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【ミクロコスモス】 卵, 始めました【鶏が先か卵が先か?】

こんにちは. ヤク学長です. 本日は、卵についてのお話. 

卵は見る人によって色々な発想をもたらしてくれる. 


卵のマクロ的・ミクロ的観察

「たまご」

卵の見た目はどっからどう見てもつるんとしている. 実際に触ってみるとなんとも硬い.

形状は完全に球体ではなく楕円形とも言うべき形をしている. 転がしてみると, コロコロ転がり一周して元の位置に戻ってきた.

今度はミクロ的に観察してみよう. 殻は炭酸カルシウムから出来ていて、無数の小さな穴が開いているようだ.

気孔と呼ばれる穴から炭酸ガスが発散されている. ぷしゅ――. 殻の内側には膜があり, ケラチンと呼ばれるタンパク質で構成されている. なんとも触り心地の良い. どうやら元々膜と殻は区別されておらず, 外界の空気に触れ冷却された結果, 硬い殻に覆われ内と外の世界が分断されたようだ.

膜の内側には白い海が広がっている. 卵白と呼ばれるらしい. 新鮮なうちは炭酸ガスを多分に含んでいるため若干黄色みは薄い.

空気も僅かに存在している.

広大な海を泳ぐと黄色い粘弾性のある黄金のような島にたどり着く. 卵黄と呼ばれるジパングだ. 成分は全ての必須アミノ酸が含まれているらしい. パラダイスのような場所を歩いていくと生命の原石のような物質が見つかる.

胚だ.

胚とは主に多細胞生物の個体発生の初期段階のことを指す. つまり最果てには生命が健やかに眠っていた. 

人々は何故、卵に惹かれるのだろうか?

沢山の偉人達は卵を神秘的なもとの捉え、格言なり名言に残している.

本日はそんな神秘に触れる会. 

東洋的な「卵」

日本には卵にまつわる格言やたとえが残されている. 調べてみると以下のような格言があるようだ. 

・卵で塔を組む
・卵の殻で海を渡る
・危うきこと累卵のごとし

どうやら東洋の格言は, 卵のもつ性質から危険なことを知らせる「たとえ」や「不可能」なこと、予感じみたものに引用されている. なんとも内向きな感じだ. 長らく鎖国をしてきた名残ともいうべきなのか. 

西洋的な「卵」

へルマン・ヘッセの詩集からひとつ

『鳥は卵からむりに出ようとする。卵は世界だ。生れようとする者は、ひとつの世界を破壊せねばならぬ。』

鳥はどうやら外に出ようとしているようだ.

我々,日本人は無理やりにでも外に出ようとしている者は少ない. 西洋は真逆の装いをみせている. 多くのものがこの「殻」の中に依存しているのは、殻の中が「安全・安心」だと思っているからである. そこは安息の地.

なぜ鳥は外に出ようとしているのか. それは, この世界に安全な場所など存在しないと本能的に分かっているからではなかろうか. 災害や環境, 突発的な事故が発生するかもしれない. 自然に帰るように殻という自身の安息の地を破壊するのだ. 殻の中は温度も適切だし, とても心地の良いパラダイスだ.
でも、外に飛び出していく. 

ペネロペ・ピューターの名言からひとつ

たまごは、外側からの力で壊された場合、命は終わる。内側からの力で壊された場合、命は始まる。偉大なことはすべて内側から始まる

この名言も、感覚的に外に出ることを推奨している. 自分の思いを抑圧し、同調圧力に屈した結果、社会は消滅していく. まるでそんなことを予言している.
自分の内から湧き出る衝動に駆られ, 一歩前に進み出たる者は命が始まる. つまり自分の可能性を信じる気持ち, 自己肯定感を高めるような精神的なものに「卵」を用いることが伺い知れる. 

主題:「鶏が先か、卵が先か」について

この言葉は, 因果性のジレンマとして良く使われる言葉だ. 鶏とタマゴはいったいどちらが先にできたのか?という問題である. この疑問の源流を辿っていくと, この世界の命がどのように始まったのか?という疑問に行き着くものだ. 

