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別れの流儀

※この記事は、4年ほど前に運営していた趣味ブログの中から抜粋し、一部修正して転載したものです。


社会人になってすぐ、父から手紙が送られて来た。

手紙には色々書いてあったが、その中には


「社会人になれば人との別れを大切にしなさい」


と書いてあった。

当初あまり意味が分からなかったが、その言葉を心に留めて生活した。


−−−そして3年後、最初の別れの節目が訪れた。

警察官を退職するとき、父からの言葉を思い出し、部署問わず全ての職員に挨拶をして回った。

その他お世話になった人には直接会って、経緯を説明した上で、別れの挨拶をした。

正直、その中には苦手な人もいたし、話しづらい人もいた。

しかしそんな人でも一言、


「 ありがとうございました。 」


と伝えると、笑顔で送ってくれた。

そうすると不思議と気持ちが明るくなった。

相手もそうであった、と思う。

そしてその時の別れは、とても清々しさを感じるものであった。


それから時が経ち、多くの人に出会って、多くの別れを経験したが、ただその全ての別れは、お互いに気持ちの良いものになったと思う。

そうなるように心掛けていたからだ。

例えもう二度と会うことのないような人にでも、無礼をせず、一番良い形で終われるようにと思って感謝を述べる。

それがいつしか、自分なりの流儀になっていた。


思えば、それは本来当然のことだ。

出会いばかり何か良いもので重宝すべきもののように言われるが、そうは思わない。

今から出会う全く知らない人以上に、今まで付き合ってきた関係のある人の方が、大切なのは当たり前だ。

なのでそういった人との別れこそ最後まで、もしくは最後だけでも良い形で終わらせるべきではないかと思う。


−−−ただ、最近はそんな良い別ればかりができているわけではない。

なぜだか寂しい別れが少しばかり続く。

交わす言葉も少なく去るその人の背中を見て虚しさを感じる。

最後にこそ、もっと伝えられることがあったと思うのだ。


人によっては別れは一度きりだ。

だからその時ぐらい、相手が誰であれ良い形で終われば、お互い相手に対する余計な感情はなくなり、次に進みやすくなるはずだ。

例え二度と会わない人でも、最後に背中を押してくれたその人の力は自分が前に進む力になる。

そんな力をくれるのが、人との別れだと思っている。


果たしてその考えが、合っているのかは分からないが。

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