『歯車』
朝、いつもより早く目が覚めた。手探りで枕の下のスマホをつかみ、Googleの検索欄に「行動への情熱」と打ち込む。約14,800,000件ヒット。いつも通り、すべて海外旅行案内か自己啓発のサイトだ。違う、俺が求めているのはそんなものじゃない。ネット上に、おれを行動へ駆り立てるきっかけは存在しないのだろうか。探し始めてからもう長い。探索のフィールドとしてネット空間は無限の可能性を秘めていると思い込んでいたが、無限の可能性も、結局は有限の必然性に依拠せざるを得ないのだろう。抽象的であれ、存在である以上、その存在の成立はある必然性によって支配されていることをうまく証明しているじゃないか。ネット上に無いとなれば、その裏に潜む無数の意識にも、世界の隅々まで探しても、やはり、どこにも存在しないのだろうか。あるのはただ似て非なるものばかりだ。探すという行為自体を行動と見なさない限り、おれが頼れるのはただ、あの一冊の書物、背表紙に白く文字が光る、赤い箱に入ったあの本・・・
その本に出会ったのは、この町に来て最初の梅雨を迎えた頃だった。おれはその本の著者の作品をいくつか読み終え、彼の出発点となったそれの存在も、わずかながら意識し始めていた。だから、ふらっと立ち寄った古本屋で、積み上げられた本の下敷きにされ、風化した箱の赤を目にしたとき、「ああ、よかった。我が兄弟、ずいぶん遅いじゃないか。さあ、早いとこ取り出してくれないか。」本の声を聞いたような気がした。おれの手は意思を宿して動き出し、気がつくと既にそれはおれの掌に。赤い箱は粘りつくような感触で、おれの指は少しべたつく。どうやらたくさんの手に触られてきたらしい。まるで、おれの手に、その赤が浸透してくるようだった。家に帰ると、すぐに箱から取り出し読み始めたのは言うまでもない。
こうしておれの、《斯く在る》ことの探求が始まったのだ。今、ベッドに横たわるおれの存在は、いかにして《斯く在る》のか。いまや、その箱の赤は、部屋いっぱいに広がり、おれの内部まで浸透している。赤―昇陽、斜陽、砂漠、紅葉、血―で構成されたおれの内部世界。ただ赤だけで分節化された世界。そのなかで、おれは一個の人間として、いや、人間とまでいかなくても、せめて存在として、分節化された〈何か〉として定義し得るのだろうか。この探求が始まってから、おれはもう世界と半ば混合している。世界観というものが再帰的に、今この文章を記述していく誰かの脳内に作用し、その世界観に内包されていく。こいつ、また無限後退を始めやがった。これは悪い癖だ。長いこと人と話していないせいだろう。
自分でも正しく認識できない不定型な《何か》の形を求め始めるには、太陽が赤い天を演出する、ちょうど今、朝が最も適しているのだ。天の赤がおれと世界の境界を曖昧にし、新鮮な赤を内部に流し込んでくれる。今から始めれば、次第に現れる空の蒼がうまい具合に、火照った輪郭を明瞭な線へと収束させるだろう。いつもより空が燃えている今日は、おれの内部に燻る赤への衝動をかき立てる。曖昧な身体を、燃え上がる朝陽のハンマーで堅固な形にたたき直すつもりで、ベッドから起き上がった。
結局、窓ガラスを刺して殺到してきた陽光がおれを行動へ駆り立てたのである。希望のほかには何も持たず、通りに出た。道行く人々はマフラーに顔を埋め、白い煙をはきながら足早に進んでいく。太陽は中腰で蟹歩きし、影を引き伸ばす。冬が来ている。澄んだ空気は伸びた影とは裏腹に、物質の原寸を際立たせ、あらゆる境界を明確にする。おれの心臓は、切り込んでくる外気に対して自己保存のために戦う皮膚に熱を送り続ける。
腕を組み、首を縮める。全身の毛が目覚め、踏ん張り始める。どうしてこんなに寒いのだろう。そうか、おれはマフラーを巻いていない。まあ、いい。今はマフラーどころではないのだ。だが、コートさえ着ていないのはどういうことだろう。どうして、コートすら着ていないのだ。ああ、今通り過ぎた女の、浮浪者を見るような目つきが網膜にまとわりつく。あまりに長いこと引きこもっていたから、季節の移ろいに気づくことができなかったんだよ。自然の変化について行けず、取り残されたおれは、その変化に必然的に付随する人間界の決まり事からも置いてけぼり。なんだか寂しいじゃないか。人間界の調和には、差異が潜んでいる。差異があるから調和があり、常識が求められる。ここにある〈何か〉には、もうその差異というものが見当たらないんだ。
