【幼い日々のわたしごと①】今暗闇の中にいる誰かに、かつて暗闇にいた私に。
今日は思い切って、ずっと口に出すか出さないか迷っていたことを書き残す、第一回目を始めようかと思います。
過去の自分に伝えるように、過去の自分のような誰かの何かになればと願いを込めて。
私が何かできるなんて、専門家でもなんでもない、1つのケースの経験者としてでしかない一般人主婦に、何かできるなんて。そんな根が浅い題材でもないし、軽々しく思えない話だとわかりながらも、かつて暗闇にいた私が、名もなき掲示板で出会った顔も声も年齢も性別も知らない誰かの話を読んで、そして話をして救われたように、そしてあの日の小さな私に、あなたの存在は今の私を作っていると伝えて私自身が幼き私を認めて愛する作業のために、ゆっくりですが幼い私を抱きしめながら生きていたという事実の備忘録を書こうと思います。
そして、匿名で書くことも考えましたが、私が今現在、仕事としているカメラマンという仕事に対する個人的想いも、今から書き残す育ちの日々があったからこそ強く思いを持っているという部分があり、育ってきた環境や経験、今までのこと、それもひっくるめて今の「私」を形成しているのだなと強く感じ、それを黙ったままでは今の私さえしっかりとご紹介できない。私のカメラマンという仕事に対する思いも伝えられないと思い、こうしてここで書くことを始めたという経緯です。
そして、大切なことがひとつ。
今から書くことは、あくまで1つの私という性格と固体の感じたことや、あくまで全て主観のハナシ。決して同じように感じない誰かを否定するわけでも、ましてや、これが正しいというわけでも、まちがっているというわけでも、何かを二分化したいわけではないということ。
なので、心地いいものだけを受け取ってほしい。誰かの日記を読むような感じで。
これは、幼いあの日々の「わたし」をやっと大人になった私が迎えに行って、抱きしめながら、「わたし」の存在を隠していたことをやめて、やっとあなたもわたし、わたしもあなた、一緒に生きていこうねと伝える作業。
そして、今誰かが。
苦しくて暗闇で、道が見えなくて絶望していて、心が割れる音が聞こえていて、喉に何かがつっかえるような、一人で小さくなって一生懸命小さな小屋を作ってそこに逃げ込んで内側から必死でドアを開けられないようにしている誰かの「あの日のわたしが出会った、名も顔も声も知らない掲示板の人たちのような存在」になるかもしれないなんで、おこがましいことを考えたりしてる。(矛盾)(でも決してそんな簡単な話じゃない)(わかってるけど)(してもらったことをしようって)(誰に?自分自身にそして誰かに)
やっと30代になり、この世に生をうけて30年と少し経ち、あの日の私を迎えに行く勇気が持てた。
今でも、声に乗せて伝えると、声が震えてしまう。怖いのか、緊張するのか、なんなのかわからないけれど、声も手も震える。思い出すと頭に血がいかない感覚で、心臓はバクバクするし、熱いお風呂から上がった時のようにふわぁ〜っとする。これは長期戦だなぁとひとつ小さい山を越えるたびに思うし、今後もきっと思うんだと思う。
そして、今もこれを公開するか悩んでる。ずっと演じている感覚もあって、出会う人たちが私を一人の人間として大切に触れ合ってくれる度に、私は演じてしまっているんじゃないだろうかとそれに苦しくもなってきたけど、世の中にはわざわざ、言わなくていいこともある。そして多少は演じることで社会に存在するのが普通だとも思う。大好きな仕事に影響が出ないか、大好きな人たちにどう思われるか、大好きな今のこの環境がどう変化してしまうのか。マイナスを考えては数年足踏みをしたけれど。迎えに行こうと思う、小さなわたしを。ずっと待たせて隠しているから。
これがどうなるかわからないけれど、多分初めて出す自分だから、怖いんだと思う。
それでも、一緒に生きていけたら嬉しい、あなたも、わたしも、一緒に。
最後に、いただいた言葉を備忘録として残します。
「たったひとり、ひとり救われたらいいやと思った」
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