見出し画像

#4.コンセプトを設定した浦和レッズはなぜ勝てなかったのか(三年計画を定点観測/総括)

◆前書き

2019年12月に浦和レッズはそれまでの強化体制を改めて「フットボール本部」を設置し、戸苅本部長、土田SD、西野TDを要職に据えました。そして、この体制を発表する記者会見の中で「チームの柱となるべき一貫したコンセプトがないため、監督選び、選手選びの基準、サッカーのスタイルがその都度変わり、短期的な結果を求め、求められ、今まで来た」という反省から、「クラブ主導のチームづくりのコンセプトを元に、それをピッチ上で体現してもらう」という方向へ変革することを宣言しました。

そして、変革には時間がかかるとしつつも、浦和レッズは結果も求められるクラブであるということから、「三年計画」を作り、2023年以降は常に安定して優勝争いをするチームとなり、リーグ連覇を成し遂げることを目指しました。

その「三年」が経過する今、変革のスタートからここまでを振り返り、ここから先のクラブに何を求めるのか、何を期待するのかを考えて行こうと思います。


これはあくまでも僕なりの意見であり、とても断片的な視点であるので、ぜひこれを読んでくれているあなたにも「この3年間をどう評価しているのか」「ここから先はどうなって欲しいのか」といった「おもい」をnoteやブログでの記事でも、Twitterでも、あるいはyoutubeなどの動画形式でも、それぞれのやりやすい場所で書くなり話すなりしてもらいたいです。

ヘッダー画像にもある通り、僕は今回の記事に #俺たちが見た三年計画 というタグを付けました。このタグで色々な意見をアーカイブ化出来たら面白いなと思っています。

数字は漢字、全角、半角など表記揺れしやすいので避けたかったのですが、それでも「三年計画」という言葉があるからこそ、このタイミングでのまとまった振り返りをしようと思ったし、ここから先どうなるのかを気にかける人もいると思うので、「三年計画」という言葉を使うことにしました。



ここまで3回に分けて時間も文字数もかけながら、2019年12月にスタートした浦和のフットボール本部による強化体制を評価するための話の前提を揃える作業として、#1では理念をスタートとした方向性の定義、#2ではその方向性に則った編成のあるべき姿、#3では計画を進める中で必要な行動や態度、というテーマで書いてきました。

僕は長々と文章を書く傾向があるので、パッと読んですぐに理解したいという方はそもそも僕の文章をあまり好んでいないだろうとは思いますが、そういう方にもこの#4を読む前に是非これまでの3回を読んで頂いたうえで話を進めたいと思います。


◆「三年」で成長したこと

2020年からの3年間でいくつものポジティブな変化があったと思います。まずは、フットボール本部を構えて監督ありきではなく、クラブ主導の一貫した強化を進めるための編成と指導者や現場の態度です。

2020年は前体制が残した契約によって選手の入れ替えは難しく、2017年から3年連続で監督を途中解任していることから監督も選手もガラッと入れ替えるということは難しかったと思います。大槻さんが2019年から引き続き監督をすることとなり、選手補強もレオナルド、伊藤涼太郎(レンタル復帰)、武田英寿の3名でスタートしました。トーマスデンが途中加入したことを含めても4名しか顔触れが変わっていません。

人の入れ替えが出来ない中で理念、コンセプトを実現できるようにするには「出来るように育てる」しかありません。そこで大槻さんが取ったアプローチはその当時の選手たちが慣れ親しんだ3バックから4バックへの変更でした。チームの顔ぶれが変わらない中で何かを変えようとするときには、段階的に少しずつ変えようとするとすぐに元のやり方に回帰しようとしてしまう、上手くいかない時に簡単に戻そうとしてしまう可能性があります。大槻さんが分かりやすく配置から手を入れたのにはこうした理由がありました。

「メンバーは大きく変わらない中で、キャンプ中はちょっと”さら地”じゃないけれど、今まで身に付いていた戦術やプレーモデルに帰っていっちゃうところを1回さらにしようと。システムも従来の3バックでやっちゃうと戻るところに戻りやすい、それで4バックにトライしたと言うのもあります。シーズン中に何回かは3枚にしたけれど、4枚でやった方が積み上がっていく可能性があるなと」


「俺たちは変わるんだ」というだけでなく「もう後戻りしないんだ」というように、今までやってきたことをリセットする、何かを学ぶことへの抵抗を捨てさせる、「梯子を外す」という良い喩えを見たこともありましたが、正にそうして自分たちのスタンスを表明したことにこのシーズンの意義があったと思います。

2021年からは徳島で静的な配置を武器に結果を出したリカルドを招聘したことを口説き文句にした面も多分にあったと思いますが、前体制の呪縛も薄まったことで積極的な選手の入れ替えを行いました。

期限付き移籍も合わせて春先の段階で16名がout、10名がin。ただ、実績があって即戦力扱い出来るのは西大伍くらいで、他は新卒かJ2で実績を積んだ若い選手が中心でした。それでも、若い彼らはいずれもサッカーにおいて普遍的な原則の部分への理解や、学習意欲が見える選手であったこともあって、すぐにチームになじんでいきました。

この辺りは選手補強の仕方も今までやってきた「いっちゃんええもん買い」ではなく、クラブとして求める方向性に合致する選手をネームバリューにとらわれずに獲得したと言えます。さらに、スカウティングシステムを活用しながら北欧ルートを開拓してユンカー、ショルツを獲得、夏には酒井、江坂といった実力者も獲得するなど、クラブとして状態が上向く中でそこをさらに加速させる補強も行いました。

クラブが分かりやすく変わっていったこの時期はとてもワクワクしましたし、酒井、江坂の加入会見では西野TDが時間をかけて質疑応答を行い、クラブとしての方向性についての発信が行われました。

(今シーズンは今のところうまくいっていると思う。その要因は補強もそうだし、キャスパー選手がはまっていることもそうだと思うが、クラブの中で話し合った結果だったり、監督やチームの風通しがより良くなったりしたからうまくいっていると感じる。その点はどうか?)
「風通しがいいか悪いかは、それまでのところをあまり理解できていないので何とも言えませんが、リカルド監督も非常にオープンな方で、たとえば監督経験のある方が練習を見に行きたいと言ったら、できる限り受け入れて見てもらうこともあります。

クラブとしてもできるだけオープンにしたいと思っています。コンセプトを作ってそれをみなさんに共有したことも、『コンセプトになっていないじゃないか』という批判を受ける覚悟をして出していますし、そういったことで僕らは成長できると思っています。

風通しがいいかどうかは分かりませんが、できるだけオープンにして、晒して、批判してもらい、僕らはそれを振り返りながら成長できればいいのではないかと思っています。リカルド監督も基本的にオープンです。いいか悪いかはいろいろありますが、そういうことがあると思います」

(先ほどの話にもあったように、今はSNSでフットボール本部への評価はポジティブだが、今後は批判もあるかもしれないが、レッズや西野TDが情報を開示してくれることによっていろいろな議論が起きるのはすごく大事なことだと思う。西野TDは情報開示に対するポリシーや姿勢についてどう考えているのか?)
「僕もこの仕事に就いてからSNSを結構見るようになりましたが、すごく思うことは、どういう立場の人が書いているかは分からないにしても、議論の質が高いと言うと偉そうですみませんが、目線が合ってきていると言いますか、『そうだよね』と思うものがたくさんあります。戦術的なことにしても、編成にしてもそうです。

ですので、オープンにするリスクもありますが、オープンにするからこそそれに対する率直な意見がもらえます。実はそういう中からたくさんの学びもありますので、メリットがすごくあると思っています。特に浦和レッズのファン・サポーターはクラブのことが大好きな方がたくさんいますので、大好きだからこそ、いいときにはすごく褒めてもらえますし、ダメなときは心の底から言ってもらえます。

そういうこともしっかりと受け止めながら、ダメなところはダメですよね、としっかり開示していくと、どんどん意見をもらえますし、どんどん意見をもらえると意見をしてくれるみなさんを力にして、クラブが成長できると思っています。

ですので、何が何でもではないですが、ある程度はオープンに情報を公開して、晒して、褒めてもらって、非難してもらって、それをどう僕らが受け止めて次につなげていくかということだけだと思います。オープンな姿勢と言うと簡単だとは思いますが、晒せる部分はどんどん晒して、今まで通り議論してもらい、僕らはそれを真摯に受け止めて成長の糧にしていくという効果、価値があると思っています」

これはクラブ主導という方向性になるための下地を作った淵田さんが大切にしていた「双方向のコミュニケーション」であり、それが計画を始めた時だけでなく途中の段階でも発信されたことは意義があったと思います。


そして、2022年に向けては宇賀神、槙野といった功労者への契約満了を筆頭に長所と短所がはっきりした選手が放出されることになりましたが、クラブとして彼らへの敬意はありつつも、編成面での透明性というか、クラブとして一本筋が通った評価を各選手に対して行っているということを感じました。

コンセプトを表現できる選手を育てて作ろうとした場合、若手とベテランを比べると習得した後にそれを発揮する時間は若手の方が長いですし、一般的にはベテランになるほど多くの経験をしているので自分の中にあるもので答えを導き出すことが出来る分、新しいことを覚え直すという作業が大変になります。単純に年齢でくくるべきではないし、残酷な話ではありますが、一般論としてはこのような考え方をされると思います。

若手とベテランを天秤にかけた時に、今までの貢献度を軽視すべきではありませんが、そこに対して過度に気を遣ってしまうとクラブとしての編成の透明性は保てなくなると思います。「仕方ないけどバスを降りてもらうしかなかった」と西野TDは宇賀神、槙野に対してコメントしたこともありましたが、彼ら2人への提示はクラブもプロとして結果を出すための判断、覚悟を示した大きなものだったと思いますし、だからこそ、こうしたクラブの方針の中でも契約を勝ち取り、2022年には再び大きな成長を遂げた西川には大きな賛辞を贈るべきだと思います。

また、このオフは選手補強の面でも、リカルドのスタイルと浦和のコンセプトにはズレがあるがそれは擦り合わせていくという前提を反映するように松尾やモーベルグといったスピードのあるアタッカーを獲得しています。そもそもリカルドの志向する静的なサッカーにおいては、より個人の質が求められるので、スピードのある選手が不要というわけでは全くないのですが。


世界的なサッカーの流れからしても、ポジショナルプレーに代表されるような、サッカーという競技で求められる論理的な要素(盤面上の正論)に対しての理解やそれを実際に表現しようとすることが必須項目になってきていました。そもそもサッカーとは何か、その中で浦和がクラブとして強調するのはどういう要素か、こうした抽象的かつ原則的なものを目の前の試合、目の前の局面に対して応用していくことが求められます。

これは、何か特定のやり方だけを反復していく、厳しい言い方をすれば思考停止のような態度では成立しなくて、常に考え、判断する、そのために必要なことを学ぶ、というサイクルを繰り返さなければいけないと思います。監督が大槻さんからリカルドに変わりましたが、この二人に共通していたのは、自分たちの原則を相手に応じて考えて変化させていく姿勢が強いという部分です。

永遠に同じ年の同じ相手に対して試合をするのであれば特定のやり方をとことん磨いていても良いと思います。しかし、時間は進むし、その間にクラブの置かれている環境は変化していきます。その変化の周期やスピードに追い付く、さらには先取りするということをしていかないと、たちまち置いていかれて競争力を失いかねないので、常に変化していくことは求められます。


大槻さんが「主体性」という言葉を多用しながら「リアクション」と言われたり、リカルドが「スタイルを確立すること」を強調しながら「相手ありき」と言われたりしました。この言葉を真っ向から否定するつもりはありませんが、「自分たちの原則に沿ってどうリアクションするのか」「相手ありきで自分たちをどのように変化させるのか」という点については2人とも一貫した原則があったように見えます。

ここについて、特に大槻さんの言う「主体性」については少し理解しにくいところがあるかも知れません。一般的に「主体的」とされる、自分が明確な意志をもって相手に対して影響を与える「能動」との結びつきが見えないことがその理解しにくさの正体だろうと思います。むしろ、相手の意志によって変化させられている「受動」に近いようにすら感じます。

また、リカルドのスタンスも、相手に何かを強いる「能動的」な振る舞いと、相手の影響を受ける「受動的」な振る舞いが同居しているように感じるところがあるように見えます。つまり、この2人の下で目指したサッカーは「能動」(自らの意志で相手を支配する)と「受動」(自らが相手の意志によって支配される)という二軸では評価が出来ないのではないかと思えてきます。


そこで参照したいのは「中動態」という在り方です。「能動」と「受動」が自分の外へ、自分の外から、のどちらかの矢印の向き方であるという構造に加えて「中動」は矢印が自分の内に向くという在り方です。自分の意志でも相手の意志でもなく、周囲の影響を受ける、受けないに関わらず自分たちがそれ自体であろうとする、状況に応じて自分たちらしく変化するというイメージです。主体が起こす行為に対して自らがその影響を受けるとも言えます。

サッカーという対人ゲームに於いて、相手からの影響を受けないということはあり得ません。ただ、相手の影響を受けるだけ、自分たちはなすがまま、そんなサンドバッグ状態では攻勢に出ることはできません。なので、相手や環境に応じて自らをその場に適応させる必要があります。そして、適応のさせ方が毎回違うやり方ではチーム全体での目線が揃いにくいので、そこで自分たちのコンセプトを設定することで、主体性(=自分たちがどう在りたいのかという意識に基づく判断や反応)を持って変化していくことになります。大槻さんやリカルドの根底にはこのような考え方があるのではないかと思います。

そうした考え方の中で、状況に応じての変化の仕方について、選手に対しての指導者による「決める」と「委ねる」のバランスを中核に置いて僕は3年間を、大槻さんが少し委ねすぎた2020年、リカルドが決める割合を増やして成果を上げた2021年、選手の能力にばらつきが出てこの割合の調整が上手くいかなかった2022年という捉え方をしてきました。


ちなみに、リカルドになる前にほぼ確定との噂が出た方は大槻さんやリカルドよりも「自分たちとは何者か」という部分、より能動的なところに重心を置いているように感じるので、もしその方が2021年から率いていたらどういう点で大槻さんとの共通点や継続性が見えたのでしょうね。彼に対してもクラブ主導でのオーダーは出るはずで、そうすると過去湘南でやってきたこと、現在京都でやっていることとイコールになるとは限らないのでここは推測の域を出ませんが。


こうしてクラブはこの三年で間違いなく変化し成長してきたと思います。しかし、結局のところ三年計画の中で各年に対して立てた目標はどれも達成できていません。ここは噓の付きようがない話です。ただ、計画というのは立てたらそれで完了ではなくてそれを実行しなければいけないですし、実行する中で計画に対しての上振れ/下振れは高確率で発生します。

残念ながら今回はいずれも下振れに終わりましたが、それを受けて理念やコンセプトといった根本の部分をひっくり返すのではなく、それらを実現するための戦略を見直す、改善するという結論を出したこともこれまでの浦和からの大きな変化だと思います。

テーマ(考え方)は、方向性(コンセプト) × 継続性(積み重ね)です。

方向性とは、所謂チームコンセプトの事であり、ピッチ上で繰り広げるサッカーの言語化・数値化の表現となります。クラブが主体的に方向性(コンセプト)を定め、監督や選手に活躍してもらいながら、チームとして、クラブとして成長していく事。そのプロセスには着手できており、チームは確実に成長してきています。そして、そのプロセスのなかで、多くのデータを活用してコンセプトに沿ったさまざまな分析、評価を行うことができるようになっており、主観と客観を組み合わせながら意思決定しています。
できたこと、できなかったことについてそれぞれ真摯に振り返り、次に活かす糧としてクラブの経験として積み重ねてきています。そして、それを継続させていきます。
もっとも重要なチームの成績という点では、満足のいくものではありませんでしたが、成長のプロセスとしてはこの方向性をいかに継続(積み重ね)していけるかだと認識しています。プロセスにおいて、選手、監督、チームスタッフ等が変わっていくことは当然起こり得ますが、それによって継続が断たれることは決してありません。


