「衝動」で、キャリアの蓋を外す

二つの異なる場所で、「衝動」という言葉が使われているのを見て、
その持つ意味について、考えさせられました。

それまで、「衝動」というと、私は何かしら良くない意味を連想していました。
たとえば「衝動的に」というと、あまりよく考えずに行ってしまう行動を表し、悪い結果に結びつきそうなイメージを持ちます。
しかし、それが行動に移すための有用な原動力だと考えると、自律的なキャリア形成にとっても重要な視点かもしれません。

一つ目の「衝動」は、ボランティア活動と行政の取り組みの違いを説明した文章でした。

 行政に求められる公平・平等、継続性、全体に奉仕する姿勢といった「心構え」は(ボランティアには)ない。
 ボランティアは、思いつきや好奇心、衝動から始まる。
(早瀬昇・牧口明著(1997)「知っていますか?ボランティアと人権 一問一答」解放出版社)

ボランティア(あるいはNPO)と行政は、その活動の種類として社会福祉領域で重なる部分があり、ややもすると、ボランティアは、行政の行き届かないところの穴埋めのような位置づけで捉えられることもあります。
それに対し、その取り組み方に本質的な違いがあることを説明している箇所の一部分です。

誤解のないように補足をすると、ボランティア活動については、以下のようにも説明されています。

 「最初に周到に計画をねり、その遂行をノルマとしてみずからに課す」という世界とは異なり、感動、怒り、充実感といった思いが重なりあって、活動は進められていく。

「自分のこだわりや関心を核にして、自由に創造的に取り組むものである」というのがその著者の主張です。

ここまで読むと、「衝動」の意味するところが伝わってきますが、こちらは企業に長年勤め、計画をたてて動くことを叩き込まれている身です。「衝動から始まる」ことの意味が、いまいち、ぴんとこないままでした。

そんな「勢いでやってしまう」ような形で始めるというのは、本当なのだろうか?
心の中に、妙にひっかかるものを感じていたのですが、そこで、また別の「衝動」に出会います。


二つ目の「衝動」は、CULTIBASE編集長の安斎さんの動画です。

安斎さんは、教育哲学者デューイの著書「経験と教育」から、
「個人の内側から湧き上がる『衝動』が、 人間の創造性の源泉となる」という箇所を引用し、現代企業の課題について話していました。

経験から人は学ぶ 
その出発点は、内側から湧き上がる衝動だ
欲求とかモチベーションに近いが、もっと人間の根源的なものから湧き上がっているもの
これは現代企業の課題であって、新しいものを作らなきゃ、イノベーションを起こさなきゃ、と考えるうちに外部に正解を求めて、内側から湧き上がるものに蓋をしてしまっている。

安斎さんの問題意識は、

イノベーションが起こせないのは、「衝動」に蓋がされているからではないか?この蓋をいかに外すことができるか??

というところにあるのですが、この話を聞いた時に、さきほどのボランティア活動について書かれた「衝動」を思い出したのです。


ボランティア活動は、「自己満足」と揶揄されがちです。
確かに、そう言われても仕方ない場合もあるようです。
一方で、「どうしてこんなに大変な活動ができるのだろう」と思うほどの困難なボランティアを行っている方々もいます。
それは、とても自己満足なんていう緩い(と私には思われる)感覚で説明できるものではありません。

でも、そこに「衝動」があるのであれば、なぜその困難に立ち向かえるのか、少しわかる気がします。やりたい、あるいは、やらなければ、という衝動。

欲求なのか、使命感なのか。
善意なのか奉仕なのか自己満足なのか、そんなことを考える必要性もない、自分を突き動かす、根源的な何か。


デューイが批判しているのは、従来の(といっても1938年ごろの)教育が衝動の蓋をしているということです。
その衝動の蓋を開けなければいけない。

そこからまた連想したのが、企業の教育もまた、キャリアに対する衝動の蓋をしているのではないかということ。

企業における従来の人材育成は、長期雇用を前提として、その企業に適応することを目指したものです。
そのため従業員は、キャリアを企業に依存してきましたが、2000年ごろから自律的なキャリア形成の必要性が言われるようになっています。
しかし、それはまた企業側にとっての不都合もあり、20年たった今も、一向に自律的なキャリア形成が行われている気配がありません。
そこには、重い重い蓋があるように感じられます。
その蓋を開けるためには、個人がもともと持っていたはずの「衝動」を思い出すことが、一つのきっかけになるかもしれません。

「衝動」をキーにしたキャリア理論はないように思いますが、キャリアコンサルタントの支援方法の一つとして、
個人の中にある「衝動」への気づきを発生させること、というのがありそうです。

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