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39歳の燃え尽き症候群、23歳に殴られる


こんにちは!
作家の益永あずみです。
今日は予告通り、燃え尽き症候群になってnoteを始めた経緯について書いていきます!

少し長くなると思いますがよろしくお願いします。

これを語るにはまず、私が舞台の脚本を書くようになった経緯についてお話ししていきたいと思います。

14歳の時、オーディションを受けた。

私は脚本家になるまで、演劇が大好きで劇場に通いまくって「あぁ〜舞台に携わる仕事がしてみたい!!」と思ったことは一度もなく、「小劇場?東京にはそんなものがあるの?」という感じで、誠に恥ずかしながら30歳になるまで舞台というものを一度も見たことがありませんでした。
(ライオングは見たことがありました。あと見たことあるのはおそらく学校の文化祭程度で、そもそも文化人とは程遠い人生でした。)

しかし小さい頃から文章を書くことが好きで、書く仕事がしたいなぁ〜と漠然と思っていました。

で、中学2年の時。
世間は空前のアサヤンブームで、
私もしっかり流行の波に乗り、とあるオーディションを受けました。

そのオーディションは女優でも歌手でもモデルでもなんでもいいよ!っていうやつだったのですが、奇跡的にいいところまで残りまして。


最終最後「あなたは何がしたいですか?」と聞かれたとき、私はこう答えました。


「書く仕事がしたいです。」


いやいやいやいや!
です。

確かに「なんでもいい」とは言ったけど、書く仕事て!

おそらく審査員の方はそう思ったかと思います。

しかしですね。

とんでもなかったんです。
最終審査の会場にいる美女たちのレベルが。
みんなエベレスト級で、歌手志望の子の歌唱力も全員ビヨンセで、
「あ、なんかすっげぇ場違いなところに来ちゃったな」と、当時14歳でしたけどきちんと気づきまして、一次審査では「歌手になりたいです♪」とかキャピキャピ言ってたものの、もうそんなことは口が裂けても言っちゃいけねぇと思い、自分の心に正直に、最終最後に言ったのです。

「書く仕事がしたいです。」

普通の事務所だったらそこでサヨウナラ〜だったと思うんです。
しかしそこの事務所にはちょっと(だいぶ)変わった新人発掘名人がおりまして、その名人が面白がってくれて「ユー、書いてみなよ♪」と課題をくれたのでした。

そこから1〜2ヶ月に1回、何かを書いては名人に見てもらう、という日々が続きました。

そんなことを4〜5年続けたでしょうか。
しかしなかなか芽を出すことはできず、高校を卒業したあたりから遊ぶのに夢中で書くのが面倒になってしまい(どうせ続けても意味ないし、とも思っていた)、名人とはだんだん疎遠になってしまいました。

その後、書く努力を完全に怠り、普通に働くことに(主に事務業)。

なので「もう書く仕事は諦めよう!」と思ったのですが、どういうわけか、かろうじて残っているとろ火程度の情熱が完全に鎮火することはなく…。

携帯電話の番号が変わるたびに名人にお知らせしてコンタクトをとってみる、という未練タラタラの面倒臭い元カノのようなことをしていました。

そんなことをしつこく続けること約10年。

脚本家になる時は突然訪れた!

あれは忘れもしない。
キムタクの大ファンの母に連れられてSMAPのコンサートに来ている時のことでした。

中居くんのソロのコーナーになり、ダッシュでトイレに向かっている時のこと(中居くんのソロコーナーは別名「トイレタイム」と呼ばれていたのでこの行動に問題はありません。(なんのエクスキューズ))、突然名人から電話が。

「元気〜? 今大丈夫?」と。

全然大丈夫じゃないけど「大丈夫です〜」と答えると、

「舞台の脚本書いてみな〜い?」と。

「今度劇団やることになってさ〜」と。


ん?


ただでさえSMAPという夢の中にいるのに、突然夢のようなことを言われて理解不能。

「そうなんですか〜! でも脚本なんて書いたことないけど大丈夫ですかねぇ〜?」

と、ふわふわ答えました。

するといつもポップで軽い名人が、突然SMAPに勝るとも劣らないキラキラボイスで「今頑張れば絶対いいことあるから頑張れ!」と背中を押してきまして、まんまと感化された私は舞台の知識ゼロなのに二つ返事で引き受けました。

「はい! 頑張ります!!!」

こうして私は脚本家になったのでした。
(そのあとのコンサートのことは一切覚えていません。しかし、浮かれまくってはしゃぎまくったのは想像に易い。)

脚本家になったはいいが・・・

こんな風にしてたった一本の電話である日突然脚本家になったので、そこからの日々はめちゃくちゃ大変でした。

前述の通り、脚本どころか舞台も見たこともなかったので、何が何やら。
「カミシモ?」「アンテン?」「ブタイ監督?」というレベルのド素人。

なので、演出家の中村公平さんをはじめ、諸先輩方にいろいろ教わりながら、脚本の書き方や舞台のあれこれについて1から覚えていきました。

また、慌てて青山にあるシナリオセンターにも通いました。(入学してから映像専門の学校だったと知って顎が外れました。(ちゃんと調べろ。)しかし、舞台にも応用できることや、様々なテクニックを学べ、映像やラジオの仕事が来た時すぐに対応できたので通ってとってもよかったです!)

