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【書評】ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」を読んで

はじめの戯言

「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」(※1)
            ——————ウィトゲンシュタイン

多分購入したのは2年くらい前で、少し読んで積まれていました。日々、早く読もう読もうと思っていたわけですが、何せわけわからないので天に向かって伸び続ける塔の一部と化していたわけです。
最近蔵書(読み終わった本の大半は人にあげたり売ったりしてしまうので大した量ではありませんが)を整理していたら掘り出されたわけです。それで開いてみると読める読める!(わかるとは言っていない)おそらく少しばかり数学をやったからだと思いますが。
よくわかっていないので、冒頭「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」により、僕がこの記事を書くことが"矛盾"なわけですが、許して。

※誰かの書評やら解説(ラッセルのものも含めて)を読んだことがないので、全て当記事執筆者の個人的見解・解釈です。一戯言としてご覧ください。

書評になれなかった書評

ウィトゲンシュタインは天才だとそこらかしこで言われております。論理哲学論考(以下論考)がわけわからないのであれば、同じくウィトゲンシュタインの書「哲学探究」をお勧めします。論考の難解さによって天才と言わざるをえない集団が少なからず存在する気がしますが、その集団の存在はウィトゲンシュタインの天才性を否定するものでも肯定するものでもないでしょう。

僕が論考を読んで特に衝撃を受けたのはウィトゲンシュタインの読解力です。ウィトゲンシュタインは論考の中でラッセルやフレーゲを批評しているわけですが、それは当然ラッセルやフレーゲの書を読めねば叶わないことです。また、力学や論理学をはじめとするその他数学にも精通しているわけですから、素晴らしい理系脳(理系脳の定義はこちら参考)を持っていたはずです(プリンキピア・マテマティカを通読したよう)
事細かに批評(主に師匠のラッセルを)しているあたり、とてつもなく図太い性格だったのではないかと思います。

さて、論考は記号(シンボル)に意味を与え(既に与えらえている)、それらの関係を示す方法を記述することで、世界を説明する書だと解釈しています。要素命題に対し「かつ」「または」「ならば」「否定」「存在」等々の論理定項をはじめとする記号を施すことにより真理を導きます。ウィトゲンシュタインいわく「全ての真な要素命題の列挙によって、世界は完全に記述される」(※1)わけですから、要素命題とはこういうものです。
ソクラテスは「メノン」で我々が日々考えている"知ること"を"思い出すこと"と言っています。この想起のための道具として論考は役に立つのではないでしょうか。
またウィトゲンシュタインは、哲学的な論理学など存在しない、と言っています。これが何を示すのか僕にはさっぱりピーマンですが、論理学は厳格ということでしょうかね(適当)

世界に関する記述なわけですから、日常の体験と対比しながら読んだり、また、読んだことを日常に転用できるかもしれません。

わからないなら沈黙していなさい、そういうことです。僕はベラベラ喋りますが。

最後に

浅い解釈でなんの脈略もないシンボルの列を書き並べてきましたが、これをご覧になれば僕が何もわからなかったということをご覧に入れられたのではないかと思います。

ウィトゲンシュタイン「私の言語の限界が私の世界の限界を意味する」(※1)

ファウスト「さて、とっくりとわかったのが、人間、何も知ることはできