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【小説】灰に祈りを込めて眠る


前話




 この湖では雨が降らないと知った。だから彼女に雨の話をしてもきょとんとするし、そもそも雨を見たことないと言うのだ。
「それって、君の力だったりするの? 君の回りでは絶対に雨が降らない、とか」
 えー? と少し馬鹿にするような声をあげたが、すぐに表情を変えて、どこか納得したように、あー、と言って言葉を続けた。
「そういうのがあったりするのかな。月で雨が降らないのは、私たちにそういう力があるからなのかもしれない」
 考えたことなかった、とこぼす。興味が出てきたのか、顎に指を添えながら頷く彼女は、どうやら僕が見えなくなってしまったらしい。僕は滲む汗を拭いながら彼女の視線を待った。

 梅雨が明けて、じめじめとした季節は過ぎた。その代わりに肌を焼く日差しがぐんと強くなる。いつもは綺麗に見える緑の映える地面も、今日は見ているだけで暑苦しい。
「じゃあ、ここにいても雨は見られないのかぁ」
 少し悲しそうな声だった。
「雨なんて、降っても憂鬱になるだけだよ。なにもできないから」
「雨の日はなにしてるの?」
「ずっと家にいる、外に出ちゃダメだから」
「セナセでも一緒なの?」

 彼女は、当たり前のようにその言葉を口にするようになった。セナセ、それは地球。月の人にとって地球のことをセナセと呼ぶらしい。まだ聞きなれない言葉に、秘密がばれたように心臓がぐっと締め付けられる。
「…………雨の日だからと言って外に出ちゃダメってことはないよ。必要なら外に出る、買い物とか」
「へぇ、買い物」
 あまり納得していないような声色だった。月では買い物に行くことはないのだろうか、月にスーパーがあるのを想像することができない。

「……君って、なに食べて生きてるの?」
「別に、なにも食べなくても生きていけるよ」あっけらかんと彼女は言った。「月がそこにある限り、私たちはずっと生き続けるの」
「君は当たり前のようにものを話すけれど、多分、僕は君のことを全然知らない。君が思っている以上に。君が世界に取り残されているとか、月の人だとか、君がここに来た理由だとか、何も知らない。それらのことって、君にとって話したくないこと?」
 じっと彼女の瞳を見つめた。今はビー玉のような青く透き通った瞳をしているが、彼女の瞳は黄色や白に変化するらしい。時間や気分によって変わるなんて、あまりにも分かりやすすぎる。

「いいよ、聞きたいことあるなら。別に君には隠すようなことはないから」
「僕には、って?」
「だって、誰にも言っていないけど君はここの人じゃないんでしょう? お互いに秘密を共有しておかないと、私が君の弱みを掴んでるみたいで嫌じゃない」
「別に気にしてないけど、」
「私の気持ちの問題よ」
 少し唇を尖らせた彼女の、いつもより強い言葉がよく刺さる。確かに秘密を知られてしまったけれど、君がそれを使って僕を脅したりすることはないと分かっているから、不安はない。そもそも彼女は村の人と交流することはないから、悪巧みなんてできないはずだ。

「まず、君はどうして僕がここの人じゃないと分かったの?」
 誰にも言わなかった。幼い頃からここにいて、村に馴染んでいて、違和感なんて無いはずなのに。もしかしたら、自分が気付いていないだけで僕だけ浮き出て見えていたりしたのだろうか。
「なんとなくわかるんだ。ここの人たちはこの周辺から出ることは無くて、行ったとしても前まで水を汲みに行っていた場所くらい。外の世界を知らないから知見が狭くて、だからこそ外からの何かをすぐに受け入れなかったりする。実際、人が水を汲みに来ても私に話しかけることなんてないのよ。君くらいだ、私に話しかけるのは」
 近くに水源が出来て村の人は喜んではいたけれど、ここに頻繁に来ているのは僕くらいだ。毎日のように一緒に居たカナタとも一緒に居る時間は少なくなったし、僕がここに来ようとすると、「遠慮しておくよ」と別れてしまう。

「変わった人、で済ませることもできたけど、稀にセナセの人が来ることがあるって聞いたことがあったから、そうなのかなって。あと、決め手は海かな」
「僕が海を見たことがある、って言ったこと?」
「そう。ここ、どれだけ歩いても海なんて無いんだよ。ずっと奥は霧になっていて、どれだけ歩いても同じ道が続くだけ。海を知っているのは月の人かセナセの人くらいだから、あとは消去法で分かったよ」

