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健全な社会で生きる権利(不当な扱いを受けない為に必要)は事実上侵害されているという話
2020-2-001
サイコパスに関するスレへの投稿内容:
分業の割り振りが的確かどうかで、
社会を生かせているいないに差を見るなら、
不利益や損失が妥当に割り振られ引き受けられてる状態からの乖離も、
社会不全と言えるはずです。
その乖離を齎すのは悪意というより、
場の本質に即した扱われ方を、
健全(修正の行き着く先)関係の原理と見てない事によると思われます。
実際、
面倒な事は避け美味しいとこだけ貰う、という多かれ少なかれ誰でも持ってるだろう望みを、
対人や対仕事でナチュラルに行動原理レベルで反映(人や仕事を足場扱い)させてる例も、
逆に、
自身の専門領域での劣化回避の拘りが、理想と現実(場)の関係における、
確からしい原理(抽象化と具体化条件割り出しの最大限追究)を欠く為に、暴走してる例もあるわけです。
愛や許しは上の扱われ方と無関係に持ち出され謳われてきたわけですが、
妥当な(その場その場の代替不可能な固有性に即した)扱いに応じないアンフェア主体による、
事実に耐えられないという訴えにも、
善意から応えるケースがある以上、
問題点を的確に捉えた批判という、健全な社会で生きる権利の行使の、
実質否定(己や所属の、的確に割り出された非を認めない態度)が、
善意からもあると言えます。
この否定は人権保障(アンフェア主体も保障)の次元でも見られるので、
不当な扱いを生じさせない為に健全な社会を求める、
というロジックがそもそも、
何をもって不当な扱いと見なすか、不健全と見なすかに関する誤解という、パラダイム由来の制約を受けてる形です。
近代以降の世界は干渉阻止に力点のある解決センスに縛られてると認め、
明晰化(内外分離の域を出ない)された個人像や科学像の弊害である、
アンフェア主体が存在しやすい社会、
理系的捨象(同種の他との差異要素の捨象)の領域侵犯が損得感覚にも及んでおかしくない社会を、
修正し(主体の内実や捨象の対象選択を、先の健全関係の原理に基づかせ)ましょう。
ご支援の程よろしくお願い致します。