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晩秋スイートピー


11月の快晴に東京から関越道で車を走らせる。車も少なく飛ばす。6万㎞ほど走らせたコンパクトカー、エンジンが気持ちよく吹ける。朝早く家を出たので、9時頃には実家に着きそうだ。

実家に着くと父が庭に焚き火台を出して火遊びをしている。息子が帰ってきたのにしばらく気が付かない。ようやく気が付いた時には、お前いつ帰ったんだ?とのたまう。

「朔美さんはどうしたんだ?」

朔美さんとは僕の妻のこと。
「朔ちゃんは出張してた母さんと東京で落ち合って買い物して、新幹線でこっちに来るって言ったじゃないか、母さんもそう言ってたでしょ」

「あ、言われてみれば母さん、言ってたな」
父は医療法人で総務部長と事務局長を兼務している。中途で入職。5年で法人の赤字をちゃらにした。部下からも慕われているらしい。

「しかし、嫁と姑がそんなに仲良いもんかな」

「趣味が同じだといいんじゃないの?aikoとかONE OK ROCKとかライブ行くし、二人で」

「そんなものか。で、お前の体調どうなんだよ」

僕は広告会社にいたのだがうつ病になり退社した。実家に戻り療養後、今は理学療法士の資格を取り都内の病院にいる。
「寛解かな、薬はいくつか出ているけど。まあいい感じ」

「そうか、それならいいんだ、仕事の方はどうなんだ?」

「この間さ、患者で28才の男の子が来て。あ、俺、コーヒー淹れるよ」

コーヒー淹れている間に父が焚き火台にサツマイモを突っ込んでいた。緩い煙が秋に漂う。

「で、その28才は何だったんだ?」

「大腿骨転子部骨折、肩鎖関節脱臼」

「おい、28歳だろ、大腿骨転子部骨折って高齢者が転倒してなるもんじゃないのか?」

「そうなんだよ、俺の担当になってさ、カルテで原因見たら階段踏み外した。ショッピングモールのビルの階段。それも中二階から一階。そんなに段数ないし、この年齢なら少しでも受け身が取れると思う」

「病院で症例、見たか?」

「見た。20代30代の大腿骨転子部骨折は一例だけ。スキーで相当スピード出した時にゲレンデ段差に気が付かなくて、吹っ飛んで大腿骨転子部骨折。それ、レアなケースだと思う。その28歳の子の骨密度みたら年齢平均より高い」

自分で淹れたものだけど、今日のコーヒーは相当旨い。父に言うと、豆と水がいいから誰が淹れても旨いとか鼻で笑う。少しムッとしながら言う。
「手術後リハビリに来るけど、その子、物凄くボーっとしてるんだよ。そもそもリハビリってやる気のある人、そんなに多くない。みんな20分適当に言われるがままにやって」

焚き火に突っ込んだイモに竹串を刺すがまだ固い。

父がコーヒーを飲みながら言う。旨いなとか言う。
「まあ、俺としては、運動器リハビリ上限150日ギリギリまでいてくれればいいんだけどな」

「父さんさ、病院経営の点数しか頭にないな。その子、やる気がない訳じゃなくて、ボーっとせざる得ない気がしたんだよ。立ち上がる気力もないいように見えて。しんどそうなんだよ。まばたきも少ないし、表情が少なくて。そして、彼、病室のベッドで失禁したんだよ」

「それさ、大うつ病性障害だろ、トイレにも動く気力がない。足取りおぼつかないから階段踏み外す。運動反射もいまいちだから受け身も取れない」

「さすが。でも今、大うつ病性障害って名称あまり使わないよ、事務局長。うちの病院、整形中心だから精神障害に慣れてなくて。俺、カンファレンスで言ったのよ。医師と看護師に。うつ病、それも結構重い方ではないでしょうか。で、たぶんそうだろうと。でも、歩ける状況ではないから精神科の病院に転院厳しい。そしたらたまたま精神科の若い医師が地域医療研修でうちに来てたのね」

