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いいオトコ、いい恋愛



「いいオトコなんていないと思え」


昔言われて記憶に残ってる言葉。

過去わたしにこれを言ってくれた人は当時のわたしよりもだいぶ年上の男性だったけど、あながちこれって間違ってなかった気がする。
10年前のわたしには当然意味なんてわかってなかった。

当時のわたしは恋愛に対して無責任だったと思う。
当たり前にしあわせにしてもらう前提だったし、過度な期待してたし、なんなら責任も無責任もよくわかってなかったって表現の方が正しいかな。
ただ「好き」だから一緒に居た。それだけ。

自分の在り方が恋愛に影響するなんて、まじで意味わかってなかったし、そんな自分が「いいオトコ」を探したところで「いいオトコ」に巡り会えるわけなんてないことを知らなかった。

家庭環境は少なからず恋愛に影響を及ぼす、と思ってる。

でも、これに気付くか気付かないかの問題だとも思ってる。
運良くわたしは気付けたからよかったのかもしれない。
でもこのコントロールの仕方は色んなことを紐解いていかないといけない。

ついさっきTLに流れてきたツイートを見てハッとした。
完全に昔のわたしだった。

いま考えてみれば、機能不全だったんだろうね、うちは。
思考の切り替えが出来ていればきっと簡単だったものが、そんなこと考えもつかなかったし、当時は暴力を振るわなくて酒癖が悪くなければ「いいオトコ」だと思っていたし、しあわせのハードルも勝手に上げすぎていて、自分がしあわせになれるわけがないと思っていた。

男性から向けられる愛情がよくわかってなかったから。
男性と2人で作り上げる信頼関係みたいなものが全くわかってなかった。もらえなかったものを別の人間に期待していた。

どう?
矛盾すごくない?

ちゃんと最初から読んでくれてる人は、ここで死ぬほど矛盾してるってわかってくれてると思う。

しあわせにしてもらう前提なのに、勝手に過度な期待して、なのに自分はしあわせになれるわけがないと思ってるのよ過去の自分。
頭おかしいじゃん?完全に。

思ってる、っていうか思い込んでたってのが正しい。
思い込んでたとわかったのは時間がたって思考の変換が出来たから。

あ、当時は本気で思ってたよ?

思い込みだと気付く余地は1ミリもなかったし、それくらい雁字搦め。
固定概念に囚われまくっていた。

これをわたしは思考のブロックと呼んでる。

ハタチから三十路までの10年間は、若さ故のきらめきと痛みと、とにかく色んなこと濃縮還元のジュースみたいな日々だったと思う。
特に恋愛に関しては。

10年もありゃ、たくさん学んで、下心も愛情もそれなりに見抜けるようになった。
恋愛の愛情だけじゃなく、友愛の愛情も、家族みたいな愛情もいろんなかたちを知ることが出来た。

付き合った彼を「いいオトコ」にするも、しないも自分次第

よく周りにいる人やカップルは写し鏡って言うでしょ。
あれってほんとだよね。確実に類友だもん。

わたしの過去は、「いいオトコ」かはわからないけど「いい恋愛」だったとは思える。

それなりにたくさん傷もついたし涙も流れたけど、いまのわたしを作ったのは間違いなく彼らや彼女らのおかげでもあるから。

人に求めて返ってくるのは、まずは自分が与えてからよ。
与えすぎもよくないけどね🙂

ひとまず30歳からのわたしの目標は
自分が思う「いい女」になること。

そうすりゃ自ずと付いてくる。


「いいオトコ、いい恋愛」

Yaco


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