とにかく我武者羅に勉強し、毎日「強くなりたい!」と思っていました。笑

そんなこんなしていたら名人以外の方からも舞台の仕事をちょこちょこいただけるようになりまして。

気づいたら「舞台の脚本家の人」になりまして。
たまに演出もする、みたいになりまして。
ラジオや映像のお仕事もいただけるようになりまして。

今日に至ります。

振り返ってみて改めてありがたい話です。
今まで関わってくださった皆様には本当に感謝しかありません。

しかしですね…、しかしなんです。

ずっと「与えられて書く」という非常に(ありがたいのですが)受動的なスタンスでここまできたので、ふと立ち止まった時に自分が何をしているのかわからなくなっちゃったんです。

感覚的にはこんな感じです。

ある日突然「お前はいい馬だ。走れる。だから走れ。ヨーイドン!」
とゲートを開かれて「よっしゃー」と走り出し、
入れ替わり立ち替わる騎手たちに「どうっすか? 俺速いっすか? こんな風にも走れますよ!」とアピール。
ちょっと疲れたなぁ〜と思ってもご主人様のムチでいななき、「喜ばせますんで〜」と全力疾走。
で、突然背中が軽くなったなぁと思ったら騎手がいなくなっていて、え?!
よくよく見たら「ここはどこ?!」で。
…なるほど。荒野にポツンと一人ぼっちなのはわかったけど、で、どっちに進めばいいの?! 
誰か教えて!!!
てゆーか疲れた!爪剥がれるじゃん!
あんたが休ませてくれないから。
あんたって誰?ワシじゃん!

つまり今までの私は完全に他力本願。
自分の意志はゼロ。
もちろん、与えられたものに対して全力で応える努力はしていましたが、そもそもの芯がないので、一度迷ったら余裕で迷子。方位磁石はグルグルで北すら定まらない…。

これはちょっと一度冷静になって、脚本の仕事と真正面から向き合ってた方がいいのではないかと思い、一度休むことにしました。

正直なところ、休むのは怖かったです。
仕事が途切れてしまうわけですから。
この先仕事がこなくなってしまうことも十分あり得ますので。

でも「よくわかんないけどやりたくない」という気持ちがどうしても強くて。

まあ、終わったら終わったで仕方がない。
ここまでできたことだって立派じゃないか!

そう思うことにして、舞台の仕事がゼロの状態を作りました。

休んで何をしていたか。

まずは本を読みました。
資料としてではなく、読みたかったものをひたすら。

あとは植物に触れました。
もともと好きで育てているのですが、ここぞとばかりにガーデニングをやり、大好きなハーブについてもたくさん学び、チンキなどいろいろ作って遊びました。(チンキのお話は後日書きます♪)

このタイミングで知人が面白そうなスピリチュアルカウンセラーさんの話をしてきたので、紹介してもらって受けにいきました。今後の作家活動をどうしようか悩んでるんですけど…と!笑
(この話は今度機会があればゆっくりしようと思います♪)

そんなこんなしていたらちょっとずつ心が晴れていき、ふと2年前にコロナでボツになってしまった朗読劇の企画のことを思い出しました。

それは涙をテーマにした三部作の舞台だったのですが…。

一つが子どもの貧困問題をテーマにしたお話だったんですね。
で、あの話書きたかったなぁと思い、プロットを書いたノートや資料で読んだ本を読みかえしたんですね。

そしたらすっごいゾッとしまして。

なぜなら、
私は現実に苦しんでいる子どもたちがいると知って「伝えなくちゃ!」と思ったにも関わらず、企画がポシャった途端、いとも簡単にその子達の存在を見捨てていたからです。

39歳燃え尽き症候群、23歳に殴られる!

自分の非道さにゾッとして、
まずはもっと理解を深めようと思い、それから社会活動家である湯浅誠さんや阿部彩さんの著書やいくつか読ませていただきました。

読んでいるうちにいかに人を「孤独」から守れるかが大事なように思えてきて、「孤独」について書いている本がないかと探していたら、『望まない孤独』という本を見つけました。作者は大空幸星さん。

恥ずかしながらテレビをあまり見ないもので、この大空幸星さんがどんな方か全く知らず、表紙とタイトルだけで購入をしました。

そして読み進めていたら、

「え?!この方まだ23歳なの?!?!?!」

めっちゃ驚きました。
だってその若さで「孤独な人たちを助けたい」と思うだけでなく、NPO法人あなたのいばしょを立ち上げて実際に活動するってすごくないですか?!

