マガジンのカバー画像

まばたきの季節

19
「まばたきの季節」は、2018-2019年にかけて、四季に合わせて一週間ずつ、計4回京都に滞在し戯曲を執筆する、京都芸術センターとの共催事業です。
運営しているクリエイター

2018年11月の記事一覧

朝の話

誰かに肘をつねられたような気がして、目が覚めました。痛覚はないはずなのに、痛みが残っていました。痛みは熱と電気でできているので、原材料は恋とほとんど同じだから、つまりこれは恋の始まりということだ。にんまり。朝はいつも今日生きる目的を探しがちだけど、結局見つからないことが多い。だから私は幸せ者だ。このぬくもりをお裾分けしたくて、お鍋に入れてお隣さんの家を訪ねた、でも誰も出てこない。私の1DKに留めておくのはもったいないけど、誰にも知られないひみつの方が、結局蜜の味になったりしま

フェロモンの話

みんなのことがあんまり好きじゃないことがバレてしまった。暑さでぼんやりしていて、脳からトロっと漏れた。帰りに買ったペットボトルの水が腐っていて、口に含んだ瞬間すぐに吐き出した。自分の生まれた季節は、夏は、汚いものが増えすぎる。生命はとても臭いものだ。 時すでに遅く、自分の身体もドロドロに腐敗していく。清潔になりたいと、ただそれだけを祈りながら蛇口をひねるが、消毒された水道水は、ドロドロを押し流していくだけで、溶かすことはできなくて、どんぶらこを続けて次第に海に出る。底へ沈みな

ささくれの話

爪の生え際にあるささくれが、研ぎ澄まされた針のように私の顔に向いているから、私はいつも本能的にその照準から外れようと妙な動きをしてしまう。レジでお釣りをもらう時もよけて、握手をする時もよけて、授業中も向いてるのに気が付いて飛び跳ねてしまった。 手というのはどうも生活の中で動き過ぎるし、なおかつ視界に入り過ぎてしまうから、私はどうしてもこの剣先を気にし過ぎてしまうのだ。 今はまだ手の先で収まっているからいい。けれど次第にどんどんめくりにめくれて、腕から二の腕へ、脇から胸へ、首を

産毛の話

逆だった産毛がタワシを通り越して剣山みたいになるところも含めて、すごく好きです。最愛という言葉を、本当に使う日がくるとは思いませんでした。あなたと歩くいつもの散歩道はアスファルトで埋め尽くされているわけですが、さすがは都会っ子、この先の道も永遠に同じ材質で続いているみたいな世間知らずの顔をしていますね。土だってレンガだってあるはずなのにね。 歩いても歩いても終わりがこないことに慌ててしまうこともあるけれど、もしあなたが手を握ることで私を傷つけてしまうと恐れているのなら、どうか

天国の話

趣味の悪い服がバズっているものを見かけて、世のため人のために未来を憂うごっこをする。センスが悪いものがまかり通るのが許せない、という私の服もダサい。吐いている息までダサい気がしてきた。部屋にはクーラーがついているから、沈む冷気が盛りだしていて、昇っていくハートウォーミングたちがかわいそう。こんな簡単に天国にいけるなら、意外と死ぬことって身近なことなのかもしれないと思う。窓の外にアイスを置いてみて、地獄も近くに感じてみる。私に似合うのはこっちかもしれないなあって。

白和えの話

セール中のスーパーで買ったなにかしらの白和えを口にしながら、それの咀嚼と記憶の反芻を交互に行う。確かにあの子は死んでしまった訳だけれど、それについて僕は完全に無関係な立場だったし、なおかつ白和えは美味しい。誰かのことをおもうことは、いい人の証、だと習ったので、ネットで知った情報だけで思い出話を始めた。 続けてしばらく、季節を越えたあたりで本当に知人だったように錯覚し始めた。西日が短くなるにつれて、暗闇が長くなるにつれて、あの子の気配は増していく。そういえば夏から先は、幽霊の

扇風機の話

無人の部屋でカラカラと回る扇風機の羽に糸を結びつけて、その反対にボールペンを結びつけて、幾分か暴力的にしてみました。ブルンブルンと羽と一緒に回るペン先が畳や土壁に叩きつけられ、だんだんとインクが飛び散っていきます。部屋中が真っ黒になった頃、家主が返ってきて「やっぱ夏だからね。」とか気取った何かを言いながら、扇風機に詫びを入れて欲しい。話はそれからだ。

ヌートリアの話

おじさんが、古びた自転車を止めて、岸辺を闊歩するヌートリアに心惹かれている、という姿を、私は向こう岸から見つめています。愛だと思いました。生きている限り、このような意味のない美しさを生き抜きたいと、強く思いました。 きれいときたないを発酵させて、長持ちで美味しく頂ける干物ではなく、一日一日、すぐに腐ってしまう不健康を私は大事にして、あなたと過ごす嬉しさや寂しさに新鮮に涙したいです。上手に踊れることに興味はありません。おじさんもヌートリアももういないけれど、そこに居合わせた自分