アメフト部の僕と白血病の闘い②
前回の続きです。
白血病の入院生活を終え、アメフト部のチームメイトと合流しましたが、
入替戦に敗北し、2部に降格して学生アメフトの幕を閉じました。
今回は、入院の影響で1年留年することになった私が、通院治療をしながら、残り2単位のために大学へ通っていた時の話です。
なんともやりきれない気持ち
やり続けていたことを終えると、開放感であふれるかと思います。
身近なことでは、単位をとるために必死に勉強し、テストやレポートをやり切った時、打ち上げをしたくなるような感じかと思います。
私も引退直後はそう感じていたこともありました。
しかし、どこか、吹っ切れない、どよーんとした気持ちを感じていました。
目標を達成できなかったから、そう感じているのではありません。
きっと、
やり切れなかったから
やり切れずに降格という重荷を後輩たちへ残してしまったことへの罪悪感
だと思います。
後輩のサポートをしよう
後輩たちの新チームが始動して少し経った後、大学の正門の前である方にばったり出会いました。
その方は、私が2年生の時お世話になった方で、新チームの指揮を執っていただける方でした。コーチとしてだけではなく、人としても尊敬できる方です。
その方に「4年間お疲れ様。時間があったらグラウンドに来て後輩を見てやってくれ」と言われ、気づきました。
あの敗戦で苦しいのは後輩たち。
その後輩は、すでに前を向いて頑張っているのに何をしている。
引退した自分ができることは、後輩たちをサポートすることしかない。
と考えました。
そして、正式にコーチとなり、LB(ラインバッカー)というDFの指揮を執るポジションの指導にあたりました。
血が騒ぎだす
コーチを始めたことで、選手時代は見えなかったものが見えるようになりました。
選手に根拠に基づく指導をするために、自分の基礎を見直したとき、LBの動きとのつながりが見え、指導しながら自分の動きのイメージは成長しているような感じでした。
春のオープン戦が終わった時(退院から半年ほど)、ヘッドコーチに「選手に復帰したい」と伝えました。
後輩たちが成長していく様子や、試合での姿を見て、「やりたい」と純粋に感じたからです。
フットボーラーとしての血が騒いだのかもしれません...
そして、ヘッドコーチの返事は意外なものでした。
「いいじゃん。シマベがやってくれたら心強い。身体が大丈夫なら是非」
すんなり肯定されたので少し驚きでしたが、その一言はとてもうれしかったです。
退院から約半年で通院治療もしていたが、主治医からは、病状は安定しているからアメフトをやっても良い(血球の状態次第では制限)と了承をもらいました。
後輩たちも復帰に歓迎してくれて、共に1部リーグ復帰のために戦おうと決意しました。
意外と長くなってしまったので、続きは次回にします。。
・復帰してから起きた障害(通院との両立、身体づくり etc)
・戦績はどうだったのか(試合には出られたのか、1部に昇格できたのか)
についてご期待ください!
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