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するめ図録④

 買い物から戻ると辺りを入念に伺い、誰も通らないことを確認してビニール袋からスルメを取り出し、正宗の家のポストに音を立てないように入れ、足早に部屋に入った。

 そのスルメは、キヨの生まれた町で作られたものだった。たまたま出掛けたときに立ち寄った、いつもは行かないスーパーで買った。製造地を見たとき、これだ、と思った。一週間程前からキヨはそのスルメを、正宗の家のポストに入れるようになった。

 ことのはじまりは数週間前に出した手紙だった。

 正宗の家の前で暮らすようになり、その姿を窓からこっそり見るうちにキヨはだんだんと自分の存在を正宗に気付いて欲しいと思うようになっていた。

 妻と思しき品のいい女性と連れ立って出掛ける姿や、おそらくは孫なのだろう、小さな子の手を引いて出掛けたりするのをキヨは複雑な想いで見つめた。

 ふと気が弱ったときなど、どうして自分は一人なのだろうかと思った。すべて自分が選んできた道とはわかっていた。でも、どうして、と思ってしまう気持ちも自然と湧いてくるのだった。そんな思いが溢れたキヨは、正宗に手紙を書いて出したのだった。

 正宗を責めるような文章にはならないよう、でも自分のさみしさも伝わるよう、頭を悩ませながら何度も書き直してようやく封を閉じた。たまたまつけていたテレビで姿を見て懐かしくなった、というのは本当のことを書いた。住所は正宗を知っているという遠い知人がいてその人に教えてもらった、と嘘を書いた。こちらの住所は書かず、わざわざ電車に乗って家から遠いところの郵便ポストに投函した。

 手紙を出して翌日からは、朝から落ち着かず窓の前に腰を下ろし正宗の家をずっと見続けた。郵便配達員が来ると、立ち上がり少し背伸びをしてそこに自分の手紙が紛れていないかどうか、懸命に見ようとした。もし正宗ではなく誰か他の家族の者が手紙を取ってしまったら、などということは考えもしなかった。

 そして投函してから二日後の夕方、ちょうど正宗が帰宅してポストを開くところをキヨは見た。

 ポストに入るところはあれだけ見ていたのに確認出来なかったが、正宗の手のなかにある目を見張るような真っ青な封筒は、部屋の窓からでも見てわかった。あれは自分の送った手紙に違いないとキヨは固唾を呑んだ。取り出したいくつかの郵便物の一番下に見えていたその封筒が、上から順にどこから来た郵便かを見ているらしき正宗の目に近付く度、緊張は高まった。

 健気に正宗を待ち続けていた自分に胸を打たれ、何とか居場所を探し出して会いたいと思うのではないだろうか。そんなふうに、もしかしたらこれから訪れるかもしれない劇的な再会を夢見てキヨはうっとりとした。

 青い封筒に正宗の手が触れた。宛名を確認し、次に封筒を返した。裏にはきちんと自分の名を記してあった。封筒を手に、じっと動きを止めている正宗を静かに見つめ続けた。

 今、止まり続けていた二人の時間がようやく動き出すようにキヨは感じていた。けれど動き出したその時間は、やはり二人にとってはばらばらのものだった。

 玄関の扉が開き、正宗の妻であろう女がそこから顔を出した。何か呼びかけたのだろう。正宗は顔を上げ、何かを答えた。それから手にしていた青い封筒をぐしゃりと握り潰し、急いで鞄に突っ込んだ。

 キヨにはその動きがスローモーションに見えた。

 正宗は、手紙を握り潰した。もし、ただ鞄に入れただけなら後でゆっくり読もうと思っているように見えたかも知れない。けれどそれは握り潰された。

 妻のいる手前、慌ててそうしたのかもしれないと思おうとしたが、あれこれ考えるより先にキヨの目からは涙が零れ落ちていた。悔しさのようなものがじんわりと体中に溢れていき、それはこころの奥のどこからともなく湧き上がってくる熱に揺らされ、だんだんと体が震えてきた。立ち尽くしたまましばらく動けずにいたキヨが涙を拭ったときには、もう当りはすっかり暗くなっていた。

 明かりもつけない薄暗い部屋で、誰もいなくなった玄関をキヨはじっと睨んだ。そこにいるのに、自分の人生にいない正宗をじっと睨みつけていると怒りが込み上げてきた。

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