ビジネスの場面で使われるときは、どちらが先なのか?という発端を同定しようとする無益さを突き詰める時に用いる. しかし、メタ認知としての視点から眺めてみると、この問いはジレンマにつながる形而上学的問題に絡んでいる. 

ここからは, あらゆる学問の立場から鶏がさきなのか卵先なのかの見解をみる

【統計学】立場:卵が先

統計学においては, サーマンとフィッシャーのグレンジャー因果性を使った研究が参考になる. 内容はアメリカ合衆国の卵の生産量と鶏の飼育数が検討をしたものだ. (※グレンジャー因果性:ある時系列のデータから別の時系列のデータを予測できるか調べる)
年ごとの「卵」の生産量と「鶏全体の頭数」を比較してみた. その結果, 卵の時系列が持つ情報から鶏の頭数を予測できた, しかし, 鶏の数から卵の数を予測できる逆の関係は無かった. そのため, 「」が先であると結論付けた. 

【遺伝学】立場:卵が先

動物は母親の卵細胞と父親の精子のDNAが受精することで配偶子として新しく生まれる. DNAをみると動物を形成する全ての細胞は同じDNAを持っている. 祖先はどうかというと鶏の祖先種の両親が交配した結果, 最初の鶏を生じる突然変異が起こり, 配偶子のDNAが形成されたようだ. つまり, 鶏ゲノムを持つ最初の鶏は, 最初の鶏の「」から発生した。

【生化学】立場:卵が先

生科学の分野でいうとovocleidin-17 という鶏のタンパク質が存在している. このタンパク質は卵殻の初期形成の際のカルシウムの沈着に重要な機能を果たしている. このタンパク質は卵から獲得されたとわかったのだ. つまり、なんらかの突然変異によりovocleidinを最初に獲得した鶏は「」から発生した. 

【神学】立場:鶏が先?

ユダヤ教とキリスト教の教典を見てみよう. 教典には世界の創造について触れており, 鳥の創造についても述べられている. 神は鳥を創造し, それらに産み殖やすよう命じたが, 卵については直接の言及が無い. 創世記から解釈すれば, 鶏が卵より先ということになる. 
ちなみに, ヒンドゥー教の教典の場合は, 神が原人から鳥を創造したと記されている. 


【循環時間論】立場:何者も最初ではない

仏教をみてみよう, 仏教の概念に輪廻転生という観念がある. 命あるものが何度も転生し, 人だけでなく動物なども含めた生類として生まれ変わることとされている. 彼らの時間観は, 永劫回帰の概念と結びつけることにより, 「どちらが最初か」という問いに一風変わった答えをもたらす. 時間が永遠に繰り返されるとするならば, 「最初」は存在せず, 創造もない. ゆえに何者も最初たりえない. 循環する時間において, 「最初」は存在しない. 

要するに科学の視点から考えると「卵が先」ということになりそうだ. 

今回は卵にまつわる概念や格言を集めてきた. 

日本の感覚から考えるとやはり島国とも言えるような感覚が卵の印象にも反映されている. 外に出ることは不安だったり何か危険の予感であるようなイメージだ.

反対に西洋は内から外に出るイメージとも言うべき格言が多い. どことなく外に出る喜びにあふれている. 更に, 鶏と卵はどちらが先かという因果のジレンマともいうべき問いに答えるために様々な学問の見解をみてきた. すると最終的には東洋的な輪廻転生に行きついてしまった. 

卵は不思議とあのような楕円の形になり, 転がすと大きく円を描き元にもどってくる. まさに, 人間模様, 社会模様, 環境形態,,どこもかしこも輪廻を繰り返しているようではないか.

今年一年を振り返るとウイルスやらで外に出る事がなかなか難しい社会になってしまった.  今後は, 果たしてメタバース的な世界として精神だけは電脳の回線に溶け込んでいくのだろうか. そうやって仮初の外に出でいくのだろうか.
行きつく先がディストピア的な世界線に進んでいるのか興味深いところではある…とまあ, そんなことを考えながら卵を今日も食している.  


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