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信頼関係に続く道

前回は、フィードバックをするために必要な要素である、信頼関係について書きました。


人を育てるうえで大切な、育てられる側(部下)が育てる側(上司)に対して抱く信頼関係を、育てる側(上司)がどうやって作っていくか

「人を育てるうえで信頼関係は大切である」という命題に対して、Noと答える人はまずいないと思います。でも一方で、「では信頼関係はどうやって作っていくのか」という問いに対して、明快に答えられる人は少ないのではないでしょうか。

人を育てるうえでの信頼関係というのは、総論(概念)では賛成、でも各論(手法)は答えに窮するという類のものです。「頭ではわかっている」から一歩進んで、「現場で実践できる」に近づけるように、今回も信頼関係を分解してみようと思います。

そこで、信頼関係には4つの「感じ方のパターン」があることを紹介しようと思います。「こうすれば絶対に大丈夫」ということは言えないけれども、手探りのしどころくらいにはなると思います。本人の目に映る景色を想像して、4つの信頼関係のパターンがその景色のなかに映り込んでいるかを考えてみてください。

「あなたの印象」円グラフを部下に描いてもらう』より

今回は、2つ目のパターンである「私のことをわかってくれている」という信頼関係のかたちです。

2種類の声かけ

まずは、自分に引き寄せて考えてみましょう。あなたはどんなときに「ああ、この人は私のことをわかってくれているな」と感じるでしょうか。

「私のことをわかってくれている」に至る道筋にはいろいろなものがあると思うのですが、そのひとつは、「あなたはこんなふうに考えているのかな?」と、こちらの「考える道筋」をずばり言い当ててくれたときではないでしょうか。

A)毎日遅くまで残って大変そうだね。最近入った◯◯さんに仕事を覚えてもらおうと思っていろいろサポートしているうちに、自分の仕事が後回しになっちゃったりしてない?

B)やってもらったエクセルの集計作業、ちょっと間違ってるんだよね。集計元のデータってどこから取った?もしかしたら、僕が「最新のやつ使って」って言ったから、このファイル使った?

「毎日遅くまで残っている」または「頼まれた集計作業が間違っていた」部下の立場になったときに、上司のこんな言葉を聞いたらどう感じるでしょうか。

では、こんな声かけだとどうでしょうか。さきほどのA、Bと比べてみてください。

C)毎日遅くまで残って大変そうだね。いつもなにやってるの?

D)やってもらったエクセルの集計作業、ちょっと間違ってるんだよね。集計元のデータってどこから取った?

同じ場面のはずだし、冒頭の言葉は同じなのに、さきほどのA、Bにくらべて、なぜだか突き放された印象を受けないでしょうか。

A/Bと、C/Dの違いはどこにあるのでしょう。

「伝えたこと」と「受け取ったこと」

A/Bと、C/Dの違いは、相手の「考える道筋」について言及しているかどうか、なのです。

A)毎日遅くまで残って大変そうだね。最近入った◯◯さんに仕事を覚えてもらおうと思っていろいろサポートしているうちに、自分の仕事が後回しになっちゃったりしてない?

B)やってもらったエクセルの集計作業、ちょっと間違ってるんだよね。集計元のデータってどこから取った?もしかしたら、僕が「最新のやつ使って」って言ったから、このファイル使った?

一方で、C/Dは、こちらの疑問をそのまま投げつけています

C)毎日遅くまで残って大変そうだね。いつもなにやってるの?

D)やってもらったエクセルの集計作業、ちょっと間違ってるんだよね。集計元のデータってどこから取った?

でも、「残業続き」「集計が間違っている」という望ましくない事態が起きているわけなので、その理由を問うことは当然のことですよね。

ところが人間の感じ方というのは難しいもので、伝え手の意図とは裏腹に、C/Dの言葉(言語情報)が言外(非言語情報)に運ぶメッセージというものがあります。

それは、「あなたは間違っている。私には間違う理由が理解できない(ほどに、あなたは無能である)」というものです。本人からすると、「間違っているという事実」を持ち出されたあとに、こちらが「手ぶらで理由を問う」ので、間違う理由が「こちらには理解できないほど」に、本人とこちらの間には「距離がある」というメッセージに誤訳してしまうのです。

アンバランスが誤訳を生む

人を育てる過程で、育てられる側が、育てる側の言葉を誤訳してしまうケースというのは少なくありません。

◆「報告しない」→「◯◯しない」(不作為)
◆「1人で抱え込んでしまう」→「抱え込む」(ネガティブ・ワード)「◯◯してしまう」(悪意)
◆「中途半端な状態で提出する」→「中途半端」(ネガティブ・ワード)
◆「これくらいでいいやと思っている」→「◯◯でいいや」(怠慢)
◆「主体性がない」→「◯◯がない」(不存在)