39歳の私はこの本を、人間をダメにすると言われているyogiboに寝転がりながら読んでいるというのに……!

なんか超恥ずかしい!!

読めば読むほど大空さんに頭を殴られているような気になって、

こんなことしてる場合じゃなああああい!!!

と、やっと目が覚めたのでした!

受け取ったバトンを二度と落とさない!

全部が全部ではないですけれど「本を読む」という行為は「作者からバトンを受け取る」ことだと思うのですね。
それなのに今まで何本のバトンを足元に放置してきたことか。

いい加減、しっかりバトンを次につないでいった方がいいのではないか。

いつまでも受け身万歳でのらりくらりしていないで、もっと能動的に社会と関わって行った方がいいのではないか。

しかも私は39歳で既婚。
子どもなし。(愛犬のトラくんが息子です♪)
夫婦は円満、嫁姑問題も0で、実家の家族とも仲良し。
燃え尽き症候群を除けば幸せマンそのもので、
何より身軽。
とても身軽。

「舞台の仕事がぁ…」とかうっせぇババア!とっとと社会に貢献しやがれ!

です。

わかりました!何かします!!!
ということで、このnoteを立ち上げるに至ったのでした!

正直インフルエンサーでもなんでもない私がnoteで何か書いたところでたかが知れていると思います。

でも湯浅誠さんが言っていました。

一ミリを進める。その一ミリには、「不十分」「もっと根本的」とだけ指摘する言葉の1万倍の価値がある。たかが一ミリ、されど一ミリ。一ミリ動かすのに、どれだけの労力が必要か。やっている人(実践者)にはよくわかる。やっていない人(評論家)にはわからない。私は社会活動化として実践者の側に立つ。
引用:湯浅誠『「なんとかする」子どもの貧困(角川新書)』

私は湯浅さんが動かした1ミリなんです。

そのバトンをきちんと受け継ぎ、私も誰かの心を1ミリでいいから動かして行けるようになりたいと思います!

39歳IT弱者、若者からnoteを学ぶ。

能動的に動いていこう!と意識を変えただけで、今はやりたいことや書きたいこと、学びたいことが毎日じゃんじゃん溢れています!

で、やる気満々なのですが、
noteの使い方がイマイチよくわからない……。

なので、まずはnoteの大先輩、たかはしさら先生にちょこちょこ教えてもらいました。「マガジン」というのを教わったので今後作ってみようと思います。

たかはしさらさんは、主に世界遺産についてのnoteを書いています!
独特の視点を持った面白い子なのでよかったら覗いてみてください♪
たかはしさらのnote

そしてnoteをただ闇雲にやっても仕方がないので、
「noteのやり方」みたいな記事を検索していたらこちらの有料記事を見つけました!

『noteの育て方』

「育て方」という表現が好きだったのと、
「スキ」がやたらついているし、筆者のDaisukeさんの年齢が23歳で、
なんとなくご縁を感じて購入してみました!

で、読んでみたら……。

やっぱり年齢なんて関係ないなっ!と思わされまくり。
そしていかに自分がIT弱者になっているのかを痛感。
でもね、読ませていただいたので。
学ばせていただいたので。
あとは実践あるのみ。
頑張れ私!です。

どうか成果が出ますように♪

で、このDaisukeさん。
記事の購入者特典なるものをご用意してくれていてですね、
その連絡が早いっ!
さすが若者!!
風の時代!!!

若者の風を感じたい方、Daisukeさんオススメです!笑

ということで、
今回はちょっと自分語りが過ぎましたが、
以上になります!

最初の方、ネチネチとした発言をたくさんしてしまいましたが、
私は9年間、作家として活動してきたこと、
その間に出会った人たちのこと、
そして、脚本家として身につけてきたスキルにはめちゃくちゃ誇りを持っていますし、作家としてこれからもきちんと活動をしていきます!

なので物語を発信するときは、きちんと作品として、基本的には有料にさせていただきたいと思っております。
エッセイはものによりけりで…。
何卒ご理解いただければ幸いです。

それでは!
次は早速物語を配信するか、ハーブについても書きたいことがあるのでそっちにするか。
いずれにせよ近日中にまた更新させていただきます!

最後までお読みいただきありがとうございました♪

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(前回くださった皆様、誠にありがとうございました!とっても嬉しかったです!)
メールは yaginomilk@gmail.comです!

それでは皆様、良い1日を♪


ヤギのミルク
益永あずみ






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