人生ゲーム #思い出のボードゲーム

映画「ミナリ」のことを書きながら、なぜか人生ゲームのことを思っていた。


山あり谷あり、というところは、もちろんだろう。

また、アメリカ的なゲームだったからだと思う。億万長者の夢や、金銭的成功でのアガり。人生ゲームの通貨は、ドル仕立て。スタート地点で、一人一台車で出発する。

そして、人生ゲームは、家族、を連想させるから。よくもわるくも。そう言えば、人生ゲームを初めて知った頃に、育った家にはまだ車がなかった。


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人生ゲームは、兄がおしえてくれた。その兄にすすめられるまま、お年玉で買った。年末年始に、家族で何回となく遊んだ。

財を築き、車に同乗する家族を養い、幾多の試練に見舞われる。思いがけない幸運もある。貧しくなっても、ゲームオーバーにはならない。ゲーム参加者みんなが、ゴールにたどり着く。たとえ、一文なしでも。借金まみれでも。

わたしが買った版には、ゴールの手前で、大立者になるチャンスがあった。

蓄財にかかわらず、ルーレットに全財産を賭け、選んだ数字が当たれば、富のあるなしにかかわらず、大立者が名乗れる。世間の評価はともかく、自分が満足する達成感を持てる。

大立者になるという勝ち方は、小学生のわたしの好きな上がり方だった。


今、うちにある人生ゲームは、もっと新しい版で、大立者の選択肢はない。

時間のかかる人生ゲームを、子どもらと最後にしたのは、もう何年も前だ。その頃のわたしは、コツコツと貯蓄して、下から2番目くらいで上がるのが、好きだった。今より、体もずっと小さかった子どもらに、たいてい勝たせてやった。


現実のわたしは、しなくてすむならしたくないほど、車の運転が好きではない。そのせいもあるのだろうが、わたしは、人生ゲームに自分の実生活を重ねたことはない。


一度だけをのぞいて。

兄に子どもが生まれた時だ。

兄も私も結婚や家族を持つことに、ずっと興味がなかった。その兄が結婚し、親になることを心待ちにしていた。無事出産のしらせを、弾む声で聞かせてくれた。

お祝いの言葉のあと、ふと口から出た。

「おにいちゃん。人生ゲームみたいじゃな。」

感慨深く思う。兄が親になったことを。涙ぐみそうだった。

電話口の向こうで、兄が、「そうじゃのう」とあいづちを打つ。そして、続けて言う。

「わしの500ドルは?」

父になったばかりの兄は、それでも、やっぱり、わたしに人生ゲームを買わせた人だった。


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思い出の、人生ゲーム。

山あり谷あり。アメリカ的。家族、の連想。よくもわるくも。




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