育てる側が育てられる側について語るときの言葉遣いには、上のようなメッセージが暗黙のうちに埋め込まれていることが多いです。

相手の靴を履く』より

育てられる側というのは、基本的に「仕事ができない側」です。育てる側が感じる以上に、彼/彼女は常に、不安申し訳なさの中にいます。育てる側と育てられる側の間に横たわる無意識のパワー・バランスが、育てる側の言葉から言外のメッセージを嗅ぎ取らせてしまうのです。

対等な他人

無意識のパワー・バランスのなかで育てる側が取るべき行動というのは、「いやいや、私たちは対等だよ」と口で言うことではありません。相手が自分と対等であるならば、相手の考えを尊重するはずです。相手の考えを尊重するというのは、相手の考えに同意することではありません。まずは相手の考えを知る、もっと踏み込んで言うなら、知ろうとすることです。相手の考えを知ったあとに、その考えに対してYes/Noを返すのは自由です。まずは、知る、知ろうとするところまで。こちらの「知ろうとする態度」から、相手は「私たちは対等だ」という言外のメッセージを嗅ぎ取るのです。

相手の考えを知るためとはいっても、「手ぶらで理由を問う」ことが悪手であることは、先ほど書いたとおりです。育てる側は、相手の靴を履いて、相手の行動の理由を仮説する必要があります。

では、「育てられる側(本人)の目」には、どのように映っていたのでしょうか。本人の目に映る景色を想像するところから、「信じる」が始まります。

◆「報告しない」→「◯◯ができてから報告しよう」
◆「1人で抱え込んでしまう」→「なんとか自分でやり遂げよう」
◆「中途半端な状態で提出する」→「何度も確認したから提出しよう」
◆「これくらいでいいやと思っている」→「自分が期待されてることをしっかりやろう」
◆「主体性がない」→「自分に求められているのは◯◯だからそれをがんばろう」

こうやって本人の目に映る景色を想像してみると、どのケースも本人は何かを「しよう」としている。ただし、「何を」「どれだけ」「どうやって」するかという期待値があなたとズレているために、仕事としてうまくいっていないわけです。

相手の靴を履く』より

冒頭でこう書きました。

あなたはどんなときに「ああ、この人は私のことをわかってくれているな」と感じるでしょうか。「私のことをわかってくれている」に至る道筋にはいろいろなものがあると思うのですが、そのひとつは、「あなたはこんなふうに考えているのかな?」と、こちらの「考える道筋」をずばり言い当ててくれたときではないでしょうか。

実は、「言い当てる」、すなわち、「正解を出す」必要はないのです。言い当てるのではなく、「私はこう考えるのだけど」という仮説を相手に「問いかける」

A)毎日遅くまで残って大変そうだね。最近入った◯◯さんに仕事を覚えてもらおうと思っていろいろサポートしているうちに、自分の仕事が後回しになっちゃったりしてない?

B)やってもらったエクセルの集計作業、ちょっと間違ってるんだよね。集計元のデータってどこから取った?もしかしたら、僕が「最新のやつ使って」って言ったから、このファイル使った?

自分と相手は対等です。と同時に、自分と相手は「他人」なのです。「他人」だからこそ、テレパシーは通じない。「伝わらない間柄」だからこそ、「伝えようとする姿勢」を持ち続けることが、両者をつなぐためには必要。「伝えようとする姿勢」から、相手は「対等である」ことを感じ取り、そして、「私のことをわかってくれている」という信頼関係を感じ取るのです。

信頼関係は、気持ちか言葉か

「私のことをわかってくれている」「信頼関係」というと、「共感」のようなエモーショナルなものを想像しがちです。もちろんエモーショナルな「私のことをわかってくれている」も大事なのですが、今回説明したような、「相手の考えを言葉で表現して問いかける」というロジカルなかたちでの共感や信頼関係というものも、存在します。

「頭ではわかっている」から「現場で実践できる」に近づけるためには、再現性(やり方が言葉で説明できる。だから、真似できる)が大切だと私は考えています。ロジカルな信頼関係の築き方によって再現性が生まれ、「現場での実践」がひとつでも増えるといいなと思っています。

次回は、信頼関係の3つ目のパターンとして「私のことを期待してくれている」を、再現性をともなったかたちで紹介しようと思います。


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