「それはラッキーだな、精神病棟で運動機能リハはなかなか出来ないしな、お、イモ、どうかな」

父がまた竹串をイモに突き刺すがさっきとあまり変わらない。

「まあ、体制としてはリハは継続、希死念慮の対策とかして、薬物療法」

「そりゃそうだよな、その時期にリハしないと後々良くないからな」

骨折後、早い段階でリハビリを行わないと関節がうまく動かなくなる。
「リハビリ、そんなうつ状態で出来ない。俺の時も、ただ横たわっていただけだったから」

父はにやけた顔で言う。
「そこでだ、お前は両親に大変な感謝をしなければならないぞ、マッターホンのバウムクウヘンと買って来いよ、ねんりん屋とか」

そんなことは聞こえないふりに限る。
「この間、父さんの病院の佐伯さんに会ったんだけど、母さんのこと、西田尚美、西田尚美とか佐伯さんに言った?」

「おう、言ったさ、うちの嫁さんは西田尚美より可愛いって」

なんだそりゃ。
「彼、桐山君って言うの。しんどくて動くこと出来ないから、最低限の訓練。後は二人で並んで座ってボーっと。リハ、20分だから15分ぐらいボーっと。10日目ぐらいかな、ぽろっと、こぼしたんだよ」

「僕、これからどうすればいいんでしょうか」って。

焚き火の煙がまとめて僕の方に寄せられ、むせながら言う。
「キタ!と思ったね。今の状況から抜けようとした言葉じゃない。すぐ精神科の医師に報告したら、その言葉、意味違うから。今が一番危ない時期だから気を付けて。生きる力が少し出てきたということは、死ぬ力も出てきた。で、どうすりゃいいのか聞いたのよ。傾聴だって。高齢者にやるよね、お話聞くこと。高齢者のリハの時間、話聞いて終わるやつ」

「お前の場合、俺と母さんが傾聴みたいなことしてたんだよな。バウムクウヘンはどうした」

「わかったよ、買って来るよ、クラブハリエでもなんでも。なに急にバウムクウヘン教になったんだよ」

「だって、旨いんだもん、で桐山君となに話したんだよ」

「最初は天気とか。そんな、どうでもいい話って大事なんじゃないかと最近思うよね、特に男子。喋るって脳にとても良いって予備校の世界史の先生が言って。大学受験の時。休憩時間、友人が近くにいれば話しなさいと。脳がリラックスするから」

父が焚き火に薪と落ち葉を足した。
「なるほど。女子の方がおしゃべりすることでストレスを軽くしているかもな。うちの斜め前のマスダさんの奥さんとクニミさんの奥さん、いつだったか吹雪の夜に路肩に立ったまま15分以上喋っていたからな」

「命賭けてるね。桐山君だけど、好不調の波あるから無理な時は強いることはせずに」

父が何気なく聞く。何気なく聞く振りなんだと思う。
「聞きたいんだけど。お前がうつで動けない時、どんな感じだったの、感覚的に」

「俺の場合は、体の中全てに重い砂が注がれているんだよ。その砂が重くて重くて、指も重くてさ、指一本動かせないんだ。で、おでこにもその砂が注ぎ込まれている感じで。体が少し動かせる時でも、おでこから注がれる砂はある。桐山君も辛そうだったけど、大腿骨のリハは少し出来る様になってきて」

「運動出来ると、少し変わるよな」

「そうそう。俺もたまたまその時期受け持ちの患者が少なくて桐山君たくさん見ることができて。うつ仲間として気になるじゃない。病室に寄ったり。で、だんだん桐山君から話が出るようなったんだ」

「本人から話が始まるのは、良い兆候だとお前の元主治医中村先生も言ってたな」

「病院の医療相談員からは家族の連絡先、聞き出してくれと言われて。出来れば勤務先も。救急搬送された時に免許証も財布も何も持っていない、家族連絡先も書いてくれない」

「おお、施設側としては結構ドキドキするな、免許証、保険証ないと、偽名の可能性もあるし。手術からみんな施設側持ち出しになると200万じゃ済まないぞ、財布も持たないで外出、あれか、自殺行動か?」

「結論から言うと、自殺行動でなく、しんどい中無理やり買い物に出て、財布忘れた。でも家族連絡先も勤務先も病院には教えてくれない。なんでか軽く聴いたのよ。そしたら迷惑がかかるとか言い出すの」

「家族にも頼れないのは、なかなかだな。家族環境が複雑なのか?」

「そうでもないんだ。お父さんはいないけど、お母さんとは良好。後から聞いたけど、お母さんは一人暮らしの息子から最近連絡ないな、と」

父は焚き火台の中に埋もれているサツマイモを一つ地面に転がし、竹ぐしをさす。焼き芋って時間かかるんだな、と言いながら、火に戻す。

「迷惑ってよくわからん言葉だよな。あいまいだ。うちの病院とか施設の責任感強い職員が体調悪くしたり、家庭事情で休むだろ。そんなの当たり前じゃないか。それがそいつら、病院に迷惑がかかるから、とか言うんだよ。お前一人ぐらいの仕事、いくらでもこっちで埋めてやる、見くびるの、いい加減にしろよ、俺言うからな」

