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#3.コンセプトは貫くべきか(三年計画を定点観測/総括)

◆前書き

2019年12月に浦和レッズはそれまでの強化体制を改めて「フットボール本部」を設置し、戸苅本部長、土田SD、西野TDを要職に据えました。そして、この体制を発表する記者会見の中で「チームの柱となるべき一貫したコンセプトがないため、監督選び、選手選びの基準、サッカーのスタイルがその都度変わり、短期的な結果を求め、求められ、今まで来た」という反省から、「クラブ主導のチームづくりのコンセプトを元に、それをピッチ上で体現してもらう」という方向へ変革することを宣言しました。

そして、変革には時間がかかるとしつつも、浦和レッズは結果も求められるクラブであるということから、「三年計画」を作り、2023年以降は常に安定して優勝争いをするチームとなり、リーグ連覇を成し遂げることを目指しました。

その「三年」が経過する今、変革のスタートからここまでを振り返り、ここから先のクラブに何を求めるのか、何を期待するのかを考えて行こうと思います。


これはあくまでも僕なりの意見であり、とても断片的な視点であるので、ぜひこれを読んでくれているあなたにも「この3年間をどう評価しているのか」「ここから先はどうなって欲しいのか」といった「おもい」をnoteやブログでの記事でも、Twitterでも、あるいはyoutubeなどの動画形式でも、それぞれのやりやすい場所で書くなり話すなりしてもらいたいです。

ヘッダー画像にもある通り、僕は今回の記事に #俺たちが見た三年計画 というタグを付けました。このタグで色々な意見をアーカイブ化出来たら面白いなと思っています。

数字は漢字、全角、半角など表記揺れしやすいので避けたかったのですが、それでも「三年計画」という言葉があるからこそ、このタイミングでのまとまった振り返りをしようと思ったし、ここから先どうなるのかを気にかける人もいると思うので、「三年計画」という言葉を使うことにしました。


ここまで、#1では理念を頂点とした組織の方向性の定義づけ、#2ではその組織の編成の方法や手順について考えてきました。

そして#3となる今回は理念、コンセプトという目指すものに向かう過程で発生しうる計画とのズレとそこへの向き合い方について考えていきます。


◆計画変更とコミュニケーション

理念、コンセプトに基づいて戦略や戦術という計画を立てて、それに沿った編成をして、いよいよその計画を実行していく訳ですが、大抵は計画通りにはいきません。思っていた以上に結果が出ることもあるでしょうし、その逆もあります。

サッカーはただでさえ不確定要素が多い競技ですし、誰かが怪我をして試合に出られなかったり、思いがけないレッドカードで試合の形勢が変わってしまったり、大雨でピッチ状態が悪いせいでゴール前でボールが止まって失点せずに済んだり、計画には含められないような想定外のことがたくさん起こります。

そもそも、相手は自分たちのやりたいことを邪魔してくるので、自分たちが目指すものに対して愚直に努力し続けても結果が出ることは保障されません。自分たちが悪くても相手がもっと悪ければ勝ててしまうことがありますし、自分たちが良くても相手がもっと良ければ負けてしまうこともあります。


計画に対して思いがけず前倒しで進んでいる(上振れしている)場合、開始時点からその時点までのペースを維持して進んだ先にあるところまで目標を引き上げるのか、当初の目標はそのままにして確実にそこへ到達することを目指すのか、人によって目指したいものが揃わなくなります。

これは計画の進捗が芳しくない(下振れしている)時にも同様のことが起こり得ます。当初の目標としているところへ到達するためにペースを上げるのか、今のペースで目指せるところへ目標を下方修正するのか、人によって考え方が分かれるところです。

どんな要因があるにしても上振れで計画が進んでいるとき、イケイケな性格の人が多かったり、そうした機運が高かったりするのであれば、計画を上方修正しないと「なに日和ってんだよ。。」とそのテンションに水を差すことになりますし、逆に着実に目標を達成したい雰囲気が強いのに計画を上方修正した場合には「そんなに一気に上を目指して大丈夫なの?」という不安が出てきます。

一方、下振れで進んでいるときには、当初の目標に向かうためにペースを上げないと「最初に言ってたのは何だったんだ!」という人がいたり、逆に現実的な目標へ下方修正しないと「そんなの今更無理でしょ。。」となったり、いずれにしても不安、不満が募っていきます。下振れの方がそもそも結果が出ていないことによって周りからあれこれ言われてストレスを受けているので、不安や不満はより大きくなりやすいでしょう。

なので、どちらにしても、多かれ少なかれ反対意見を持つ人はいるのですが、そういう人たちも納得させて目線を揃えた上で先に進む必要があります。そこでなんとなく空気に任せて具体的な指針を示すことを怠ると、その少しの目線のズレがどんどん広がってしまいます。


理念、コンセプト、戦略、戦術としっかり順序立てて目線を揃えてスタートすればそれで最後まで進めるかというとそうでは無くて、その都度、実際の進捗度合いに合わせて計画の見直しを行い、その期間内で目指す地点を修正するのか、据え置きにするのかの判断をし続ける必要があります。

