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めくるめく季節の淡夢

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2023年月1連載小説。 BOOTH、文学フリマ京都7にて販売した小説カレンダーに書かれた短文を元に書きました。月が落ちてきた世界で、唯一の光だった彼女を探す少年の話。
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#小説

【小説】無垢の砂漠と君に似た月

 月の遺産を聞いたことがあるか。  月面探索を達成した宇宙飛行士でさえ見つけることのできなかったそれが一体どこに残されているのか、まだ誰も知らない。  誰が、何を残したのか、何のために。  世紀の大発見ともされるであろう月の遺産は、僕にとってはあまりに陳腐なもので、水に捨ててしまった。あの日の僕が欲しかったのはそんな眩しいものではなくて、二人で切り分けたショート―ケーキの片方みたいに、小さくてあたたかいものだった。半分になったいちごを見つめて笑うような人だった。  月の遺産

【小説】湖の森の水姫と靑日凪

前話  僕が最初に月を観測したのは、六年間背負ってきたランドセルをそろそろ手放そうとしていた頃だった。従兄から譲ってもらったランドセルは、同級生が背負うピカピカのランドセルと比べるとくすんで見えたが、新品だと汚すまいと丁寧に扱いたくなって背負うことも憚られる気がするので、僕にはこれが丁度良かった。くすんでいることを笑う同級生もいなかったので、僕とランドセルは何事もなく卒業することが出来た。  月を観測したのは僕だけで、両親や晴臣だってそのことを知らない。未だに知らない彼ら

【小説】君の花弁とぼくの足音

前話  潮の匂いに足を速めると、一気に視界が広がった。  ずっと南に歩き続けて、どれくらい経っただろうか。明確な目的地を決めないまま、ただ君の面影だけを探して歩いていた。  南には海がある。家族とも、晴臣とも行ったことのある海だ。大きな海と小さな海があって、人は大きな海に集まる。大きな海には焼きそば屋があるし、浮き輪を貸してくれる店もあった。泳げないけれど海に来たがる晴臣は真っ先に浮き輪を腰に下ろして、いつでも遊べると準備満々の顔で僕を見ていた。この海に晴臣はいない。晴

【小説】櫻の木の下に埋まる君

前話 「あの頃は、もっと」  その先の言葉は空気に溶けて、再度口にされることもなかった。  祖父の視線の先には、花を咲かせない桜の木が空に広がっている。数年前から花を咲かせることのなくなった花は、今年切り落とされる予定だ。それが決まって以降、祖父はいつも縁側に座っている。  桜の木は、曽祖父が生まれたときに植えられたものらしい。祖父も小さい頃は桜の木に登って遊んでいたらしいが、今はただ見つめているだけだ。 「おじいちゃん」  名前を呼べばゆっくりとこちらに顔を向ける祖

【小説】白の街に浮かぶ足跡を辿る

前話  海を離れてしばらくが経った。鼻の奥に残っていた潮の匂いは消え、視界を覆う緑が肌に触れて痛い。ちくちくと肌を刺す枝を何度も折りながら、先を進んでいく。  月の落下で更地になった街を抜ければ、切り取られた森が立ちふさがった。まるで月が手でそこだけ削り取ってしまったみたいに、弧を描いた森の縁が絵画のように現実味のないものに見えた。  僕は、自分の街を出た。もしかしたら彼女がいるかもしれない場所を目指して、手当たり次第に行くしかなかった。海も、森も、街も、全て、もう探す

【小説】雨音に交じる悲歌

前話  雨の降る音を聞いていた。地面にできた水たまりを叩くぽつぽつという音は可愛らしく、揺れる水面に映った僕の顔は歪んでいたけれど目が離せなかった。夢の故郷にあった湖を思い出す。  雨の降った日は湖に行かなかった。ここでは傘が存在していたけれど、向こうには傘自体が無かったから。  そもそも雨の日に外に出る習慣がなく、雨の日は家の中で窓の外を眺めて過ごしてばかりだった。カナタの家が真隣にあれば抜け出して遊びに行くこともできたのに、田舎の村は一軒一軒が遠い。  そんな日、

