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映画「碁盤斬り」を観ました

最近の洋画はちょっと魅力が低下しているような気がします。
理由は言わずもがなのポリティカルコレクトネス。
日本語に訳すると「政治的正解」となり「いくら科学的に間違えていても、政治的に主張されると正しいとみなさねばならない問題」というはっきり言って迷惑以外の何でもないものです。
もともとは多民族国家の人種問題や、歴史的に行われていたことが近年の状況変化で多様性が求められるようになったことが起点ですね。
前者は黒人問題などが有名で「犯罪者の黒人が白人警官に捕らえられるときに暴れたためにきつく捕縛しようとして事故死したことを『黒人虐待』として大事件に発展」というものも起こりました。
私からすれば「逮捕されたときに暴れたりしなければここまでにならなかったのに」と思うのですが。
結果この問題は白人警官が責任を取らされることになっても終わりませんでした。
つまりずっと不満を抱えて生きてきた一部の連中が、これをきっかけに暴徒になったということですね。
おそらくこの事件でなくてもいずれ暴徒になったと思います。
日本では何か問題が起こったからとそれを理由に暴徒になったりしないでしょう。
彼らの社会が間違えているのに、それを日本にまで押し付けようとするポリコレは本当に迷惑です。

思い切り話がそれましたが、今のところ日本映画にポリコレ問題はそれほどありません(ないとは言いません。実際LGBTを扱って国際的評価を得ている邦画もありますから)。
特に日本の時代劇は徹底した歴史考証を行い当時のリアルを描くので、現代の問題は持ち込まれません。
差別があったのなら「当時は差別が一般的な世の中だった」として描きます。
海外の歴史映画ではこれを捻じ曲げて「当時からそんな問題はなかった」ように描くのが嫌なところですね(もちろんちゃんと当時の問題をそのまま描いている素晴らしい洋画もあります)。

碁盤斬り

さてそこで今回見た「碁盤斬り」は、本当に日本映画の良さにあふれていました。
どうやら江戸時代の人々は「定職に就く」というのは結構稀で、多くの人は基本的にはその日暮らし、金がなくなれば短期や日雇いで収入を得られる仕事を行い、金が入ればなくなるまで無職に戻る……という生活をしていたらしいです。
それでいて普通に生きていけたのだから、金銭的には貧しくても、庶民の心は豊かだった江戸時代は素晴らしい時代だったと言われています。
もちろん貧しさゆえに犯罪に走る者もいたのでしょうが、江戸が犯罪都市でなかったことは私たちが良く知るところで、日本人の誠実な生き方がそこにあったという証明でもあると思うのです。

「碁盤斬り」物語のあらすじ

主人公である浪人侍の柳田格之進は、江戸の路地裏の長屋で娘と貧乏な生活をしていたが、彼は侍としての誇りまでは捨てておらず、貧乏ながらにもつつましく、正々堂々とした日々を送っています。
そして印を彫る単発の仕事を受けたりしつつ、また得意の碁を人に教えたりして暮らしていました。
ある日、一仕事終えた柳田は碁会所で賭け碁をしていた男と出会います。
賭け碁には手を出さない柳田でしたが、男の打ち筋を見て思うところがあったのか先ほど手に入れたばかりの一両を元手に男と対戦します。
柳田の碁は「石の下」と呼ばれる戦法を得意としており、一見相手が有利に進みつつ、実はこちらの術中に落ちているというもの。
これは周囲の人にはわからず、対戦相手だけが途中で気づくのです。
しかし何を思ったか柳田は途中で降参し、一両を置いてその場を立ち去りました。
おかげで長屋の店賃が払えず、娘にまた迷惑をかけてしまうのでした。

あくる日、職探しをしていた柳田は通りかかった質屋で諍いが起きているのを目のあたりにします。
なんと質に入れた家宝の茶器が返ってきたら欠けていたと、萬家が難癖をつけ手られていたのです。
彼はその昔、彦根藩の蔵番をしていたため目利きができました。
その目利きで萬家を見事すくいました。
この萬家の主人、源兵衛こそがあの碁会所で賭け碁をしていた男でした。
源兵衛は柳田の長屋に向かい礼にと十両を出しますが、柳田はそういうつもりでやったのではないと頑として受け取りません。
そこで源兵衛は碁で勝負をつけ「柳田様が勝てば十両は持ち帰りましょう。ただ自分が勝ったら十両を置いていく」と提案します。
結果は柳田のすがすがしいまでの勝利。
「碁にだけは正々堂々でありたい」という柳田に惚れた源兵衛は、碁の教えを受けることになり、それはいつしか柳田の正々堂々の生き方を学ぶことにもなりました。
中秋の名月の月見の宴を催した源兵衛。
そのころにはかつてのケチであった性格は、誠実な商いを行うものとなりかえって商売は繁盛するようになっていました。
困窮する同業者に五十両を用立てるなどの漢気も見せるようになっていました。
だからこそ借りた方もしっかりと返済してくるのです。
この返済された五十両が柳田と碁を打っていた日にどこかに行ってしまいました。
同じ日、柳田も自分が藩を追われ、また妻の自死の原因となったのが柴田兵庫という男であったことが分かったと、かつての部下から聞かされ、心穏やかではなくなりました。
心乱れた柳田の碁の打ち筋は、対戦をしていた源兵衛でさえ戸惑うものとなったのでした。

妻の仇である柴田を討つため旅立とうとした矢先、柳田は「盗った五十両を返せ」と萬家の弥吉に言われ「無礼者!」と激高する。
「武士は正々堂々と生きる、人様のものに手を出すなどするわけがない!」と。
どうやら昨夜の対戦の途中で源兵衛に返された五十両が消えたのだという。
そして柴田のことを聞き、心穏やかでなく途中で帰ったその行動が、疑いをもたれたのだろう。
しかしやっていないことを証明することはできない。
柳田は窮地に立たされるのであった。

素晴らしい映画でした

この物語は「真面目に生きるということの大切さと大変さ、そして約束の重要さ、さらに個人のメンツ」という今の世にも通じるものを描いている。
そして縁者の技量の高さによってそれが鮮明かつ痛烈に描かれている。
草彅剛の柳田格之進は非常にはまり役だし、蔦谷源兵衛の国村隼も貫禄だ。そして柳田と対照的な柴田役の斎藤工の演技も観客の感情を揺さぶってくる。
他にも多くの実力派の役者がこの世界を支えていた。
以前「小川の辺」や「一命」という映画を見た時にも当時を生きる武士の矜持というものに触れ、とても感動したことを思い出しました。
「碁盤斬り」もそれに並ぶ本当に素晴らしい作品でした。

残念なことが…

一つだけ悔いる点があるのだが、それが私自身が碁のルールを知らないで観に行ってしまったということでした。
もちろん碁のルールを知らなくても作品はしっかりと伝わりました。
しかし知っていれば盤面を見てどちらが優勢かを把握でき、もっと楽しめたのだと思う。
もしこれから碁盤斬りを観に行こうと考えている人で、碁の知識がないのであれば、少しでも碁のルールを覚えてから観に行かれることをお勧めする。
それを怠った私と同じ後悔をしないでいただきたい。


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ゲーム業界に身を置いたのは、はるか昔…… ファミコンやゲームボーイのタイトルにも携わりました。 デジタルガジェット好きで、趣味で小説などを書いています。 よろしければ暇つぶしにでもご覧ください。