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42.人生で付きまとう評価

仏教のお勉強(今回は行為=インドの言葉でカルマ カンマ)

仏教とは、本来実践哲学なので、日々の生活で実践して役立てないと意味がない。

人間は他人に会うたび、この人は自分に害を与えないか 一緒にいて楽しい人か 自分にとって役に立つか などを考え、評価するしされる。例えば、通知表や人事評価などを避けることは基本出来ない。

評価基準は、顔や体型(偏見だがデブは怠慢とか)・言葉・表情・仕草・職業などあるが、特に大事なのは行為だと仏教では述べる。

人間は法に触れたりしなければ、口で嘘ついたり頻繁にするが、行為で嘘をつくことは基本しないししたくない。単純にハードルが高い=辛い。辛いことを極力避けるのが人間である。

例①上司に奢ってor妻に作って もらったものが不味過ぎて食べられないとき、食べきって美味しかったです と言うより、体調が悪いんですと言って食べない方がハードル低い(但し、妻・上司との関係や食べ物勿体ない は考慮しない)。嘘の行為をするより、口で嘘をつくほうが楽。
②勉強嫌いな学生が親に勉強しろと言われても勉強してると嘘ついて実際にしないことが多々ある。逆はない。

③古今東西、議員や役所の公務員などは民の為に頑張りますと嘯くが、行動は逆である。口ではなく行為に本性が出る。
④平等が大切 とか心にもないことを平気で言う寺の人間を考えてみる。宗教法人法という最強の利権(学校つくれる、教義に反したリスクなしのぼろ儲け墓地ビジネス、所得税以外課税されない)を独占利用して私腹を肥やすのが基本。本当に平等が大切なら、不平等・理不尽を他の人に与える宗教法人法を改正すべきである。口で平等と嘯くことには罰も無く罪悪感も感じない人たちなので嘘をつくのは楽であるが、行為で平等を体現するのは自らの利権を手放すことになるのでキツイ。

嘘をついたり素行が悪く信用に値しない人(最頻出は僧の生活をしないのに僧を騙る人)とは親近するな と口酸っぱく経典に書かれてる事実大事な教訓なのに実践されてないから、口酸っぱく注意する。

結論

真のすがた(本性、本音)は行為に表れるので、自他を評価するとき行為を観察することが大事。現実はもっと複雑だけど、意識しておけば、明らかに品性下劣な人やペテン師は判別可能。

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