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戯言㉒『あれこれわれかれされこうべ』

言葉は権威に飾られて
絵は権力に彩られる

いつしかデータの海に飲み込まれ
頭はかすみ眼鏡は曇る

いずれわれらを波がさらって
最後の審判へといざなうのか

何人たりとも生まれ落ちれば
いずれは死して骨となる

あゝされこうべ

これ正しきと謳っては
あれは悪しきと諌めるのか

あゝされこうべ

われ等しきと歌っては
かれも同じと慰めるのか

あゝされこうべ

互いに背を向け競うのか
ともに手を取り歩むのか…


【あとがきのような何か】
これはボクが10年くらい前に英語で書いた詩を、ふと思い出し日本語に訳したものです。

当時、アメリカに留学をしていたぼくは、人種や文化、もちろん言語もそうでしたが、あらゆる違いに苦しみました。簡単な単語しか口をついて出てこないうえ、話題も態度もマインドも、リズムも声の大きさもなにもかも、どうにも慣れることができない。

なぜ話せないのか、日本人とはどう違うのか、自問自答を繰り返す日々。いま考えれば、英語を話せない言い訳を探していただけなのかもしれません。

いつの日だったか、メキシコの画家 ホセ・グアダルーペ・ポサダの作品に出会い、「金持ちも貧乏人も死ねばみな骸骨」といったメッセージが込められているらしいことを知りました。そのとき、それまで「違う」としか思えなかった、国籍も人種も宗教も言葉もバラバラな、街ゆくひとたちに対して、少しだけ「同じ」という感覚を持てたような気がします。

そんなポサダの作品に感化され、書いたのがこの詩でした。

さて、最近の大きな話題といえば戦争。ちなみにこの詩は別にどちらの肩を持つわけでもありません。そして否定するでも肯定するでもありません。どちらかといえば、ヒトの意識と感情と決断を形づくるものはなんなのか、"われ""かれ"を分かつものはなんなのか、それらを問う機会となるならばこれ幸い、といったところでございます。

と、まあ、偉そうに御託を並べて意見を表さぬ煮えきらない態度に、モヤっとした読後感をもれなくお届けしているかもしれませんが、そんなボクでも今日を生きながらえさせてもらっています。

あなかしこ、あなかしこ

あ、よろしければポサダの作品、見てみてください!

あ、最近はネットばかりを見ているので、エコーチェンバー現象に気をつけます!

あ、寺山修司の遺稿に書かれた「ぼくは不完全な死体として生まれ、何十年かかかって、完全な死体となるのである」って言葉、久々に思い出しました!


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