変革を打ち出して、実際にやってみて、ダメなら他の人を呼んで一からやり直し、そうした焼畑農業からの決別がこの3年間の一番の成果でしょう。ここは現体制を評価すべきだと思います。

ただ、この3年間での目標設定そのものが正しかったのか、そして、この目標に対して取り組む態度は正しかったのか、ということを次の項で見て行こうと思います。


◆「三年」の妥当性と向き合い方

2017年以降、Jリーグは川崎と横浜FMが優勝を分け合っていて、どちらもJ1クラブの中では早い段階でクラブとしてのスタイルを固めて、指導者も選手も編成してきたように見えます。

川崎で言えばで2012年4月に風間さんが監督になったところ、横浜FMは2014年にシティグループへ参入したところが大きなターニングポイントだったと思います。その後川崎が最初に優勝したのは2017年、横浜FMは2019年でした。

日本国内にも「ゲームモデルって大事じゃね?」といった考え方であったり、ペップのおかげ(?)で広く知れ渡ったポジショナルプレーに代表されるサッカーというゲームの攻略法(盤面上の正論)への理解が一般的に広がったりし始めたのがちょうどこの時期で、この2クラブはいち早くそれを習得し、表現することでリーグの中で優位に立つことが出来たのだろうと思います。


そこから数年経って、今は「ゲームモデル」を設定していることや「盤面上の正論」を知っていることは当たり前で、それをどう扱うのかというところへ段階が移っていていると思います。浦レポなどで記事を書いている轡田さんの喩えが秀逸で記憶に残っていたので借用しますが、ガラケーからスマホに切り替わったころはスマホを持っていること自体がすげー!ってなることだったんだけど、今はスマホを持っていること自体は特に凄いことではない。スマホを使って何が出来るのかによって評価される、という段階になっているということです。

なので、「川崎や横浜FMが5年かかったのなら、浦和も同じように5年かければ成果が出るよね」ということではなく、先に「スマホ」を手にした川崎や横浜FMは浦和よりも先に「スマホ」の上手な扱い方を心得ている訳で、浦和が「スマホ」を手に入れて扱い方を勉強している間にどんどんやれることを増やしていく時間があります。そして、「スマホ」を持ち始めたクラブは当然浦和だけでは無いので、そうした周りのクラブよりも早く扱い方を覚えてなければいけません。なので「あの頃は5年で結果が出たけど今はもしかしたらもっと時間がかかるかもしれない」となるだろうと思います。


浦和が方針転換した2019年12月というのは、この流れに乗って先行していったクラブを追い越すには最終電車くらいのタイミングだったと思っていますし、そういうことを考えると、2019年末に設定された「三年」という時間はかなり急速な成長をしない限り、難しい目標設定だったと言えます。

「じゃあ、何年なら妥当なんだよ」という問いに対しては、正直明確な答えは持てません。2019年と2022年のJ1全体の戦術的な流れはかなり変化してきていると思うし、それが今後どういう方向へさらなる変化をするのかはなかなか想像できないからです。


川崎や横浜FMだけでなく、広島や浦和時代のミシャであったり、渡邉さん(仙台)、片野坂さん(大分)、ロティーナ(C大阪)、下平さん(柏、横浜FC)、金明輝さん(鳥栖)、ザーゴ(鹿島)、彼らを筆頭に2010年代半ばから2020年にかけて静的なポジショニングからビルドアップをスタートするスタイルがJ1にも広がっていきました。

その潮目が変わったのは、札幌に移ったミシャが2020年秋に川崎に対して繰り出した激しいマンツーマンのプレッシングで、2021年には鳥栖が前年の静的な4-1-2-3の保持のスタイルからガラッとシフトチェンジして果敢なプレッシング志向へと切り替わり、2022年は広島、鹿島、名古屋、柏などがこの流れに続こうとしていたと思います。また、横浜FMも変革当初は静的なポゼッションの方がピックアップされていたように思いますが、足の速い選手を取り揃えたことで速くて正確なビルドアップと激しいプレッシングを両立させています。

正論としてのポジショニングへの理解が進んだ結果、その場所を正確に取れるかだけでなく、正確に取れるまでの速さも求められるようになったわけです。より速くプレーしようとしたときに、ボールを持っている人よりも持っていない人の方が速く動きやすいですし、速く動いてボールを突っつくのと、速く動きながらボールを正確にコントロールして蹴るのでは後者の方が難易度が高いです。

サッカーの試合で保持率が100% vs 0%になることはないですし、ボール保持の時間が長くなるのかどうかは相手やその試合の状況によって異なります。となると、プレッシングしかできないとか、ボールを繋ぐことしか出来ないとか、何か特定の局面にだけ特化したチームは総当たり方式のリーグ戦で結果を出すことは難しくなりますし、時流に合わせて少なからず変化しながら結果を出していくことが求められます。

運良く自分たちの長所がその時の勝てるスタイルにぶち当たることもあると思いますが、その不確実性を追うよりもきちんと自分たちでどの局面でもやれるように総和を上げていくべきでしょう。なので、速く/遅く×ゴールを奪いに行く/ボールを奪いに行くという4つの方法をコンプリートすることが必要です。クラブとして、いつでもどこの局面に対しても優位を取れることが理想ですが、この中でより難しいのはボール保持だろうと思います。

難しいということは、それだけ向上させるのに時間がかかりやすいということでもあります。いつかは出来るようにならないといけないのであれば、時間がかかることから先に向き合うことにしたというのが浦和の選択だったと思いますし、大槻さんが一度編成も思考態度もフラットにした次にリカルドというティーチングの方に長所を持つ、そして明確な保持のイメージを持っている指導者を監督に据えたというところでもあると思います。


しかし、難しく、時間のかかる方から着手した点と、「三年」という短い期間で成果を上げようとした点には矛盾があるように見えます。さらに、編成のところでも書いた通り、この「三年」の中の初年度である2020年は「三年計画の0年目」と揶揄されたように、それまで場当たり的に積み重ねてきた編成や選手個々の態度をリセットするために使わざるを得ないことは想像できたはずです。

確かに2021年、2022年は西、ショルツ、酒井、江坂、平野、岩尾、犬飼、大畑と、難しいことが出来る選手を連れてくることで目標到達のためのペースを上げようとしています。それでも、1年という長丁場で安定して結果を出すのは、特定の選手だけが理念、コンセプトを表現できる状態では不十分で、逆にそれらを表現できない選手の方が浮いてしまう状態にならないと難しいでしょう。


2019年末の段階ではコロナなんて誰も想像できなかったので、2020年以降の収入激減は予期できないにしても、2022年まででの浦和は連れてくるにしろ育てるにしろ理念、コンセプトを表現できる選手で揃えることは出来ておらず、個々の成長はもちろん感じていますが、まだ理念、コンセプトに向かって出来ることを増やそうとする選手を育てている段階です。

実際、この3年間でかなりの選手の入れ替わりがありましたが、それが万人ではなくとも理解され受け入れられてきたのは、新しく加入した選手の多くが若いことだったと思います。クラブが変革する中で共に成長する若い選手たちというあり方は、その時点での実力者ばかりをバンバン連れてくるよりもずっと受け入れられやすいでしょう。

そういう点で、本気でクラブが「三年」で結果を出そうとしたのであれば2002年~2006年にかけて当時社長の犬飼さんが積極的にその時代の実力者である闘莉王、三都主、ポンテ、ワシントンたちを獲得してきたような、文句を言う奴がいても結果で黙らせるくらいの編成をする方法もあったかもしれませんし、今のフットボール本部が「本当に三年で優勝できるための策を取れたのか?本気で優勝できると思っていたのか?」という点には疑問が残ります。

もっとも、その当時は田中達也、坪井慶介、平川忠亮、長谷部誠、鈴木啓太などクラブ自前の若手選手の成長とそれを促したオフトというティーチングに長けた指導者がいた時期を土台にして、その後の補強がクラブの成長を加速させたという面もあるので、あの頃にも「育てて作る」という過程があったことは忘れてはいけないですが。

となると、そもそもなぜ「三年」という期間を設定したのか、期間を設定せざるを得なかったのか、という点について気になってきます。次はこれを考えてみたいと思います。


「三年計画」が発表された時に述べられたのは以下の通りです。

来季から、3年の計画をつくりました。基礎づくり、変革にはある程度の時間が必要となります。一方で、常に結果を求められるクラブであることも理解しております。しかしここで目先の勝利だけを追い求めると、今までと同じことの繰り返しとなります。

時間がかかるトライであることは理解している、ただこのクラブではそんな悠長なことも言っていられない、そういった板挟みの中で出てきたのが「三年」という期間設定でした。

一般的に企業の中期計画は3~5年で設定されます。世間的に広く使われていて、体裁の良い期間です。来年では早すぎるし、5年後、10年後では少し先過ぎる、ホップ・ステップ・ジャンプ、石の上にも三年、3年という数字はとても見栄えが良い感じがします。見栄えが良いし、見慣れているから受け入れられやすいとも言えます。当時、僕も「そうか!3年か!頑張ろうぜ!」って思いました。

何か変革をするときには明確な目標を提示することで共感してもらうことが大切です。目標の設定内容については、現実的すぎる目標設定では「どうせなんとかなるでしょ」という慢心からその目標にすら辿り着かないということが起こり得ます。なので「ちょっと厳しいかもしれないけど、頑張ればやれるかもしれない」というくらいの高さの方が本気でやらないとたどり着けないので慢心は起こりにくいと思います。それに、高ければ高い壁ほど登った時に気持ちいい説もあります。

ただ、はったりでも良いから何でも言えば良いってことでもありません。言ったことには当然責任が付きまといます。言ってることとやってる事が違うじゃないかという状況になれば、信頼は急降下して元も子もありません。立てた目標に対して努力すること、そこへ少しでも近づこうとする姿勢は必要です。


しかし、ここで僕の中に1つ疑問が出てきました。クラブは自らの意志で「三年」という期限を設定した訳ではないのではないか、それなら実現出来なくても文句を言われる筋合いはないのではないか、ということです。

「三年」という期限は、変革には時間がかかるものだという自分たちの中の見込みと、悠長に変革に時間をかけることが許されない立場の板挟みで出てきたものだと整理しました。つまり、「三年」という設定はクラブが100%自らの意志で打ち立てたものとは言い切れない訳です。

とは言え、サポーター側も一部の人は「三連覇それが浦和の三年計画」と言うくらいに「三年」という設定をクラブに強いた訳でもありません。では、この「三年」という期間に対する目標を下回った責任は誰が誰に対して取るべきなのでしょうか。それとも、誰にもその責任はないのでしょうか。


◆「三年計画」を背負う責任

総括記事の#1で「フットボール本部」や「三年計画」は突然湧いて出たのではなく、2008年末に志したクラブの変革とその頓挫以降の強化体制に対する反省、それらを受け入れた上で変化していくことを目指したものであることを確認しました。しかも、その中心にいる戸苅本部長、土田SD、西野TDはいずれもクラブの中にいた人物であり、クラブが持っている文脈への理解がある人物です。

浦和レッズというクラブの文脈が何かと問われれば、それはサポーターとの強い結び付き、浦和という街との結びつきの歴史だと思います。それは2019年12月の会見でも出てきた話です。

これからチームコンセプトをつくっていく上で最も大切なのが、『浦和の責任』というキーコンセプトです。浦和の街を理解し、伝えていかなければならない、サッカー文化が根付き、歴史があり、熱いファン・サポーターのみなさんが住んでいる街、そこをホームタウンとする浦和レッズには責任があります。選手はあの埼玉スタジアムで、あの環境の中でプレーをする責任を感じてプレーしなければならない、この浦和の責任を再認識し、ピッチで表現していかなければならないと考えています。


2022年、コロナに関連して様々なトラブルがあった時もクラブはサポーターを守り続けました。この時クラブは改めてこの文脈を記し、サポーターや街に対して、つまり「浦和を背負う責任」に対する覚悟を示しました。クラブの外にいる人からどう見えたのかは分かりませんが、「We」であるからこそ分かる文脈を示したと思います。

「We are REDS!」

この言葉は、浦和レッズサポーターが第一声をあげ、クラブを含む、浦和レッズに関わる全ての人が受け入れた言葉。
そして、浦和レッズに関わる全ての人を「応援する側」と「応援される側」に分けることなく、良いことも悪いことも全て自分ごととして受け止め、向き合い、そして前に進んでいくことを意味する言葉。
そんな成り立ちと意味を持った言葉であると信じています。

歴史の上に生かされている私たちは、その歴史に胡座をかくのではなく、歴史に学び、そして新たな歴史を紡いでいかなければなりません。
そして私たちは、社会の一員として生かされていることも絶対に忘れてはいけません。

私たちの今の姿は、さいたまサッカー110年の歴史に、「サッカー王国」の名に、そして浦和のプライドに相応しい姿でしょうか。
私たち全員が、浦和レッズの一員であることを心から、胸を張って誇れる状態でしょうか。

チームは、戦績は勿論、最後まで走り、闘い、そして貫くという姿勢を体現することで、「We」としての責任を果たしていきます。

クラブは、チームを全力で支えることは勿論、ファン・サポーターのみなさまと、そして社会と本気で向き合うという姿勢を体現することで、「We」としての責任を果たしていきます。まずは浦和レッズ自身が、歴史とプライドに相応しいプロサッカークラブに求められる姿を体現してまいります。

ファン・サポーターの皆さまにおかれましては、さいたまの、そして浦和のサッカーの歴史とプライドを守り、次世代へと繋ぎ、浦和レッズサポーターとしての誇りある行動を体現することで、共に「We」としての責任をこれからも担っていただけないでしょうか。


クラブ自身が、どうやって自分たちが成立しているのか、誰を大切にすべきなのか、そうしたものを客観的に確認し直した結果、そうした人たちの「おもい」を引き受ける覚悟、責任によって立ち上がってきたのが「三年計画」というものではないかと思います。

必要なプロセスを踏んだ先に結果があるというのは当然の話ではあるのですが、そのプロセスを続けるために必要な最低限の結果のレベルは浦和というクラブの規模だけを考えれば、「それだけ他のクラブよりもお金があるなら、きちんとした使い方をすればそれ相応の結果は出るでしょ?」と思えてしまいます。そうすると、「結果を出すためには時間がかかる」という考え方が"このクラブにおいては"適切ではないのではないか?という思いが立ち上がってきます。LineNewsで岩尾が話していたことは正にそういうことだったのだろうと思います。

「でも、レッズで求められるのは3年、4年かけることではないんだなと。だとしたら、スタイルを築き上げることと矛盾する、と最初は思ったんです。それまで僕はAかBかどちらかだと思っていたので。でもレッズでは、速いサッカーが有効ならスピードのある選手を生かして勝つ、ボールを回すことが必要なら徹底的に回して勝つ、それを90分の中で選び続けなければならないんだなって。

 どちらかではなくて、両方で結果を出すことがレッズでは求められている。つまり、これまでの自分の理論、理想、哲学にはなかったやり方で勝て、と言われているわけです。それに対して『いや、プロセスを辿ってないんだから勝てないよね』って言い訳をしていていいのか。ビビって、弱気になっているだけじゃないのか。プロセスをしっかり辿って結果を出すことしかできないなら、自分は弱いなって思ったんです。

 そこでバチッと整理できたというか。両方のプレーをして勝って、自分の存在価値を示す。両方を使い分けるのは一番難しい。でも、それこそが、逃げずに正面から向き合うことで得られた答えで、今すごく自分のエネルギーになっています」



ただ、クラブがこの覚悟を伝える作業は、特に2022年については足りなかったと感じました。2020年は2-6で大敗した名古屋戦からの理想を一旦投げ捨てて結果をもぎ取った広島戦、という流れの後に土田SDからのコメントリリースがありました。2021年は夏場に酒井、江坂という大物の加入会見に西野TDが出席し時間をかけて質疑応答をしました。しかし、2022年、思うように結果が出なかった時にクラブ公式HPから出たものは社長による作文のみでした。


Twitter、YouTube、Instagram、LineNewsなど、SNSを通じての情報発信が活性化したことは間違いありません。特にLineNewsでは優秀なライターさんが書いた質の高い記事が無料で提供されており、その中には西野TDのインタビューもありました。それでもクラブとして本当に大切なメッセージはクラブの大本営である公式HPを筆頭に、そこからより枝葉を広げていくべきなのかなと思います。

YouTubeもバラエティ色があることは良いと思いますし、それを楽しみにしている人もいると思いますが、大切なのはそれぞれのメディアごとで情報を棲み分けすぎないことだと思います。こんなに時間をかけて考えて文章を書くくらいのやつは勝手にそれぞれのメディアへアクセスして自ら情報を取りに行きますが、そういう人が多数派だとは思いません。仮に多数派だとしても、そうだと思って展開しない方が良いのではないかと思います。

クラブとして大切にしているメッセージは、何度も、時間をかけてでも、伝えるべきです。クラブが上手くいっていない時ほど前に出て批判を受ける責任感の塊のような人はそうそう現れるものではありませんが、フットボール本部はそうあるべきです。

少なくともこの記事の中でも引用した2021年夏の西野TDのコメントには「ある程度はオープンに情報を公開して、晒して、褒めてもらって、非難してもらって、それをどう僕らが受け止めて次につなげていくかということだけだと思います」とあり、そのことは自覚しているはずです。

鹿島の岩政さんが天皇杯甲府戦での敗退後に「勝ったらみんななのか?負けたら俺らだけか?」という投げかけをしていました。鹿島がどうだったかは分かりませんが、それを2022年の浦和になぞらえて考えた時に、そこで一緒に闘おうと思ってもらえるだけのメッセージを出してきたのかどうかが問われると思います。2022年の最終節の後にゴール裏の中央がぽっかり空いたのはそうしたクラブからの発信の量、質に覚悟が見えなかったということなのだろうと解釈します。


ただし、クラブに発信することを求めるためには、その発信を受け取る側も彼らが何を発信しているのかを理解しようとすることが必要です。サポーターが「We are Reds」と叫び、クラブがそれを受け入れる、互いに肩を組んで同じ方向を向く関係性なのであれば、コミュニケーションは双方向であるべきです。

年月が経てば経つほど「言わなくても分かるでしょ」「聞かなくても分かるよ」とコミュニケーションを放棄しがちです。そうしてお互いにボールを投げっぱなしになっている間に、お互いの変化に気づかず、いつの間にか大きな溝が出来ることは人と人との関係の中でいくらか経験してきた人も多いと思います。

これはクラブとサポーターという関係だけでなく、サポーター同士でも言えることかもしれません。それぞれのサポーターがクラブにどういう要素を求めているのかは違いますし、好きなサッカーのスタイルも違います。その中で「俺の好きなこの時期のスタイルこそ至高だ!」となるのではなく、お互いの好きな要素に対して「それぞれ違うけど結局どっちも浦和らしいよね」となれるようなコミュニケーションを育んでいくことが必要なのだろうと思います。

先日の阿部勇樹の引退試合では、懐かしいチャントがあったり、クラブが歴史を積み重ねてきたからこその暖かい雰囲気と愛情に溢れていました。それぞれの「あの頃」を思い出しながらも、それがどれも「浦和レッズ」であることを誇らしく思える時間でした。

特別な選手の引退試合なんてなかなか開催されるものではないので、古参とされる人たちも、最近このクラブを気にかけるようになった人も、もっとフラットに近づけるような、そしてお互いを尊重できるような仕掛けが作れると良いですね。今の僕なりに出来るのはこうして知っていること、思っていることを書き残すくらいなのですが、きっともっと手軽で良い方法もあるはずです。誰か見つけてください。


◆「三年」が終わって、これから

浦和レッズにおいて、クラブ主導という試みは2回目だと思いますが、それを改めて継続すると高らかに宣言し、その姿勢を示せているのは初めてだと思います。僕らはこれから未体験ゾーンに突入していきます。

監督、選手、さらにはフットボール本部の陣容が変わっても理念、コンセプトをもとにクラブが続いていくことは、実際に監督を入れ替えていくこと、選手を入れ替えていくこと、フットボール本部の中が入れ替わっていくこと、これを繰り返していかない限り証明できません。リカルドに代わってスコルツァ氏の監督就任が発表されましたが、彼にもクラブの理念、コンセプトを理解した上でそれを表現すること、彼がやりたいサッカーを浦和でやるのではなく、浦和がやりたいサッカーを彼にやってもらうというスタンスであることを求め、示してもらわないといけません。

クラブの取り組みに対する信頼には3年どころではなく、10年、20年というスパンでの積み上げが必要です。浦和はそのスタートを切ったにすぎず、そこまでのものを積み上げていくために、またしっかり目標、計画を立てていく必要があります。


新しいことを始めるときは目標を掲げやすいですし、今までやってきたことから変えるので「今まではこうだった」「これからはこうしたい」ということを具体的に発信しやすいです。しかし、3年やってきたことを踏まえて次に進もうとしたとき、その過程の中にいる状態なので具体的な情報を誰にでもアクセスできる場所へ置くことはリスクがあります。そうした点で、クラブが発信した「2023シーズンに向けて」というメッセージが簡素に見えるのは仕方ないように思います。

■2023シーズンへむけて

チームが全ての大会で優勝を目指すことは前提としつつ、クラブとして2023シーズン以降は、毎シーズン常に、「J1リーグで優勝争いをすること」「ACLの出場権を獲得すること」を目標とします。
この目標を達成するために、以下のポイントに継続して注力していきます。

