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その後・メンヘラ図書館員が婚活マッチングアプリを始めて考えたこと

前日譚→ https://note.com/yae_y/n/n97fbadf15dbb

「結婚は考えられないから付き合えない、お互いに時間の無駄になるし、ってのも普通に考えたらあまりに即物的すぎるよな」と、久々に会った遼は言った。

『まあ特に女は出産の点から時間制限がある分、渦中の人間は最大効率を追求するのは分かる』

「そもそもマッチングアプリの仕組み自体がなんか底が抜けてて、身も蓋もないよね」

『とりあえず条件でしか相手を見ないのが前提だし』

「私は婚活って言葉で堂々と人間を選別してることへの軽蔑があったけど、この間のnoteを読んで「選ぶ側」に身を置くことの淋しさも考えるようになって、捉え方が少し変わった」

『考え方を変えさせるつもりなんてなかったけど、関係が始まる一歩手前に感じた孤独を、つい書きたくなってさ』と、私は答えて珈琲を啜る。


遼が指摘した通り、婚活とは明らかな差別が蔓延する世界だ。
私は先のnoteで「選択肢を選べない孤独」を描いたが、選択肢すら与えられない人々も居る。
結婚相談所には「心身ともに健康な男女」しか入会できない。
そしてそれに違和感を感じる人間は多くない。
その条件を「結婚相手として登録するなら最低限だ」と信じてすら居る。

障害者であるというだけで結婚相手としての母数にすら入れない、その語られない現実は差別と呼ばずしてなんと呼ぼうか。

でもマクロな視点では「差別」でも、自分の人生というミクロな視点では当然に「自分の幸福の追求」を優先すべきで、そして結婚や恋愛はそれ自体が他の人との「差別化」なのだ。

「女性は三十を過ぎたら無駄な恋愛はやめましょう」
「まず大切なのは自分の現状分析です」
「婚活は期間を決めて短期集中で行いましょう」
「その為のお手伝いを弊社のコンサルタントが担当します」

まるで就職活動のようなその謳い文句に対する軽蔑は未だ消えない。
確かに「添えば夫婦」となるだろうが、結局は「自分にとって都合のいい相手」を選ぶ作業だ。

それは婚活を真面目に頑張って結婚した、年の離れた夫婦だった。
彼はすぐにでも子供が欲しかったから、自分の理想通りの人生に満足だった。
でも若い彼女は本当はまだ子供なんて欲しくなかった。
彼女の整理のつかない気持ちを知って孕ませた彼に私は自分勝手だと激しい怒りを覚えたが、でも多くの人は彼女に「おめでとう」と言った。
「それを分かった上で結婚したんでしょ」と言って、彼女の気持ちを一笑に付した。

例えそういう考え方の方が当たり前で、そして単純に幸せになりやすかったとしても、私はそういう人間にはどうしてもなれなかったし、やはりこれからもなれそうにない。ただ結婚したというだけで相手の全てに同意した訳じゃないのにと、私は思ってしまうから。


『でもそんなこと言いながら、遼だってマッチングアプリで結婚したじゃないの』

「私は本当にたまたまで、結婚目的じゃなかったし、まさか自分が結婚するとは思ってもなかった」

「でも結婚して感じたのは・・・もうこれで一生恋愛をしなくていいんだ、ということへの安心感だったわ」

それは結婚と言う名の圧力からの解放だけじゃ、多分ない。
女にとっての恋愛はいつだってリスクが高い。孕む性に生まれたせいでいざという時割りを食うのはいつだって女の方で、生理が来なくて眠れない夜の苦しみを男が知ることはないだろう。
性と恋愛と結婚は三位一体ではない事くらい、理解している。
でも関係に対する無責任にすら「俺を本気にさせられないお前が悪い」と言われなければならないのだろうか。
だとしたら女としてではなく、人間として舐められているとしかもはや思えない。

一人の人間として尊重しあいたい、愛し愛されて、その上でお互いに責任を持った関係を一緒に生きていきたいという、本来前向きで細やかだったはずの願いが「この恋愛を終わらせて安心が欲しい」という欲望で、どんどん曇っていく気がするの。


「読み物としては使い始めるときの心境が面白かった。あんなのは他の誰にも書けない。」

『ありがとう。自分の動機を追及して考えたら、ただそこにたどり着いてしまったというだけなんだけど』

そもそもアプリに登録した時点で皆「人生何かあった人間」なのだ。
学生時代に付き合った恋人と、就職して2、3年経ってさっさと結婚を決めて、結婚式に4、50人友達呼べて、三十路までに人の親になるような人間だったら、多分こんな虚しさを知ることもなく若さを溶かして逝ったのだろう。
全ての人間は親の「子どもが欲しい」と言う勝手な欲望のせいで無理矢理生まれて来る羽目になったのだと、授かった命を穿った角度で見ることもなく。愛すると言う名の暴力を携えて、愛される方が傷つくことも知らずに死んでいきたかった。


『結局は婚活も就活も、未来に保証がない時代の象徴なんだろうね』

「どちらも結果が伴うとは限らない、自己肯定感は削られる。ハウツーでなんともならない部分が確実にある。それでも自分から動くことをやめた時点で終わると思い込まされているし、未来への不安を刷り込まれている」

『人間関係に結果を求めるから苦しくなるのに、婚活って結婚と言う名の結果出すためにわざわざ金まで払ってやってる訳で、しかも目的が「幸せになりたい」なら尚のこと矛盾だよ』

「結婚したら寂しくないかというとそんなことはないし。自分の気持ちと相手を見誤ればまた異質な寂しさと戦うことになるのに」

『結婚は手段でしかない、それで幸せになれるかどうか分からないって、思いながらもね』

「でもそれも突き詰めれば「幸福な結婚生活という理想を捨てる」ことになりそうだけどね」

一生一人で苦しんで最期は発狂して死んでいくくらいなら、あまり幸せではなくても結婚してるだけまだマシだと、苦痛を天秤にかけて理想の幸せを諦める未来を、当たり前に「馬鹿馬鹿しい」ともう笑えない。
「結婚だけが幸せじゃないよ」と言う言葉は、誰も救わないのだ。
事実がどうかなんてどうでも良い。
男が言えば「男と女では置かれた立場が違う」と思い、
既婚者が言えば「嫌味にしか聞こえない」と思い、
未婚者が言えば「一人で生きていけるほど孤独に強くて、かつキャリアと収入と健康な身体に恵まれた貴女だからだ」と思うだろう。
それぞれの立場から放たれたその言葉は「それを幸せだと思う」人を傷つける。妊活中の女性が友人の子供の話を聞くのが辛いと感じるのも、同じことだ。

皆「幸せになりたい」と思いながら生きていた。
そして「幸せになりたい」という自分勝手が、時に誰かの幸せを奪う。


「君には幸せになって欲しい」


嗚呼。何度も繰り返されたそれは、
なんて無責任で、私を未だ傷つけ続ける言葉なんだろうか。


ありがとう、楽しかった、と、遼はそう言ってくれた。
彼女の事情を思えば、本当はそんな余裕は無かったのかもしれないのに。
いつとは知れないがまた会う約束をして、その日は別れ、彼女は旅立った。
そういう小さな約束は明日の私達を生かしてくれると信じて。

帰宅するとLINEが光った。大学時代の友人で数年ぶりの連絡だった。
「旦那が浮気して「別れて欲しい」と言われた、じきに離婚が完了すると思う」とあった。結婚すら報告がなかったのに離婚は報告するんだな、と思った。人生が右肩上がりの時は思い出さないが、下り坂に差し掛かると私を思い出すらしい。

FACEBOOKを開くと友人が第二子を出産していた。
Twitterを開くと後輩が結納を済ませていた。
それらに傷つくことは私には全く無いが、自分が欲しかった幸せを持つ者を妬んだり、持たざる自分に絶望したりして、幸福そうな他人の姿に傷ついている人間がいるのだろうなという想像力くらいは私も持ち合わせている。
所詮はSNSなのだから「そういう風」に見せているだけかも知れない。
むしろ見えていない部分にこそ人生があるのだから、いちいちそれらに傷つく必要なんてない。でもそんな事を彼女らに指摘するほど性格は悪くないし、素直に友人たちの幸せを願ってイイネを押した。

自分の眼に写る範囲内位の他人の幸せについては、私は誠実でありたい。
そういう自分を生きていたいという贅沢を許されたい。

「そんな私の態度は優柔不断なだけで時間稼ぎの言葉遊びだと、誰一人救わないと、また言われてしまうだろうか」

そんなことを思いながらソファーから立ち上がろうとした時だった。
携帯を見ていて足元を見ておらず、テーブルにぶつかった。
その衝撃でテーブルの上に置いていたガラスのティーポットが、滑り落ちて割れた。

それは8年前、色々なことがこんなことになってしまう前。
実家を出ていく時に、唯一母が私に持たせたものだった。

物自体には大した思い入れを持っていた訳では無いけれど、
部屋中に飛び散ったガラスの破片と濁った水を呆然と見つめながら、
本当に愛する人には生涯愛されなかった母の、人としての心も、きっとこんな風に壊れてしまったのだろうと思った。

ある日、呆気なく、ガシャリと。致命的に。

ガラスの破片はそれをかき集める私の手を傷つけ、覆水は盆に返らなかった。ティーポットはもう処分するしかなく、新しいものを買うしかなかった。

もしこんな自分にも、未来の選択を許されるなら。
明日この重荷を降ろして良いのなら。

代替品を買ってきてくれる人ではなく、
この破片を一緒に拾い集めてくれる人を選ぼうと思った。

愛が何かは、もうよく分からなくなってしまった私にも、
少なくともそれは、それだけは愛であるような気がするの。

流れる血を命に滲ませながら、深夜に一人そんなことを思って。

ねえ今日も、朝は来るよ。
でももうきっと、貴女には聞こえないのだろうね。

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