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馬を水辺に連れて行くことはできても水を飲ませることはできない

この話、ピンとくる人いますか?

ベストセラーの「嫌われる勇気」に出てくる、イギリスのことわざです。

この本はアドラー心理学の解説書なんですが。
アンガーマネジメントの観点で、私は事あるごとに読み返しています。

というのも、猛烈プレイヤー志向だった私は
「あれだけ言ったのに何でできてないんだ」という怒りの感情を日々感じて、メンバーにぶつけてしまっていたように思います。

それを感じたくないがために、メンバーの問題に先回りして気づいて、アドバイスしてその通り動いていないとだから言ったこっちゃない。
という最悪の上司を5年目くらいまで繰り返してきたように思います。
(頻度は昔ほどではないですが、今でもあります・・・自戒)

5年前子どもが産まれて、向き合う中で、モンテッソーリ教育を学び
その考え方がアドラーにも繋がる所がある、と聞きました。
そこで、ずっと積読になっていた、アドラーのベストセラーである
嫌われる勇気を読んでみたのでした。

そこで一番印象に残っている例えが表題の
「馬を水辺に連れて行くことはできても水を飲ませることはできない」

「喉の乾いた馬を水辺に連れて行ってあげたとしても、当人である馬が水を飲みたくないと拒めば、脱水症状になるのは馬自身である」ということ。

もう少し噛み砕くと、自分が水辺に連れて行った当人だとして、
馬は他人、水を飲むか飲まないかは馬が選ぶこと。
だから、水を飲まないで脱水症状になるのは
連れて行った私の問題ではなく、馬の問題である。

この話は当時、トンカチで頭を殴られるような
印象を受けたのを覚えています。

今まで「水辺に連れてったのに何で飲まないんだ!」
と糾弾したり、自分の問題として捉えてうまくいかなくて右往左往したり、
行き場のない感情に苛まれたりしたことが幾度となくあったので。

「それはあなたの問題ではない、馬側の問題である。他者の課題には踏み込まなくていいんだよ!その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?を考えてみてね。」
という視野の提案は、心にすっと響いたのです。

なので、それ以降、違和感を感じたとき、モヤモヤしたときには
「これは私自身の課題なのか? 他者の課題なのか?」
切り分けることを心がけています。

そして、何か重大だと思う(言いづらい)課題をエスカレーションするときも「ココまでは私の問題として捉えて引き受けてコミットしようと思っています! が、これ以上は馬側の問題なのでは? と思うのですがどこまで当事者として関わるべきか?」といった相談をするようにしています。

当事者意識(自分ごと化力)が比較的高く、何でも解決したい、決めたい脳の方は是非、読んでみることをお勧めします。


後は、「もしアドラーが上司だったら」

ストーリー仕立てでわかりやすく、入門書として悪くないと思います。
(先々月までAudible無料だったけど無料じゃなくなってる(汗))


「違和感を感じたら、見逃さず口にだそう!」は常に推奨したい考え方で
その上で「違和感の正体が自分の課題か、そうではないか切り分けよう!」まで、セットで心構えしとけると、心理的安全にコミュニケーションできると思います。

これは、チームワークを発揮して動く上で、とっても必要な「自己コントロール力」なのでは、と思っているので紹介してみました。

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この記事に引き続いて。
実は、社内向けの発信したものを折角ならオープン化していこうシリーズとして、更新しています。
緩めの目標設定として、週イチくらいで更新していければと思ってまーす。
それではっ。

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