焚き火に落ち葉をがさがさ投げ捨てる様に放り込んで、父が言葉を続ける。
「逆に迷惑を掛けるな、というだろ。それさ、迷惑じゃなくて被害を被るだよな。被害なんだからしっかり相手側に具体的な行動をすればいいんだよ。直接出来ないのなら当局に届ければいいんだ。迷惑なんて言葉があるから、問題がぼやけて陰湿な方向に向かうんだよ」

「そう。で、桐山君にも迷惑なんてないと説明したんだ」

「いいな。それで桐山君のうつに至るきっかけみたいのはあったのか?」

「イップス」

「あれか、野球選手がボール投げられなくなったり、ゴルファーがパット打てなくなる奴だろ、種目は何?」

「テニス。大学で結構強い選手で、都内の大きな会社のテニス部に。団体戦の決勝で社長まで見に来る試合。試合中、サーブのトス上げようとすると左腕の肩から手の先まで感覚がない。トスが上がらない、めちゃめちゃなサーブになる、もちろん入らない。実業団選手とテニス初心者みたいな試合になって」

「イップス、努力で上手くなったのがなりやすいと聞いたことあるな、天才肌で能天気なやつはなりにくいってな」

「そうなんだ、桐山君もそうなのかな。その試合の後、社内でテニスの音頭をとっていた部長が、俺に迷惑をかけて、とか言い始めて。それから微妙な仕事が夜9時に来て次の日の11時にプレゼン。そんなものが山ほど」

遠くでからすが何羽か鳴いている。焼き芋はまだ焼けない。
「古い体質の会社で、大規模な忘年会やるの。若い社員がカラオケで社長世代の歌を歌うんだよ。襟裳岬とか。昔の歌でも盛り上がる曲、それを若い人が歌って盛り上がる。良くある話。でも桐山君が歌う時になって、部長が俺が選曲してやる、盛り上げろと歌わされたのがユーミンの卒業写真。それどうやっても絶対に盛り上がらないよ。もちろんその場がお通夜見たいな雰囲気」

「想像するに胃がきしむ情景だな。その部長とやらは、何が楽しいんだ」

「ほんと、そう。後日なんでそんな曲選んだんだ。部長が上に聞かれると、あれは本人が選びました。そんな状況が2年ぐらい続いて」

父が新しくコーヒーを入れてきた。今度はジャマイカのいいコーヒーだ、お前のためじゃなくて朔美さんに買ってきたんだと。
「しかし、桐山君そのきつい状況でよく2年間持ったな、2年は長いぞ」

「彼、残念なことに、余計な責任感があるやつなんだよね。そんな会社辞めて他に行けばいいんだけど」

「自分のアパートでくたばってたお前が言うなよ、その言葉お前に100倍返しだ」

父の話は聞き流す。
「桐山君、本当は変なプレッシャー、受け流せる気質だと思う。小学5年の時にクラスを良くない形で仕切る女子がいて。理不尽なこともクラスみんなが従わざる得ない雰囲気。でも桐山君は適当に流したんだって。そしたら、そのボス的な女子が放課後クラスで裁判するからみんな残れと。放課後、先生が居なくなって裁判が始まる時、桐山君、さっさと帰る。その小学校は校庭を横断して校門に行くんだけど」

「お、それじゃ裁判員から桐山君が帰るところ、丸見えじゃないか」

「そうそう。教室が3階で、窓からボス女子が、きりやま~にげるな~きりやま~と怒鳴る。桐山君まるで聞こえないふりして校門に行く、で、振り返って、うるせー!そんなくだらない裁判、一生やってろ、なんなら職員室でやるぞ、ごら!」

「なんだよ、桐山君、他人とか権威、使いこなせるな、まあ、2年間とは違うか」

「そうだよね、社内というヒエラルキーがハッキリしたコミュニティだと、厳しいよね」

父はリビングに行き、音楽を庭まで少し聞こえるぐらいの音で鳴らし始めた。ジェイソンムラーズのI'm Yours。

「ウクレレが入るのなんて聞くんだ、父さん。ローリングストーンズとかレッドツェッペリンだけじゃないんだ」

「これ、詩もいいんんだ、Our name is our virtueとかな。最近、つじあやのちゃんとかも聞いてるぞ。正直いうと、お前の件があってからいろいろと変わってな。で、桐山君はどうなったんだ」

