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赤い靴

今朝もいつものように。
出納した本を抱えながら書庫の階段を駆け昇っていたら、靴先が滑って、履いていたハイヒールの片方が脱げて転がり落ちていった。

無論、拾ってくれる王子様など現れない。
シンデレラはどうぞセルフで。

「…そもそも私は王子様など、あてにするような女では無かったか」

散らばる本の真ん中で、ひとり赤い靴を拾う。

シンデレラ。
あんなあざとくて、嫌味な女は今も昔も大嫌いだ。
ガラスの靴を落としたのは明らかにワザとだし、手にしたものは何一つ自分の力で為し得たものではないくせに、継母達に「許してあげてもよくてよ」と嫌味に言う。
あのラストシーンは何度見てもゾッとせずには居られない。

人魚姫の方がよほどマシだ。
醜い魚でありながら美しい王子に恋をし身の程違いと諦めるべきところを、 身を削り、家族と地位を捨て、更に代償として愛を伝えるための声を失う。

恋人に会いに行くための、二本の足を手に入れるためだけに。

恋人は自分を映す鏡。そこに映った己の虚像と理想を手にしたいだけの、形を変えたナルシシズム。
おそらく彼女は本当に王子を愛していた訳ではなく、本当に好きだったのは、欲しかったのは「あの人に愛される自分」。
でも自己肯定を他人にゆだねた時点で、それは「本当に彼を愛した瞬間に終わる恋」 だ。

王子を殺すか、自ら全てを無に帰すか。

その二択を迫られた時。
愛を憎悪にかえて「自分を愛さない者」を殺すのではなく、「あの人に愛されない自分」への自己嫌悪を胸に、潔くひとり海の泡と消えていった。

「こんな私を選ばなかった、あの人をいま本当に「愛してる」」

払われた犠牲すら知ることなく、王子は今夜も愛する姫と眠る。
この世界のどこか、私の知らない場所で。

愛を通して、結局は自身に復讐された。でもそれは人魚姫への唯一の救済だっただろうし、自分の運命を、偶然や幸運によってではなく自分の意思で最期まで生きた彼女は尊い。

でもどうせ犠牲を払うのなら、赤ずきんの方がまだ自分の欲望に正直で良いかもしれない。

頭の先から足の先まで全部食べられて、あの人の血になり肉になりたい。
あの人の体温に溶けて、汗に溶けて。
あの人と一つになれたら。
あの人の心臓になれたら。
あの人の心臓がとまれば、私の心臓もとまる。
あの人が終われば、私も終わる。 幸せだ。

本当にそれで良かったのに、気の利かない狩人に「あんな狼に騙されて可哀想に」と助け出されてしまう。

見かけだけの優しさに、ほだされただけだよ。
君も大人になればそうと気が付くさ。

「あたしのあの人をどうしたの?」
「ああ、腹に石を詰めて殺しておいたよ」

飽くなき渇きを癒す為に覗いた井戸が、あの人の死に場所。
腹に抱え込んだものが重すぎて、死んでしまったあの人。

ありったけの欲望を肺の奥まで吸い込んで
あの人を殺した
あの井戸の水のように
乾いた体を濡らして
あたしも溺れて死ねたなら
たとえそれが「騙されていた」のだとしても構わない。

彼女の心は、今夜もそうやって森の闇に抉られて続けているのだ。

王子を待って100年眠り続けるのは気持ち悪過ぎて論外だし、だからと言って、美しさを妬まれて魔女に毒を盛られるのも割に合わない。愛する者を殺してでも手にしたかったサロメのような激情も持てそうにない。

そういう点では、シンデレラ。
お前はやはり一番賢いのかもしれない。「シンデレラストーリー」という言葉が世の中に定着しているのもきっとそういうことだ。

男に追いかけさせる、そのやり方は確かに女として幸せを掴むだろう。
そして「そんなハイスペックな男の女になる」というステイタスで自己肯定感を得るだろう。でもその自己承認方法すらも、男の力を笠に着るだけ。何一つ自分の力で得たものはない。

お前はそれで一生満足して生きていける幸福な人間かもしれないし、きっとそういう考え方の方が人生を幸せに生きやすい。
だが悪いが私は、きっとそんなことでは満足できない不幸な人間なんだ。

拾った真っ赤のハイヒールを眺めて考える。
私なら魔法が解ける前、ガラスの靴が脱げる瞬間どうしただろうかと。
その場で拾わせて「履かせて」と言うかもしれない。待つ女は性に合わないし、翌朝もう片方を持って城を訪れ「迎えに来るのが遅い」となじろうか。

でもきっと、私は。

その場でガラスの靴を叩き割って逃げただろう。
笑っているようで、心は泣いている顔で。

素直に靴を落としていけば、追いかけて来ることくらい知っていた。
いつか私を見つけるだろうことも分かっていた。
そうすれば惨めな暮らしから抜けだけせることも、何もかも全部。

でも何より、そういう「本当に惨めな自分」には耐えられないの。

ならせめてそのひと夜、一生解けない魔法を。
最後は一番可愛いと言った笑顔で、記憶の中何度でも「さよなら」を。
私がいるかもしれない雑踏で、手がかりのない私をどうか一生探していて。

割れたガラスで切った、血の滲んだ靴。
死者を悼まず赤を纏い、命を軽んじた罰として、私はこの足を切り落とされるまでそんな風にこの世で踊らされる。

それは戦いであり、葛藤だった。
満たされたい自分の欲望と、そのために自分以外の何かを犠牲にするのは間違っているという理性との。
下手に夢を見させられることは苦しかった。ならば叶わぬ夢だど捨てて、そんな未来は私には訪れないのだと、初めから全ての可能性を葬って、他人本意に生きた方がよほど楽だった。

でもいざ素直な愛情を前にしたら、そんな自分の醜さに耐えられなくなった。そして自分以外の何かだけではなく、自分自身も犠牲にしてはならないし、尊重されるべき存在なのだと、本来は当たり前であった事を、痛いほど思い知らされて。

私は悲しかった。
自分の卑小さが、自分のちっぽけな欲望が。

赤い靴。
たとえ本意ではなくとも、せめて自分の意思で最期まで踊り切ろうと思う。
図書館と言う名の、本の森の闇の中、灰を被って、一生探しても見つからない私を。
この二本の足で、いつか泡と消える日まで。

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