マガジンのカバー画像

するめ図録

6
小説です。
運営しているクリエイター

記事一覧

するめ図録⑥

するめ図録⑥

 父が倒れたのは、正宗が海辺の町を出て数年後のことだった。小さな町では満足な治療を受けられぬと、その頃正宗が住んでいた大きな町のすぐ近くへ父母共に越してきた。懸命な治療と看病を続けたが、父の病状は思わしくなく、それから半年程で他界した。すると父に続くように母も病を発症し、床に臥した。

 正宗が母から昔の話を聞かされたのは病室だった。誰かが持ってきた名前の知らない花の匂いが濃く流れていた。

 帰

もっとみる
するめ図録⑤

するめ図録⑤

 正宗が手紙を読んだのか握り潰したまま捨てたのか、結局はわからなかった。返事は一向に来なかったし、それからの正宗に変わった様子も見られなかった。今までと何も変わらず、正宗は自分の暮らしを生きていた。

 はじめに感じた悔しさや怒りは次第におさまってきたものの、キヨのこころは乱れたままだった。もはや自分が何をどうしたいのかわからなかった。

 手紙を握り潰したということは、きっと自分のことを覚えては

もっとみる
するめ図録④

するめ図録④

 買い物から戻ると辺りを入念に伺い、誰も通らないことを確認してビニール袋からスルメを取り出し、正宗の家のポストに音を立てないように入れ、足早に部屋に入った。

 そのスルメは、キヨの生まれた町で作られたものだった。たまたま出掛けたときに立ち寄った、いつもは行かないスーパーで買った。製造地を見たとき、これだ、と思った。一週間程前からキヨはそのスルメを、正宗の家のポストに入れるようになった。

 こと

もっとみる
するめ図録③

するめ図録③

 日が暮れると、キヨは買い物に出掛けた。明るいうちはうっかり顔を合わせて自分だと気付かれることもあるかも知れないと思い、外出を控えるようにしていた。

 町を出て初めて都会の夜の明るさを目にしたとき、キヨはそれが自分の想像以上でとても驚いた。その明るさに、どうして眠らせてくれないのだろうと思いながらも、ほんの少しさみしさが紛らわされた。

 しわくちゃになってしまった自分に正宗が今更気付くこともな

もっとみる
するめ図録②

するめ図録②

 昔のことを思い出しながら、本当に狡い人、とキヨは小さく声に出して呟いた。昨日食べたものはなかなか思い出せないのに、どうしてだか昔のことは案外鮮やかに思い出せる。それは、その思い出が自分にとって必要であり大切なものだからなのか。それにしても、昔のことすぎて別の色を上から塗ってしまっていたり、自分にいいように書き換えてしまっていたりするかもしれない。 

 あのときの正宗の顔はよく覚えている。今、窓

もっとみる
するめ図録①

するめ図録①

 スルメを噛みながらキヨは窓に貼りついていた。くちゃくちゃと音を立て、口のなかに広がっていく生臭さを少しだけ疎ましく思いながらも、それを止めることは出来なかった。

 十時少し過ぎたところで玄関から人が出てきた。向こうがこちらに気付くことはないとわかっていてもついカーテンを引き、身を隠すようにしてしまう。カーテンの隙間から食い入るように通りの向こうを見る。

 小さな子どもと手を繋いだ大きな体躯

もっとみる