朔ちゃんにLINEする。バウムクウヘン、山盛りでお願い。
「桐山君、俺に随分話してくれる様になって。俺の話をした頃。俺がうつになって動けなくなった話をしたんだ。父さんと母さんに助けられて、少し良くなった頃に一人で山に行って遭難した話。遭難した二日目の夜に全然怖くなくなって、ありとあらゆるものがくっきり見えたとか。桐山君、食いついて来て。自分で言うのもなんだけど、実際に近い状態で体験した人の話は説得力あるのかな」

桐山君に僕のうつ病を経験したことを話してから、会話におけるお互いの熱量が釣り合った気がする。

「リハ以外はひたすら寝ていたのが良かったのかも。病院、あれでも安心できる環境かも。俺、ダウンして家にいた時に玄関の呼び鈴がなるだろ、結構怖くて。それもないし、動けないのが当たり前の人しかいないし、彼には見舞いに来る人もいないし」

オーディオからはスラックキーギターが流れてくる。ハワイで生まれた音楽だ。ウクレレより表現の幅が広いと思う。

「お母さんが来て。優しそうなお母さん。最近連絡ないなと思っていたと。医療相談員に同席、経緯を説明して。お母さんポロポロ泣いて、ご迷惑をおかけして申し訳ありません、というから、また、迷惑なんかないって言う説明。頼ってください、頼ってくださいね、と。またお母さん泣いて」

「当たり前だ、俺でも泣くぞ」

「そうか。2か月ぐらいかな、歩行もかなりできるし、退院。実家でお母さんと二人。そこから近所の精神科に通院。俺、こんなに関わった人友達でもいないし少し距離を置いてでも会いたくなってさ、時々遊びに行くことにしたのね、朔ちゃんも」

「朔美さんも?」

「そう。朔ちゃん、桐山君に興味持って。朔ちゃんも桐山君も映画監督の岩井俊二とピロウズというバンドが好きで。桐山君、まだ人と音楽がだめだけど、朔ちゃんに対しては大丈夫で」

「朔美さん、可愛いし美人だし、人を安心させる雰囲気あるからな。音楽はお前もだめだったよな、バッハもビートルズもスティーリー・ダンも」

父の言う通り、その頃音楽を一切聞くことができなかった。

「なんか、音が耳と頭に突き刺さるんだよ。桐山君の実家近くの落ち着いた雰囲気のカフェ。がらがらな時に行ったんだけど、彼、小さな音の環境音楽でもだめで。ただ、それは時間が解決する部分もあるから。だから、ドライブにしたんだ。人には会わないし。桐山君は後部座席で。後部座席、同乗者に気を遣わなくていいところあるから。いろいろドライブ行ったんだよ、九十九里とか霞ヶ浦とか。ただ、ある時、意図せず車のオーディオからビートルズ流れちゃって。俺たち気が付かなかったんだよ。気が付いた時には桐山君、青い顔してぐったり。あれは、悪かったな」

「地獄の修行だな。まあ腫れ物に触るようなのも、あれだしな」

「悪かったと思うよ。で、お母さんが料理のライターでとにかく飯がうまくてさ」桐山君のお母さんは雑誌などに料理レシピなど寄稿し、それにまつわるエッセイも書いている。

「なんだよそりゃ。上がりこんでるな。もしかしたら朔美さんもか」

「まあね。この時期桐山君が人と会うの大事だし。朔ちゃんも桐山君のお母さんのローストビーフが夢に出てきたとか言うから。お母さんとも仲良くなって。必要以上に深入りはしないけど、俺たちも楽しいし。この間、平日に4人で筑波山行ったんだ」

「お前、うつと山の組み合わせ、好きだね。自分、遭難したの忘れたのかよ」少し呆れながら父は言う。僕は家で療養していた際の回復途中に近隣の低山に登り、そこで2日間遭難した。2夜山中にいた。森林での夜はとんでもなく怖かったのだがある瞬間に全ての事象がくっきりと見えたのだ。あらゆるものが余計な情報が入らずに見えた。父はラスコーの壁画になぞらえ遭難ラスコーと呼ぶ。