【小説】灰に祈りを込めて眠る

前話  この湖では雨が降らないと知った。だから彼女に雨の話をしてもきょとんとするし、そもそも雨を見たことないと言うのだ。 「それって、君の力だったりするの? 君の回りでは絶対に雨が降らない、とか」  えー? と少し馬鹿にするような声をあげたが、すぐに表情を変えて、どこか納得したように、あー、と言って言葉を続けた。 「そういうのがあったりするのかな。月で雨が降らないのは、私たちにそういう力があるからなのかもしれない」  考えたことなかった、とこぼす。興味が出てきたのか、顎に指

【小説】海にいた幼気な遺体と共にいた

前話  降り続いた雨は、紫陽花の里を出る頃には止んでいた。モノクロに落ちる雨はいつもと変わらないように思えたけれど、葉を叩く音はいつもより重く聞こえた気がする。  動かなくなったテレビを直すように、色を失ったものを叩いても戻ってきたりはしないのに。そんなことを思いながら去った紫陽花の里は、皚々たる街と同じく白月症にかかっている。  色盲の彼女が渡してくれた傘は、使わずに畳んだまま握っていた。彼女の家を離れてから気づいた、この傘は新品だ。タグは取られているが、使われた形跡は

【小説】白む世界と鮮やかな記憶

前話 「イオリ、約束をしようか」  先日湖に落ちたことをからかっている時、突然彼女はそう言い放った。秋の香りを感じてしまいそうな木々を揺らす風もその時だけはぴたりと止まって、彼女の言葉をはっきりと聞きとらせた。  笑みは無かった。指を顎に沿えた横顔の輪郭は美しい。彼女はこちらを向いていなかった。輪郭を明るく縁取る夕日を見つめる瞳は、その色を移して橙色を宿している。  しばらく何かを考えるように夕日を見つめた彼女がゆっくりとこちらに視線を向ける。 「私はもうすぐ月に帰る」

【小説】明日君と約束をした偽りの夢

前話  月の遺産とは、その文字の通り、月の残した財産。  それは人類からすればとんでもないものらしく、手に入れれば富も名誉も金も、何でも手に入るらしい。世紀の大発見、と月の遺産のことを教えてくれた彼女が言っていた。 「イオリ、ちゃんと朝ご飯を食べないといけないと教わらなかったか? 私は知っている、セナセの人間は一日に三回食料を蓄えて活動エネルギーを補充しているんだろう。それをしないと体が動かなくなって、死んでしまう」  僕の後ろで饒舌に話す彼女をよそに、ネクタイを結ぶ

【小説】潮騒と残滓に苛まれる季

前話  ただ、真っ直ぐな道が伸びていた。まだ残っている僕の足跡を辿って歩いて行けば、いずれ街に着く。月が落ちて出来上がった大きな砂漠の下には、まだ見つかっていない多くの命が埋まっている。手の付けられていない今、それらが回収されることは無いのだろう。  人から人へ移り行く感染症、白月症。あらゆるものの色を認識できなくなる病を恐れ、丘区を中心にして人は外へと消えていってしまった。  誰も、色を失いたくなかった。鮮やかな世界を手放したくなかった。それは至極当たり前の考えで、両親

【小説】月の告白に耳を背けて目を覚ます

前話  落ちてきた月が破壊した土地の大きさはどれくらいなのだろう。白月症を恐れた人々が寄り付かなくなったため、その大きさは測られていない。いくつもの街を破壊したのだから並大抵のものではないだろう。平らな命の砂漠はどこまでも続いているように感じられるが、彼女と歩いていればその時間はあっという間に過ぎた。 「イオリが行きたい場所ってどこ?」  隣を歩く彼女の方を見て、彼女は僕よりいくつも背が低いことに気づいた。 「どこだと思う?」  すんなりと答えると思っていたのか、彼女は顔