そして、少なからずいる反対意見を持つ人たちに対してもそれを納得してもらわないとチームとしてまとまらなくなってしまうので、熱量と根拠をもって話をしないといけません。結局は人間がやっていることで、どちらかと言えば論理、根拠で動く人と、どちらかと言えば情熱、共感で動く人のどちらもいるので、両方とも必要ということです。

これはチームの中に対してもそうですし、その外側で見ているサポーター、スポンサーなどに対してもそうです。「伝わる人に伝われば良い」ではなく、そこに関わる出来るだけ多くの人に目指すものとそれに対する現状をどう考えているのかを共有し、その上で自分たちがこれからにどういう物語を作ろうとしているのか理解してもらわないといけません。

#1で引用した2014年に淵田さんが社長就任した時に「意識して取り組みたいこと」としてコミュニケーションを挙げていたのもこういった理由からだろうと想像します。

最後に、私自身が特に意識して取り組みたいことを三つお話しします。
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二番目はコミュニケーションです。いくら立派な方針をつくっても、十分な説明がなければ理解されません。コミュニケーションは事業を進める上で極めて重要な要素です。クラブ内だけではなく、ファン・サポーター、パートナー、そして地域のみなさんも含めて、双方向のコミュニケーションを重視していきたいと考えています。

どんな時代でも、どんな分野でもいざこざは「相手が何を考えているのか分からない」という不安によって火種が大きなります。ひとこと言ってくれれば勘違いしないで済んだのに、そのひとことを怠ったことですれ違いが生まれて対立してしまうことはよくあります。

さらに、特に現代はとても便利な世の中で色々なことをパッと調べられるからこそ、「分からない」についての耐性が下がっているし、分からないとか調べても出て来ないようなことを時間をかけてでも自分で考えて納得できそうなところを探るという習慣がある人は少ないと思います。


◆どの階層から変更が必要なのか

計画の変更が発生した場合、これは特に計画を下回っている時に起きうることですが、その理由や変更点をどの階層に見出すのかが大切になります。理念、コンセプト、戦略、戦術という4つの階層のうち、その試合を勝つための戦術に問題があったのか、その戦術を実行するための前提となる戦略に問題があったのか、あるいはその戦略を支える思想である理念、コンセプトの段階から問題があったのか、手を入れる階層を特定しなければいけません。

#1でも書いたように、理念は抽象的かつ普遍的なものであるべきで、となると、この階層から変更するということは自分たちの在り方やアイデンティティそのものを否定することにもなるため、それが発生することはあってはいけないと思います。そこを否定するということは、それを実行するのがその組織である必要がないからです。

また、コンセプトも理念を実現するための方向性や解釈という抽象度の高い階層なので、ここをひっくり返すことは組織全体をひっくり返すくらいにインパクトの大きいことです。現状に対して「そもそもこの方向性じゃダメじゃん」という判断であり、理念に対する別の解釈、方向性を見出すことになるので、それに基づいた戦略、戦術も変わり、それを実行するための編成もガラッと変わっていきます。

この階層からの変更が頻繁に発生すると、それだけ現場の運営が安定しなくなりますし、言っていることがコロコロ変わるわけですから周囲の信頼や共感を得にくくなってしまいます。


戦略の変更は、コンセプトの実現方法やその期間、程度の見直しになります。「そもそもこの期間にここまでやるのは無理があったんじゃない?」とか、「この期間にこれをやるなら他の人に任せるべきじゃない?」とか、計画自体を見直すのか、その実行者を見直すのか、あるいは両方か、といった判断をすることになります。

健全に理念、コンセプトに基づいた運用が出来るようになっていれば、戦略の実行者(強化責任者や指導者)ありきで計画を立てることは無いので、同じ方向性で別の人に任せても問題ないわけです。

ただ、コンセプトレベルでの変更も戦略レベルでの変更もその実行者が変わることで表されることが多いので、外部からするとどの階層での変更なのかを見極めることが難しいです。だからこそ、変更が発生した時には丁寧なコミュニケーションを行って、どの階層でどのような変更をするのかということを共有する必要があると思います。

そして、このコミュニケーションは発信する側はもちろんですが、受け取る側もそれを受け取れるだけの耳を持っていないと、不当な批判をしてしまって無用な溝が出来ていってしまいます。上手に伝えようとする努力も、上手に受け取ろうとする努力も、どちらもあってこそのコミュニケーションです。


◆「内容は良い」は言い訳なのか

冒頭に書いたの通り、自分たちが目指すものに対して努力を積み上げて行ってもそれに比例した「結果」を得られるとは限りません。この「結果」の原因をどのくらいの解像度で認識できるのかによって、計画変更を適切に行えるのかが変わってくると思います。そして、原因特定の解像度を高めるためには、やはりクラブとして設定した理念、コンセプト、戦略、戦術といった論理の部分がどれだけ具体的に準備されているのかが大切になります。

