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かけがえのない時間、感無量な幸せを感じながら

1年4ヶ月ぶりに家族が揃いました。

↑このとき以来です。

いつもはLAに住んでいる娘夫婦ですが、義ムスコ(自称ムコヨシ)の弟のウェディング参列のためにミシガンに夫婦でやって来ました。週末だけの滞在なので、貴重な時間を縫って我が家に全員集合です。

わたしには娘と3人の息子がいますが、みんな素晴らしい米国人パートナーに恵まれているので母としてはほんとうにうれしいことです。

家族が揃ったときに誰一人として“嫌なやつ”がいないって、とても幸運なことだと思っています。

さて、じわりじわりと変化が見られるのは、長い間、米国在ながらも我が家は純粋な日本人家族として日本語で暮してきましたが、今や家族の半分が米国人なので英語主体の日本人家族になっています。そして、さらに昨年と大きく違うのは、今回QPさんがプラスです。🐽❤️

QPさんと息子たち3人はすでにいろんな機会にすっかりうちとけているし、娘は3月に単独で来たときに会っています。義ムスコだけは、今回初対面です。

とはいえ、ビデオチャットで面識はあるので、「初めましてなのに初めての気がしないね」ってお互いに笑いました。

みんなで食べて、飲んで、わいわい雑談をしたり、ムコヨシがドラムを叩き出すと息子タローがギターで参入したりと、誰かがなにかを弾き出すと音楽ジャム・セッションになるのは毎度のこと。うちでは当たり前の賑やかな様子をQPさんがニコニコしながら見守っています。

QPさんには、「久々に子どもたち全員集合するのであなたも来てね。だけど、この日はママコだからね」とお願いしてありました。

「もちろん!!ママコのあなたを見るのも大好きさ」と言って駆けつけてくれました。

子どもたちの前ではママコとして、母の立ち振舞いですからいくら何でも二人きりのときのようにイチャイチャはできないよってことをお断りしておいたのです。

ママコは4人の子どもたちとそれぞれの素晴らしいパートナーのおかげで、今の幸せがあります。

ここにいる娘息子たち、義ムスコ、義ムスメたち全員が3年前のわたしの死ぬほど泣いた暗黒時代を知っています。それぞれの立場でわたしたち夫婦をほんとうに良く助けてくれました。

2020年に夫が他界したあとの絶望の時間を生き延びられたのも子どもたちが励まし支えてくれたからです。

だいじな父親を失った娘息子たちなのですから、子の立場で辛かったと思いますが、没イチとなってしまったわたしを、母として支えてくれただけでなく、ひとりの女性としての幸せを気遣える大人になってくれていたのでマッチングサイトで新しい出会いを探しているときにも絶大なる応援団と化したのでしょう。

そして、そんな過程を全て知っているからこそ、QPさんを快く迎えてくれるのだと思います。

ふと思いました。

もし日本に住む日本人だけの家族なら、3年も経たないうちに、母が別の男性と仲良くしている事実は、疎んじられる可能性のほうが高かったのではないかと。

父を失った1年後から、子どもたちみんなが、母のセカンドライフのための恋愛を応援してくれて、QPさんを気持ちよく受け入れてくれた。

家族みんなが笑顔でこの時間と空間を楽しめる今日が、わたしは愛おしくてたまりません。

亡き夫にこの感謝が伝えられないこと、彼が今この場でこの雰囲気を体験できないこと、全ては夫が遺した産物なのに……こんなに尊い時間を共有できないことが残念でたまりません。

でも、だからこそ代わりにQPさんが現れて加わりました。

二年半前の自分が昨日のことのように感じる日もあるので、今もとっても不思議な気分ですが、「セカンドライフを楽しんで生きろ」と夫が言い遺してくれたおかげで、今の幸せがあるのだとわかっています。

ほんとうにうれしい、幸せな時間でした。

これまで以上に、かけがえのない時間を噛み締めて生きたいと思っています。




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