髙比良 洋二(Takahira Yozi)

長崎(18年)➡熊本(6年)➡長崎(3年)➡神奈川(13年目) 働く妻の夫、二人娘の父…

髙比良 洋二(Takahira Yozi)

長崎(18年)➡熊本(6年)➡長崎(3年)➡神奈川(13年目) 働く妻の夫、二人娘の父。公立高校地理歴史科教諭(13年目)。野球部監督。 人として、教員として、指導者としての成長をしていきたい。

最近の記事

リーダー考

本日は私の「リーダー」についての考えを投稿します。 リーダーのタイプリーダーといっても、色々な意味があるかと思います。 今回は2つのタイプについて考えてみたいと思います。 ①立場が異なるリーダー 私の周りだと、教諭と校長、選手と監督など。立場の異なる人たちを束ねるリーダーです。 ②立場が同じリーダー こちらの場合は、同じ教諭の中から選ばれる学年リーダー、選手の中から選ばれるキャプテンなどです。 ①の場合は、リーダーの意向により組織の方向性が決まることが多く、いわゆる

    • めざしているチーム運営

      前回はここまでの生徒主体のチーム運営について投稿しました。 これまでの運営方法をふまえ、 今後のチーム運営のポイントは ・ボトムアップでもトップダウンでもないスタイル ・主体的な取り組み➡主体性が身に付くではない という2点でした。 この点をふまえながら、 今目指しているチーム運営について書きます。 全員でチームをつくるとある日、娘たちと観に行った『劇場版 呪術廻戦 0』 エンドロールには、この映画に関わった沢山の人たちの 名前が流れる中、浮かんだこと。 「夏の大会終了

      • 生徒主体のチーム運営

        前回まで、自分自身の振り返りでしたが、 今回からは、ここまでの自分の経験から得られた 考えをテーマごとにまとめたいと思います。 ここまでの取り組み前監督と迎えた2度目の夏である2016年の選手権大会終了後。 大会後の慰労会の中で、 「選手たちが自分たちでチームを作ることが理想」 という話になり、当時、ボトムアップ理論を取り入れていた 山梨県立都留高校の柏木先生の話をしたことが全ての始まりでした。 その夏休みに、監督、数名の選手とともに都留高校を訪ね、 選手が自分たちで

        • 野球人として

          ここまでの歩みの振り返り。 最後は野球人として振り返ります。 現役時代これといって特徴のない普通の選手でした。 強豪校に進学するとか、プロを目指すとかそんなレベルではなく。 強いていうなら、中学時代は脚が速かった方だけど、 高校入学までにガクンと遅くなってしまった。 (この原因はいまだ不明) 特に投げることは不得手であり、 イップスとまではいかないが「狙ったところに投げる」 ということが、本当に難しかった。 だから、今でも中高のチームメートには、 「投げることを指導できる

          教員として

          今回は教員としての歩みを振り返ります。 授業・部活のことは別で書きたいと思うので、 全般的なことを振り返ります。 長崎での非常勤時代教えることに一生懸命でした。 自分の少ない知識と経験の中で、良いことを教えようとしてました。 だからこそ、エネルギーのある年が近い先輩たちから頂いた刺激が とても貴重でした。 今の自分は、あの頃みたいな刺激を若い人たちに与えられているだろうか 授業が仕事だけど、 授業以外でも生徒と関わることがとても楽しかった3年間。 一方で、卒業式の日、 担

          人としての歩み

          先日のプロフィール投稿に続き、 人、教員、野球人としての自分について それぞれ詳しく振り返ってみたいと思います。 長崎での18年間長崎の夜景の名所の一つである稲佐山の麓で 4人姉兄の末っ子として生まれます。 上の兄とは歳が離れていたこともあり、 可愛がられていた記憶が。 幼稚園、小中高校と歩いて通いました。 幼稚園の運動会で、「はとぽっぽ体操」を皆の前で 踊ったのを皮切りに、 その後も、応援団長、生徒会長、体育祭実行委員長など 人の前に立つことが多かったです。 でも、ソフ

          私は何者か

          簡単な自己紹介とともに、 なぜnoteで発信をするのかを書きます。 人として4人兄弟の末っ子として長崎で生まれます。 年の離れた姉兄だったのでかわいがられていた。 小中高は地元の公立の学校へ。 12年間徒歩通学。 中学では生徒会長、高校では体育祭実行委員長と 多くの人の前に立つ経験が今の自分を支えています。 http://www.nagasaki-nishi.ed.jp/ 大学は熊本へ。 大学院には通っていないが6年間過ごす。 大学卒業後、地元長崎へと戻る。 3年間