存在さえも許容しない社会を作ってしまったわけだ。権力を握るというのはそれだけのリスクを背負うことであり、自分の仲間以外の国民にも責任を負わねばならないのだ。そんな責任を負えないがゆえに、私はファシストにはなれないのだ。

5章「帝国とアジールそして民主政国家」ではオスマン帝国、ハプスブルグ帝国の統治の一種の寛容さと、民主政国家の非寛容さを比べながら、帝国国家のほうが、アジールにとっては、存続しやすいことを述べた。また、民主政国家の一種の宗教的な側面を批判し、突き詰めていけば異端にとっては、民主政国家の方が冷たいことを指摘した。アジールそしてそれに所属している我々異端は民主政国家という人権宗教制国家においては存在している事自体がもはや「闘い」であり、「反逆」であり、「異端」「異教徒」である。「異端」「異教徒」である。その認識を持って、民主主義が跋扈する世界で生きていかねばならないだろう。

私は現代における「アジール」というものは、国家の管理下でしか存続し得ないと思っている。近代国家においては「アジール」に所属する成員も、アジール外の活動で生活を営むための資金を稼がざる負えず、国家の庇護を受けなければ、アジールの成員としての活動もできないのである。生活の余力を生むためにも強力な国家の所得の再配分機能が必要なのである。このまま、新自由主義が日本においても跋扈していけば、アジールの成員たちも、グローバリズムの強力な波の中で、「グローバル資本家の搾取」と「発展途上国の格安な労働賃金との価格競争のためのサービス残業」など日々の生活だけを営めるのがやっとな活況に追いやられていくだろう。その新自由主義やグローバル資本家と戦えるのは、国家だけなのである。例えば、過労死した遺族が資本家から賠償金を取れるのは、国家が背後にある暴力装置を背景に法律を使えるからなのである。
 少なくとも、会社などよりも国家は無謬性を有している。それは国家が一応憲法や法律、条例の中でしか動けないからである。我々を弾圧するような「健全育成条例」なども条例としているから動けるのである。私からすればこの法律を作っている者、つまり議員たちがこの現状を生んでいるのだと思う。更に言えば、その議員たちを選んでいるのは有権者、そして多数を構成する大衆たちなのだ。この立法府さえ押さえてしまえば、国家は我々の味方になるのである。常に味方になる必要はないし、権力を握らないと先ほど宣言しているように、権力に関しては他者に委ねなければならないのだろうが、少なくとも現状の民主政では、無理である。

大衆たちにとっても、今の政体で幸せになっているとは到底思えない。「人民の」「人民のための」「人民による」政治という有名な言葉があるが、大事なのは「人民のための」政治であって、その手段として「人民の」「人民による」政治があるはずである。その手段がうまく機能しないのであれば、手段を変えるのも一つの選択肢として存在していいはずである。しかし、今の日本の言論空間ではそういう議論は皆無である。

プラトンは理想の政治を「哲人政治」として様々な試みを行ったが、民主政の枠組みを乗り越え、そういう試みを行うのも有りだと思う。私は「哲人」達の合議制が理想の政治体制である。その中で、官僚たちはその手足となって働き、国家を運営するのである。その国家はサファリパーク的なものになるだろう。国家は統治しているようで統治が見えないのである。そして、管理された中での競争は一応存在してはいるが、完全な弱肉強食ではない。保護の中での競争なのである。そのサファリパークの中で様々な「アジール」だけではなく、「会社」などの様々な共同体が切磋琢磨し、枠の中で自由を謳歌できるような形が良いのではないかと思う。枠があるから自由ではないと言われるかもしれないが、枠の外に出ると自然状態の弱肉強食のガチの殺し合いの世界が広がっている。その中の自由など強者しか生き残れない。そのような世界で生き残れるのは一部のものだけだろうし、強者だけが自由を謳歌できるような世界は私は納得できない。であれば、私は管理下ではあるが、管理下の自由を選ぶ管理もなるべく見えない管理にすべきだろう。
 見えない管理と豊かな生活と自由、東洋ではそれを「鼓腹撃壌」と言ったし、バクーニンの言う「見えざる独裁」もそうと解釈できるかもしれないが、 まさにそのような国家こそが目指すべき国家ではないかと思うし、その国家にこそアジールは存在し得るのではないかと思う。

今回、『アジール「雑論」』というタイトルを選んだのは、「アジール」について、まとまっていない私の考えを章ごとに細切れでお伝えするためである。

アジール学んでいて思うのが、「近代制民主政国家」とそれに付属した「近代資本主義」というものは個々をアトム化して、バラバラにした上で、国家という箱に無理やりぶち込んでいるということである。
人々をコミュニティーから乖離させておき、国家という大きな共同体にぶち込んでいるのである。これは政府が意図して行なっているものではなく、民主政と近代資本主義を行なっている以上、自然と起こるのであり、仕方のないものだ。
 そのバラバラになった個は、不要に無自覚に、そして無謬の正義感で、他のコミュニティーを蹂躙する。それが第2章で書いたような事態を創りだすのだ。要は、他の共同体には他の共同体の理屈や倫理観、価値観が存在するにも関わらず、アトム化して、それに無自覚な輩は、その自らの正義感を使い、アジールに侵攻してくるのだ。その侵攻に対して我々は我々もまた「正統」であるというという旗を掲げ言説で反論する必要がある。つまり言論闘争を経てある程度のコミュニティーの自治を認めてもらわなければならんのだ。
我々は今回取り上げた反近代、アナーキズム、ファシズム、帝政など現在の政治制度から逸脱した歴史の叡智から学び、歴史に依拠した新たな枠組みを作らねばならない。我々はまずペンを持って、異端ではなく、「正統」であることを示さねばならない。「正統」であるという錦の御旗を掲げてこそ我々「異端」「異教徒」は、居場所を獲得できるのではなかろうか?そのためには、「学び」「思惟」という己との「闘争」「闘い」を行わねばならないのだろう。

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