「山は、いろいろいいんだよ。どんな山でも。引き上げてくれるし。桐山君、その頃には軽く走れるぐらいになったから。俺の車で筑波山まで行ってロープウェイ使わないルートで2時間のルートを3時間ぐらいでゆるゆると。お母さんの荷物が半端なく多かったから、俺が担いで」

「桐山君、山、大丈夫だったのか?」父は真剣な目をして言う。

「桐山君、口数は少ないけどリラックスしてる雰囲気が伝わってきてたよ。朔ちゃんとお母さんは森羅万象を語り尽くすぐらい喋ってるし。平日だから人は少ない。秋の終わりだけど登ると少し汗ばむぐらいで。風が木々の香りを寄こしてさ。筑波山、森の中から時折関東平野と空が勢いよく見えるから、気持ちいいんだ」

その日の筑波山は本当に気持ちよかった。神に祝福されたような、と言うけどそんな日だ。

「山頂近くで昼食にして。お母さんが作ってくれた盛大なお弁当。お母さんの荷物、重いなと思ったんだ。おにぎり、卵焼き、から揚げの定番からサンドウィッチ、フルーツサンド、ローストビーフ、ピーマンの肉詰め、他にも。みんな一口大だからいくらでも食べれるんだよね。俺もその場で豆挽いてコーヒー淹れて」

父は焚き火を見つめていた。僕は言葉を続けた。

「桐山君が、世界の果てまで見えるような景色を前にして、気楽な感じで言ったんだ。僕、これからどうすればいいんでしょうかね。前にリハ始めたころ同じセリフ言ったけど、まるでニュアンスが違う。海原を前にした船乗りの様に。山がちょっと引き出してくれたんだよ」

父が焚き火からサツマイモをいくつか取り出す。うまく焼けているようだ。
紅はるかという品種らしい。甘い。秋の終わりに焚き火と旨い焼き芋。

「下山は大丈夫だったか」

「大丈夫。ゆっくり下山して、無事、麓について。俺の車に乗り込んで。父さん、宮本浩次、知ってる?」

「あれか、頭かきむしりながら歌う男か」

「そうそう。芥川龍之介に憧れて、火鉢で暖をとり本を読んでいたら、頭痛がしてきて一酸化炭素中毒。森鷗外に文才は負けるけど歌は負けてないって張り合う男。最近カバーアルバム出して、松田聖子の赤いスイートピーを歌ってる。それがスマホから車のステレオに繋がっちゃって。小さく流れたんだよ。桐山君、音楽まだ聞けないから、マズイと思って消そうとしたんだけど、カーブが続いた道でスマホ、いじれなくてさ」

乾いた風が焚き火の煙を揺らす。

「桐山君、外見ながら、赤いスイートピー、小さな声で口ずさんでいるんだ。線路のわきのつぼみは赤いスイートピー。俺も朔ちゃんもお母さんも驚いて。曲が終わって、俺、音楽消したのね。でも、いいかなと思って、もう一度宮本浩次の赤いスイートピー、かけたんだよ。桐山君やっぱり外見ながら歌って。大きな声じゃないんだけど、いい声で歌って。心の春が来た日は赤いスイートピー。他の3人ぼろぼろ泣いてさ。俺なんか前見えなくて」

父は少し泣いていた。

しんどいことを話す、誰かに話す。それが手を伸ばしていることだ。それに手を添えるだけで十分なのかもしれない。

父が言う。
「そうか、お前は引き上げることが出来たんだな」

「手を伸ばされたから、こっちも差し伸ばしただけだよ。この間、桐山君と飯食ったんだよ。そしたら、こんな事言い出すの」

「僕、小説書こうと思うんですよ。題名を「夜空に引き上げられる」にしようと思うんですよね」






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topの写真は、今回もhotakaさんに使用を快諾頂きました。
本当にありがとうございます。
(今回で3回の借用。hotakaさんの写真は僕の想像力を助けてくれます)

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このお話は下記の「夜空に引き上げられる」という小説の続きです。東京嫌いという有料マガジンに入っております。ただ、それを読まずとも今回の「晩秋スイートピー」、十分お話として成り立つと思います。


「夜空に引き上げられる」が収録されているマガジンです。
21人のライターが東京について想いをしたためました。
私の他に20人の強者が執筆されています。それぞれの東京。よろしければ(有料ですが300円。お得だと思います)。




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