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知的生産の基本的スキル|妄想する頭 思考する手

暦本純一先生著「妄想する頭 思考する手」を読んだ。改めて、卒論、修論、博論を真剣に取組み、論文という形でまとめる作業は、あらゆる知的生産における基本的なスキルの訓練に極めて有効であると痛感した。詳細は本書を参照されたいが、本書を読んで、知的生産について考えたことを中心にまとめておきたい。

高まる知的生産スキル需要

さまざまなヒト、モノ、サービスが、相互に影響を与えながら連動し、不確実性や複雑性の高く、変化が速い現代社会においては、これまで以上に、あらゆる業界・業種において、知的生産の重要性が増しつつある。つまり、常に、新しいやり方で新しい価値を提供できるよう、継続的な成長が生存条件となっている現代だからこそ、短期間で他と異なるアイデアをつくり、形にし、改善し続ける必要がある。

そのような知的生産活動を行う上で重要なスキルは、様々なものが提唱されているが、私は最重要なスキルは、研究や論文執筆に必要とされるスキルと同一と思う。つまり、やりたいことを起点として、何かしらの仮説(本書で「クレーム」と表現される)を主張し、その仮説を検証するスキルである。検証を行い、知見を得てはじめて、その知的生産は遂行されたと言える。新しい知を獲得するというプロセスは究極的には、全てこの形をしていると考えられ、これこそ知的生産の基本スキルだと考える。

知的生産における最重要ポイントは?

私は、この一連のプロセスの中で、特に最重要かつ困難な点は、良い「クレーム」として表現する段階、良い仮説を立案する上流段階と考えている。本書では「素材の良否が料理を左右する」という比喩で、「クレーム」の重要性が説明されている。「クレーム」が悪いと、どのような検証をしても、どうにも良い知見は得られない、という意味である。なので、知的生産能力を向上させるためには、いかに良い「クレーム」として表現できるか、が鍵だと考える。

この良い「クレーム」への表現は、ビジネスの場においても当然重要である。おそらく、コンサルティング業界などにおいて、クライアントの状況を整理して、いま着手すべき打ち手を明らかにする、という行為そのものが、まさに良い「クレーム」を作り上げる部分と対応するのであろう。また、新しいビジネスを立ち上げる企画部門などは、社内外の状況を精査して「クレーム」の発案を生業にしていると考えられる。さらに、ベンチャー企業などにおいては、「クレーム」の発案に加え、それらをプロダクトやサービスとして開発・運用しながら、「クレーム」を検証・改善し続けているのであろう。

この「クレーム」が曖昧であると、検証ができず、知見が得られない。成功はおろか、失敗もしないので、学べることが何もなくなってしまう。つまり、後続プロセスはすべて無駄になる。このように「クレーム」を洗練させていく活動が、知的生産活動全体を支配する、最重要作業といえる。

良い「クレーム」と悪い「クレーム」

そのような「クレーム」立案のヒントが、本書には丁寧にたくさん書かれている。良い「クレーム」の観点や悪い「クレーム」の観点である。これを理解し、実践することができるだけでも、知的生産能力は格段に上がると想像できる。その一例を紹介しよう。

「クレーム」は、短く、具体的に、自他共に理解できるよう整理されている必要がある。そして、頭の中にある、もやっとした状態の仮説を言語化し、「クレーム」という形に洗練させていくことで、アイデアそのものが洗練される。

「クレーム」は事実ではなく、あくまで仮説である。ファクトでもないし、最終的な結論でもない。「クレーム」は、研究したい分野やジャンルや方向性だけでない。

本書に含まれる「クレーム」の良し悪しの観点の一部については、以下の暦本先生の公開スライドにもわかりやすく書かれている。

個人の孤独なプロセスが独創的なアイデアを産む

さらに本書には、イノベーティブなアイデアには個人フェーズが必須と書かれている。これはとても共感する内容だ。さぁみんなで考えようと検討し、合議して得た結論は、得てして声の大きい人々の最大公約数まで、アイデアが丸くなってしまう。

なので、個人が責任を持って良い「クレーム」を発案、洗練すべきであり、会議やチームは、その個人が作成したアイデアに対して、フィードバックを行う場として活用するのが良い方法であろう。あくまで、個人の発想やアイデアが確固たる幹としてあり、それに対して、より良い方向をアドバイスするだけである。

ビジネスの場でも、個人として孤独に塾考する時間がない人は注意が必要だ(これは自分への戒めでもある)。自ら知的生産ができていない可能性が高い。自ら責任を持ってクレームを発案し、洗練させていき、他人からフィードバックを得る、そういった活動を継続的に行なわなければ、知的生産能力は成長しない。

研究活動で学ぶ知的生産の真髄

これらを踏まえて、知的生産の真髄は、やはり学生時代の研究活動から学べることが非常に大きいと思うのだ。卒論・修論・博論は、個人で責任を持って考え抜く孤独なプロセスである(孤独で精神的に病んでしまう学生がいるのは問題であるが...)。また、自ら立案した研究テーマと「クレーム」(仮説)や実験結果に対して、教授や先輩から手厚いフィードバックをもらい、洗練させていく。特に、学生時代の研究においては、必ずしも「クレーム」を完全にした後、実験や検証と進むという連続的な過程ではなく、いったりきたりするものである。この過程を経ることで、研究としてフォーカスすべき内容が明確化されると共に、どのような問題設定(「クレーム」立案)をすると後続の研究プロセス(論文執筆まで)がスムーズに進むかの感覚を得ていく。

このように研究活動を行う過程で得るものは大きいと考えられる。今現在研究活動を行っている学生は(その重要性を理解するかどうかは二の次三の次で)本気で研究活動を行うと得るものが非常に大きいと思う。また、すでにビジネスの場で活躍されているような方々も、新しい時代に備えて、今一度研究活動を行うというのは非常に良いスキルアップ方法の一つであると考える。知的生産能力を鍛えたい方は、興味のある分野の大学院や研究室の門戸を叩いてみてはどうだろうか。

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