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スタジオジブリであった幸運

久しぶりに金曜ロードショーで「天空のラピュタ」を通しで観た。ジブリ好きの中でも「この映画が一番好き」という人は多い(自分は「風の谷のナウシカ」と「もののけ姫」だが)映画館で3回観た後、テレビでも数回観た。テレビでは、いつも遅い仕事帰りで「バルス」あたりからだった。

 今観ると改めてすごい。冒頭からしばらくのシーンの数々はすっかり忘れていた。空から少女シータが降ってきて始まる映画の着想。鳩を飼い、鉱山で見習工として働く少年バズーの健気さ。この鉱山が、飛行石という鉱物幻想の導入部。バズーとシータの男女を意識する前の慕情。空賊ドーラたちの愉快さと情。特にムスカの発砲で、左右のお下げ髪を切られたシータに、ドーラが「女の子にとって髪を切られたことはどんなに辛かったことだろうね」と慰めながらシータを抱きしめるエンディングシーンに落涙。秘密の呪文が唱えられる前に見せた、冷酷なムスカの3分間の油断。「風の谷のナウシカ」の影響になる、ラピュタのロボットは巨神兵に由来し、ナウシカといつも共にあったキツネリスたち、それにバズーたちが乗るメーべを想わせる凧、ドーラたちの乗り物は腐海の底の羽虫を思い出させる。ラピュタから落ちる怒りの火は、ソドムとゴモラを滅ぼした雷にムスカが例えるが、形状は明らかに核爆発。そんな深い思索とアイデアを60,000枚の絵で表現したと聞くから、労働集約型の手仕事もすごい。それもこれも宮崎駿監督と鈴木敏夫プロデューサーのパワーの為せる業だったのだろう。

 そんな死ぬほど好きなスタジオジブリの仕事に2回関われた。鈴木敏夫プロデューサーのFM番組「ジブリ汗まみれ」対談集の単行本化と、映画「思い出のマーニー」画集を部下だったM編集長が出してくれた。お陰で宮崎駿監督とはスタジオジブリの廊下ですれ違っただけだったが、鈴木敏夫プロデューサーとは酒席を囲めたし、何より「思い出のマーニー」のエンドロールに自分の名前を載せてもらえた幸運。そんな思い出も噛み締めながら、傑作「天空の城ラピュタ」を泣きながら笑いながら堪能した。

https://www.ghibli.jp/works/laputa/


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