駅へ向かう人間の流れに逆らって歩く。とにかくおれは赤を求めている。人間がそこから生まれてくるもとのところ、そこは血をたたえた赤でなければならない。これは、過去から未来へ流れる時間のうちで、未来に先行して過去に戻ろうとする探求であり、その帰結としての現在への反戦でもある。そして現在から未来へと、また過去から現、、、
向かうさきには、ちょうど目線と同じ高さに太陽がある。目に飛び込んでくる光がすべての輪郭を曖昧にし、おれの肌を燃え上がらせる。いいぞ、いい感じだ。おれは、太陽光線にさらされて空間に溶け出していく身体の悦びを聞く。今、この〈何か〉は、太陽光線が照らし出すかぎりの宇宙空間いっぱいに拡がっているに違いない。おっと、誰だよ、こんな調子いいときに限って前から影を投げてくる邪魔者は。
「よお」
誰だっけ。見覚えはあるが、それ以上何の情報も出てこない。
「久しぶりやな。最近バイト入ってないん?」
ああ、思い出した。バイト先の先輩だ。半年前までやってた居酒屋の。
「お久しぶりです。もうバイトやめちゃって」
「そうやったん。なら見かけんはずやわ。なんでやめたん。」
「うーん、なんでですかね。」
「まあええわ。今から昼飯食おうとしてたんやけど、付き合ってくれへん?」
そのまま近くのラーメン屋に入った。何を話そうかと思ったが、よく面倒をみてくれた先輩だったから安心してしまう。先輩は白玉、おれは赤玉を頼んだ。お前は赤が好きだったっけと先輩に笑われる。
「お前、何かといじりがいがあったから、いなくなったの残念やな。」
「すみません」
「特に問題もなさそうやったし、なんかあったん?」
「いや、本当に何もないんですよ、むしろ何もないことが問題で。」
しまった、うっかり口をすべらせてしまった。おれの考えてることはおそらく他人に話しても何も生まないし、話すべきでもない。眉をひそめ、ぐっと水を飲んでごまかそうとしたら、思わぬ返事が返ってきた。
「お前もそうなんか。」
「え」
「いや、俺も今、就活中なんだけど、もうそろそろ人生終りなんじゃないかなって思って。普通に就職して、金稼いで、結婚でもして、子供育ててさ。幸せなのは分かるぜ。でもさ、なんか違う。なんというか。」
「虚無感ですか。」
「そう、虚無感。何に対しても。なにやっても身に入らない感覚。あの、部活とか、好きなものに夢中になってた頃の自分も、いつかは変わってしまうってことを学んだからなのかも。」
「なるほど。なんか意外です。先輩は自分よりちゃんとした人だと思ってたので。」
もちろん「ちゃんとした」に肯定的な意味を込めているわけではなく、うまく社会に順応した、という意味にすぎない。自分はそういう、会社でばりばり仕事をこなして、いきいきと生活する「良識的サラリーマン」を嫌悪し、軽蔑していた。あんなのは自己喪失の果ての、外面の形だけ保った中身のない抜け殻に過ぎないと。だが、そのような「良識的サラリーマン」のカテゴリーに属するはずの先輩から、こんな話を聞くのは本当に変な感じだ。もちろん、おれの絶望ほどは深くない。と、こんなふうに語ることすらもう耐えられないのがおれの絶望だ。こうやって、他人を勝手に敵に仕立て上げ、差別化をはかり、憎悪を内側に増殖させた結果が、今のおれのがらんどうさ。しかし、あんなにいきいきと仕事をし、順風満帆な人生をおくるだろうとおもっていた先輩が、こんなふうに話して隣に虚無に沈んでいるとは。普通に生活していれば、なかなかこんな思想にいたることはないと思っていた。現代は目の前にいろいろな楽しみが準備されていて、いくら消費しても消費し尽くせない。文学や哲学のなかにしか、こうした人生の側面に目を向けさせる力は無いと思っていた。それは自分の偏屈な経験則でしかないのかもしれない。実地で生きる人間も、人間である以上、そうした展望に引きつけられる可能性は誰にでもあるし、むしろ日常に没入すればするほど、その機会は増えるのだろうか。しかも先輩の話はかなり本質的だった。一度決断をしても、俺たちは持続に耐えられず、また別の決断を求める。その循環構造に先輩は気づいてしまった。そしてその果てのなさにうめいている。
おれはまさにその循環から抜け出すことに必死だった。もしかしたらこの人とは話が合うんじゃないか。
食後のたばこの煙を眺めながら先輩はアンニュイな顔をする。
「社会の歯車になりたくないってかんじですか。」
