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生まれ変わっても

人生をやり直すことができたら、なんて誰しも一度はそう考えることがありそうだ。

じゃあ、本当にそれが可能なら?

大統領になって世界を動かすような政治を行う?どこかの国の貴族になって好き放題(勿論公務に励まれてるのも存じております)世界各国の美味しいもの、美しいものを我がものにする?K-POPスターになって世界中の視線をいただく?

夢は膨らむよね。いろんな理想の形があるけど、でもやっぱり結局は今の自分と似たようなとこに落ち着くのかな、なんて。

たしかに今の頭脳レベルや大学レベル、容姿、何か功績を残せるような趣味、どれも上を見れば全然トップには足元にも及ばない。

でも、それが全てなのか?そうじゃないと思う。

わかりやすい指標として、ある一定の基準のもとで比較対象を検討して、優位だから選択するっていう手法は間違いではないし、確立された1つのものだ。

でもそれだけがその人やモノの価値を決める訳じゃないはず。

定量的な、数値では表されないその人やモノの振る舞い、価値観、誰かを想って行った行動、など全て積み重なって「それ」になるんだろう。

ただ、夢は出来るだけある方がいい。何かに向けて常にアップデートし続けられるから、輝かせてくれる。

チャーミングで、努力家で、多くの人に愛されるそんな存在になりたい。

気を抜くといつの間にか物事を諦める前提で考えていたり、願望があってもどこかで私には難しいんだろうな、なんて無意識に思っていることがある。

結局は、思いの強さなんだろう。

元々誰かと競うことは、好きではない。並大抵でない努力をしないといけないし、競っている時は常に不安や、負けたらどうしよう?と先のことばかり考えてしまう癖があるからだ。

だから、自然と競走は避けてきて、No.1は狙わないかわりに、only1を狙って生きてきたんだと思う。

競走に耐え抜く精神はないかわりに、何かを成し遂げたいっていう思いは強かったと思うと急に自分が可愛らしく感じてくる。

でも、これが自分であってそれ以上でも以下でもない。

自分が自分を受け入れることって一番難しいけど、それが出来たら何よりも幸せになれる。

自分を認めること。受け入れること。愛すること。

そこが自分のこだわりとなって、少しずつ自分を表現するピースが集まって、やがて「私」になる。

だから、生まれ変わってもやっぱり同じような生き方をしてしまうんだろうなあ。

もどかしいけど、愛おしい。でもそれこそが人間味があって美しい。

今日も胸を張って生きよう。理想の自分を目指す旅。




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