 筋の通った話を聞いて、初めから彼女が僕のことに気づいているわけではないと感じた。話をしているうちにボロを出してしまっていたというわけだ。僕よりもここのことをよく知っている彼女にバレてしまうのは、仕方のないことなのかもしれない。

 改めて聞きたいこと、と言われると何も思い付かなくなってしまう。
「えーっと、じゃあ、君はどうしてここに来たの?」
 彼女は得意気になることなく、淡々と教えてくれた。
「セナセを破壊するため」
「…………」
 じわっとした暑さが体に染みる。彼女は構わず言葉を続けた。「ここに落ちてきたのはその練習。ちゃんと落ちれるかっていうね。ここは存在しない夢の中だから、ここがどうなっても誰も困らない。試し落ちだよ。もうすぐ私は月に帰って、セナセを攻撃する」
 じっと見つめた彼女の瞳は、じわりと滲むように赤色へ変わっていく。影の落ちた瞳は赤黒く、それは初めて見る色だった。

 何も言わないでいると、「非現実的だって、思う?」といたずら気に笑みを向けられてしまった。
「ここは、君たちが管理している場所なの?」
「ちがうよ」
 てっきり月が所有していて、そういうことに使う場所かと思ったけれど、そうではないらしい。
「…………正直、夢みたいな話だよ。うまく呑み込めない」
「構わないよ。まあ実際、ここは夢に似た場所だから。間違ってはないよ」
「でも、ここがどうなっても困らないというのは間違っている。それを僕に言うのもね」
 少し腹に力がこもったのが分かった。胸の中で渦巻いていたものを吐き出して楽にはなったけれど、代わりに罪悪感に苛まれる。彼女に強い言葉を放ったことはなかったから、この後がどうなるかなんて分からない。できればこういう事態は避けたかったけれど、放置するには心苦しかった。ここは、僕の故郷だ。

 口を閉ざした彼女の言葉を待った。赤い瞳は強い意思を持っており、油断すれば吸い込まれてしまいそうだ。
 ゆっくりと彼女が口を開く。
「……確かに、そこまで考えが至らなかった」彼女の言葉は丸かった。「言い方も悪かったね。これは言い訳に聞こえるかもしれないけれど、上からこの命令を貰ったときの言葉をそのまま口にしたんだ。でも、その言葉の意味を考えないくらい、ここの人たちの気持ちを蔑ろにしていたことは事実だね。ごめん」
 素直な彼女の言葉をどう受け止めればよいか分からず、うん、としか返せなかった。彼女の瞳はいつの間にか青色に戻っていた。

「セナセを破壊しようとしているのは事実だよ。月の人はセナセを恐れているから。いつかセナセの人が月を侵略しようとしてると思っているから」
「そんなことしないと思うよ」
「それはどうだろう」湖の水を掬い上げ、こちらに投げ飛ばす。波紋が点々と浮かび、消えていく。「セナセには凶悪な兵器がたくさんあるじゃない。刀とか、拳銃とか、戦車とか、爆弾とか。人個体にそれほど力はないけど集団になれば脅威になる。君たちには知恵がある。だから、ただただ猛進してくる野生動物とは違う」
「月には無いの?」
「無いね。みんな仲良しだから。君たち、月に来ようとするよね。偉業だかなんだか知らないけれど、こちらからしたら恐怖でしかない。だって、そんなの、隕石みたいなものじゃない」
 怖い怖い、と二の腕を擦る彼女を見ても、とても本当に困っているようには見えなかった。口角が上がっている、こちらをうかがうように見てくる瞳と確実に目があっていた。まるで、自分たちには最終手段があると言わんばかりだ。

「だから月の人たちは、セナセを破壊しようとしているの。私がここにいるのは、その前兆かな」
「その前兆を、僕だけが観測できている訳なんだね」
「運がいいね、君だけは助けてあげようか」
「別にいいよ。他の人がいなくなった世界はきっと寂しいから」
「死ぬなら、みんなと一緒がいい?」
「一人残されるよりかは、ね」
 家族も友人も、誰もいなくなった世界はきっと静かだろう。月の墜落により砕けた地面は、まともに歩くことも難しいかもしれない。世紀末とか、そう言うのが近い世界で一人だなんて、死んだほうが楽になれる。
「──世界に取り残された私に、言う言葉かい」
 向けられた視線は冷たく、光の届かない暗い青がこちらを見ていた。

「……君が世界に取り残されているって言うのは、どういうことなの」
 見据えられた視線は押し返せない。少しでも逸らせば圧に負けてしまいそうだから、じっと見つめ返す。
「どういうことだと思う?」
 彼女は、ただいたずら気に笑っただけだった。




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