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「幸せ」の定義

今日すでに4つも投稿して、フォーミングアップが終わって、笑
ちょっと書きたいことがあるので改めて書いてみます。


「幸せ」の定義


まず僕がずっと勘違いしていたこと。

それは

幸せな人は辛いことも苦しいこともなくて、ずっとハッピーに生きている

と思っていたことです。


僕が憧れる人、(生き方が)かっこいいと思う人、大好きな友人など僕と接するときは良い面しか見えません。良い面というのは苦しんでいる姿ではなく、笑顔や普通の状態の時です。まあ当たり前ですよね。

この人はずっと笑顔なんだな。すごいな。
ずっと楽しんでいるんだな。だから僕の悩みも聞けるんだろうな。

どこかそんなことを思っている自分がいました。


でも、違いますよね。
みんな悩みがあって、みんな必死に生きていて、
みんな自分の幸せに向かって生きています。


いつこれが僕の中でお腹に落ちてきたんだろう??


自分が苦しさを共有した時に共感されることだったり、この人絶対悩んでないでしょと思っていた人の悩みに触れることが急に溢れた時、自分の中でストンと落ちてきました。(まだその根拠を集めている感覚もあるのでほぼ落ちたという感覚が近いです。)


この感覚、僕の中ではすごく大きな価値観の変化です。


この変化によって自分の感覚で選んだ先にも辛いことや苦しいことは必ず待っているという心の準備ができているような感じです。だからワクワクした決断に対して楽しさだけを見るのではなく苦しさと共にがんばるぞという感覚をもって飛び込める。こういった心の準備ができつつあるのは大きなって感じてます。


つまり、幸せと感じるかはその人次第ということ。
なんか多分そう定義づけるには色々飛んでると思いますが、それが自分に落ちつつあるのはのは嬉しいなあ。


どんな選択しても苦楽があるのなら、自分の感覚信じてみたら





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