「なんとなくこんな感じで」という低い解像度で計画を進めた時には、そこで現れた結果に対しても「なんとなくこんな理由だろう」といった曖昧な確認しか出来なくて、「ここはこうやる、あそこはこうやる」と解像度が高い状態を作れていれば、その一つ一つがチェックポイントとして機能するので現れた結果に対して、その理由、原因も具体的に把握しやすくなります。
「ここのやり方は無理があったね」という場所が把握できれば、そこの期間や程度を緩めるのか、無理をしてでもここは頑張らないといけないのかを判断していくための材料になるわけです。


これによって、「結果」が「内容」と比例しているのか、「内容」に対して「結果」が先行しているのか、「内容」に対して「結果」がついてきていないのか、その時点での状態を確認できます。「結果」が「内容」と比例しているなら関係性としては適正な状態なので、目標と現時点の「結果」をそのまま見比べて計画をどうするのか考えていけば良いでしょう。難しいのは「内容」と「結果」のどちらかが先行している、現状が本来得られるべき「結果」とズレている状態です。


人がやるものなので、「結果」が出ているときは少なからずポジティブな感情になっていて、その流れでどんどんチャレンジした結果として「内容」がそこについてくるということがあります。

しかし、あまり「内容」は良くないのに「結果」が出てしまっている場合、「今の状態でも勝てちゃうならこれで良いじゃん」と思ってしまうと「内容」に対する積み上げが止まってしまって、「結果」が相応の方向へ収斂していく(結果が出なくなっていく)時に歯止めを論理的にかけることが難しくなって、得られるべき「結果」を下回るところまでいってしまいます。

逆に「結果」が出ていない時には、ネガティブな感情が強くなってどんどん消極的になり「内容」も悪くなってしまうことがあります。それだけでなく、「内容」は悪くないということに固執するせいで、本来「結果」を出すため(=目的)に「内容」を高めていく(=手段)はずが、「内容」を高めること自体を目的にしてしまう可能性があります。「内容は悪くない」という言葉に逃げて「結果」から目を背けている状態です。

「内容」を高めないと意図した「結果」は得にくいですし、「結果」には「内容」とは関係ない運の要素も絡んできます。なので「内容は悪くない(なのに結果だけついてこない)」ということを思うこと自体は問題ないと思います。

大切なのは「内容」の中身をもう少し掘り下げて、どの部分は悪くないが、どの部分が足りないから「結果」が得られなかったのかを考えることです。大雑把に「内容」という一つのこととして考えるのではなく、そこにあるものを分解して考える必要があります。全体だけを見て悪くないと捉えてしまう思考放棄に近い態度は良くないということです。


戦略レベルで無理がある目標設定のせいで「結果」がそこに届いていない場合、「そもそも無理があるんだから結果が出なくて当然でしょ」という思いになることがあります。定めた目標やルールといったもの自体を疑うことはとても大切です。しかし、そもそも無理のある、あるいは不適切な目標やルールであっても、それを実現するための努力を怠ることは別問題です。

やるべきことをやるかどうかと、やるべきことそのものを疑うことは階層の違う話であって、それらは両立できるはずですし、両立すべきだと思います。「ベンチがアホやから野球がでけへん」ではダメなのです。

やるべきこと自体が間違っているのであれば、それを無視して別のことをするのではなく、間違っているときちんと発信しコミュニケーションを取って改善していかなければいけません。そして、ここでも発信する側と受け取る側がお互いにコミュニケーションを取ろうとする努力が必要になります。


「阿吽の呼吸」や「背中で語る」といった言葉を使わない表現に美しさを感じたり、それを理想の姿としているハイコンテクスト文化なのが日本の特徴だと思います。なのでこうしてコミュニケーションを積極的に取ることを野暮ったく思うこともあるはずです。

ただ、サッカークラブはそこにいる人はフロントスタッフ、指導者、選手問わず入れ替わっていきます。人の入れ替わりがあるということは、お互いのコミュニケーションでの前提が揃っていない状況が頻繁に発生するということでもあります。だからこそ、積極的なコミュニケーションを怠ってしまうと簡単にすれ違いが起きてしまうのだろうと思います。以前似たようなことを書いたこともありました。



ここまで、理念をスタートとした方向性の定義、その方向性に則った編成のあるべき姿、計画を進める中で必要な行動や態度、この3点を整理してきました。これらを評価軸として、このシリーズの最終回となる次回の#4ではようやく浦和レッズの三年計画の中身を検証していきます。

話の前提を揃えるまでが長くなりましたが、クラブが論理的な方向へ舵を切ったからこそ、我々も同じ方向で評価する必要があると思っています。なので、その論理性を担保するためにも3回に分けて、約3万字をかけて自分なりの論点を整理しました。面倒くさい、野暮ったい作業だったかもしれませんが、僕にとっては必要だったのでご容赦ください。


今回はこの辺で。お付き合いいただきありがとうございました。

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