「戦力の継続的な、さらなる充実(2023以降継続)」
日本の、アジアのトップクラブであるために、能力・経験・野心すべてにおいてトップを自負することのできる選手、スタッフ集団を目指します。

「真のプロフェッショナルが結集した組織(2023以降継続)」
全ての選手やスタッフが浦和の先人たちが培ってきた歴史を感じ、浦和のプライドを持ち(浦和を背負う責任)、勝利への飢餓感を持つ、そんな個の集団となりたいと考えます。日々の凡事を徹底追求する選手・スタッフが、日々真剣に会話をしながらチームを進化・開発させていく。そうした真のプロフェッショナルな組織になります。

「コンセプトベースのクラブ主導のチーム作りを継続」
コンセプトの更なる開発と体現への飽くなき追求を継続します。言語化・数値化(データ化)とともに、常に現場で起こっていることとのフィードバックサイクルを回していくこと。2022シーズンまでの取り組みを通じて、そのサイクルを走らせることができるようになりました。この分野では、世界トップレベルのクラブと比肩することができつつあると自負しております。次の課題は、このサイクルの質を更に上げていくこととなります。

元々2022年に優勝することを掲げておきながら、2023年から2025年を第二次三年計画として2025年に優勝を目指しますとは言えないですし、相手のいることなので「毎年優勝します!」とまで言ってもそれはそれで現実的ではないように見えます。

それでも今は現体制になってから獲得していたり、契約を延長すると判断したりした監督や選手だけになった状態であり、クラブの理念、コンセプトを表現するまではいかなくても理解している状態にはあるはずです。毎年優勝争いをすること、それはACL出場権を獲得する順位であることとニアイコールであり、2019年12月に土田SDが「2023年以降は、常に安定して優勝争いをするチームとなり、リーグ連覇を成し遂げたいと思っています」と話していたことと変わっていません。

2022年はコロナ以外にもコンディション不良によって試合に出られない、出場時間が制限されるという選手が何人も出たように、ピッチ外の部分での課題もありました。そういったところも含めて「真のプロフェッショナル」となるべく努力を続けてもらいたいです。


そして、前の項でもクラブからの発信について触れましたが、こうして「継続します」というメッセージを発信して終わりではなく、定期的にリマインドとしてフットボール本部からのコメントを出し続けてもらいたいです。

”ものごとに関わり続けること”が
常に身近に感じることに繋がり
自分の中の熱を冷まさないようにいられる

これはレッズレディースの上野のnote記事からの引用です。

コロナで色々なものがストップしてそれまでの習慣がリセットされた結果、熱が冷めて戻ってこないということを多くの場所で感じます。火を燃やし続けるにはその分の薪をくべ続けないといけないように、大切なものは常に手前に置いておいていつでも取り出せるようにしておく必要があります。

土田SDの不定期配信は2020年8月の1回目以来ストップしていますが、そろそろ再開してもらっても構いませんし、2021年に公式YouTubeで公開された立花社長×鈴木啓太のようにコメントを映像で配信してもらっても良いと思います。

大事なメッセージがあっても時間が経つと「三年計画」のようにキャッチーな言葉だけが独り歩きして気に留めるべき中身の部分は忘れられがちです。クラブは対外的なコミュニケーションも継続すべきです。そして、サポーター側もそれをきちんと受け取れるための努力を継続できるともっと良い関係性を作れるのではないでしょうか。


◆最後に

ここまで長々と書いてしまいました。そもそも、僕がnoteで文章を書こうと思ったきっかけはクラブがフットボール本部を構えて変革をしたことが、形骸化されてしまうことを恐れていたからです。もしそうなった時には「ふざけるな」という思いと共にどれだけ期待していたのかを投げつけてやろうという邪な気持ちさえもありました。

今のところはそれが杞憂になっていて、それどころかアウトプットするためのものが自分の中に全然入っていないことに気付いて恥ずかしくなり、もっと色々なことを知らないといけないなと気付くきっかけにもなりました。

サッカーをより知るために、サッカーの原理原則だけでなく、結局は人間がやっていることだからということで、大学時代に専攻しながらもサボり続けた社会学や哲学を勉強し直したいと思ったり、理念を起点にして計画を実行するってどういうこと?ということから、今の仕事にも活かせそうな組織のマネジメントについて勉強したいと思うようになったりしました。(ワークライフバランスってこういうこと?)


今回の4本の記事は本当に今僕が出せる最大限の結論です。めっちゃ疲れました。でも、きっとこの文章を時間が経ってから読み返したときには論理の粗が見えるのだろうと思いますし、これを読んでくれた方からすると既に突っ込みどころが何個もあるだろうと思います。

冒頭にも書いていますが、是非多くの方に #俺たちが見た三年計画 というタグをつけて、自分なりの視点でも良いですし、僕が書いた文章に対する反論でも良いですし、色々な意見を出してもらいたいなと思っています。


クラブとして2023年以降は対外的な中期計画は打ち出していないので、こうして数年にまたがって振り返る機会があるのかどうかは分かりません。ただ、せっかく出来たインプットとアウトプットを往復する習慣はやめたくないので、引き続き自分が楽しめる範囲で文章は書くだろうし、クラブが線を引かなくても、たとえばいつかスコルツァさんが退任する時に「ここまでの継続性はどう?」とかを振り返ることはあるだろうと思います。その時のためにも自分の感じたことをスナップショットのように溜めていこうと思います。


今回はこの辺で。お付き合いいただきありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!