夢と才能、努力と諦め

夢を追うことは、自分と努力を切り離すことだと思う。

俗に言う『夢を追う職業』。例えば役者とか漫画家とか小説家とか音楽家とか。そういうイメージが強いと思う。一握りの「天才」の称号を手に入れる為に今か今かと待ち構えている人達。

私は一応、夢を追ってる人間に分類されるんだろう。だから夢を追っていく上での辛さはちょっとは理解している、と勝手に思っている。
とは言っても現状はまだ学生。両親に養ってもらっている子供だ。だから金銭面の不安定さ、とかは有難いことに味わってはいない。クラスメイトに自分と同じように「仕事がない〜」と悩んでいる人もいない。みんな無職。

それでも焦燥感みたいなものがずっとある。
正体のない不安に襲われる。

それは自分が、努力と切り離された世界にいるからなんじゃないかと思う。

これは自戒の意味も込めて書いてるし、残酷なのかもしれないけど、
世の中には努力でなんとかなることと、努力じゃどうにもならないことがある。

学校のテストとかは努力でなんとかなることの最たる例だと思う。そういう努力次第のことを小さい時から続けていたから、私達は努力じゃどうにもならないことが信じられなくなってしまった。そういう人って結構多いと思う。選ばれないことが増える度に、どうすればよかったんだ、努力が足りないんだ、と沈んでしまう人。
その二つの区別がついていないと、生きていくのって結構つらいんじゃないかな。実際私はそうだった。

でも逆に、それはある意味残酷な現実でもある。

感動は努力で確実に作れるわけじゃない。天才は努力じゃ作れない。それらは観客ありきだから。

要は主導権を自分で握っていないことが果てしなく怖いのだ。
夢を追っていく人は、努力じゃどうにもならないことに、観客に、人生を預けなくちゃいけないから。

だから努力しなくていいんだ、と言ってる訳じゃなくて。
努力じゃどうにもならないことを受け入れた上で、どうにかなる部分で努力していかなくちゃいけない。
そして、最後の最後で他人任せにすることを、許さなくちゃいけない。

努力は一つの要素に過ぎない、と言い換えてもいいかもしれない。それは全く努力しない人に才能と運があれば簡単に意味をなくしてしまうものだと思う。
でもその一つの要素をこれっぽっちか、と思うことも出来るし、大きな一歩だと思うことも出来る。


つらつらと書いてしまったけど、結局は「できることって努力ぐらいしかないからな〜」って感じで努力してます。努力は裏切ります。
別にこの考え方が正しい訳じゃないんだろうなとも思います。結局は弱い考え方なのかも。

努力と結果を切り離すのは、楽でもあるし、残酷なことでもある。そこを分かった上で、結局やることっていったら努力しかないんですよね。
とりあえず、これが今の私の考え方。

誰かの腑に落ちることを祈ります。

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