「それもあるかな。でも、俺たちはもう歯車なんじゃないか。社会とかそういう以前に、もう人間としての機能が埋め込まれてて、食って、寝て、子供産んで、それだけじゃなくて、理想とか信念とか、余計なものまで設定されて、そこから逃れられない。しかも、生きている限り必ず明日がやってくる。その構造の中で俺たちは生きるしかなくて、その歯車がときにガタをおこす。」
「そこで、自分の中の歯車の存在に気づくんですね。」
「そう、お前みたいに頭のいい奴らはそこでギアを組み替えたり、歯の数をかえたり、とにかくいろいろ工夫するんだろう。で、次第にそれが楽しくなってくるわけだ。楽しめてるうちは幸せだろうな。でもさ、例えば、生活すべてを崩壊させるような出来事、たとえば津波とかが自分の命以外のすべてをぶっ壊したりしたらどうなるんだろうな。ちょっと飛躍しすぎたけど、自分のなかの歯車に目を向けないわけにはいかなくなる。」
「そもそもなんで歯車があるのか、って問いがうまれそうですね。」
「うん。歯車って、他の歯車とかみ合うためにあるわけじゃん。他者と相互に動かしあってる。つまり、独りじゃなにも出来ないってわけ。でもさっき言ったみたいに、周りに自分以外の人間がいなくなったらどうなるんだろうな。」
「無理矢理にでも他者を見つけ出すんじゃないですか。」
「それができればいいがな。」
「たぶんそれは人間じゃなくてもいいと思いますよ。石ころでもなんでも。」
「それは言えてる。まあ、おれはまだ人間と関わっていたいけど。机なんかと歯を組み合わせたりしたら、まるで自分が椅子になったみたいで嫌だろ」
「確かに。」
「で、たぶんその構造に絶望してしまってるのが今のおれで。思い込みに過ぎないかもしれんが、間違いとも言えないよな。」
「でも、そうなるとかなり絶望的じゃないですか。どうも人間やめる必要がありそうですね」
「まあ、人間に生まれた以上、これからも人間でやっていくわ。悩んだって何も始まらねえよな。」
「そうですね。」
うまく煙に巻かれてしまった。なんだかんだ先輩は楽観的だ。なんとかして人間に合うように歯車を調整している。
「たぶん、俺の悩みよりお前ののほうが深そうだけど、一つだけ言えることがあるぜ。生きてりゃ勝ちってことなんだけど。」
ラーメン屋をでてから先輩と別れた。別れ際、先輩はいつもの陽気な笑顔に戻っていた。たぶんもう会うことはない。だが、この出会いは、おれの経験に一筋の影を落とし続けるような予感を抱かせた。
歯車。この発想はなかなか面白い。今の俺は、存在するものすべてと一緒に、一つの大きな歯車を構成していると言えるかもしれない。俺にとっての他者は存在で、それはもはや他者ではなく自己でもない。存在としかいいようがない。あるいは、赤とでも。だが存在の歯車はなにを動かし、何に動かされるのだろう。まさか、存在の外にある無。
なんにせよ、永遠に動き続けるエンジンでもないかぎり、歯車はなにか別のものの存在を条件として初めて成立するわけだ。案外、永久機関の欲求は本能の産物と言えるのかもしれない。それは孤独に動き続ける自己完結の運命を背負わされた歯車だ。そこに他者は必要ない。所詮それは、歯車からは逃れられないという絶望的な意識が生み出した幻想だろう。だが存在の歯車を知ってしまった俺には、もう歯車はない。そのことを先輩に話しておきたかった。
たぶん、かろうじて残っていた人間としてのおれの歯車と先輩の歯車が合致したんだろう。だが、歯車の歯が完全に一緒なんてことはありえないから、いつかずれ始める。逆回転を起こすことだってざらにある。おれには、そのずれを受け入れて、自分の歯を歪曲してまで人付き合いを続けることができなかった。可能性はあったのに、しようとはしなかった。そうやって甘んじているうちに、より大きな歯車があることにたまたま気づけたからよかったものの、もし、見つけることができなかったらと思うと怖くなる。おそらく、おれの歯車は停止して、もう無に帰ってしまっていたはずだ。でも、ここまでの論理にしたがえば、見つけられないなんてことは絶対に無い。歯車である以上、ほかの歯車がないなんてことはないのだから。行動に訴える必要なんてなかった。さっきまで、おれは情熱を外部に求めてさまよっていたが、ただ待っているだけでよかったのだ。そうすれば、どこかにある歯車が俺と噛み合って俺を動かし始めるに違いない。
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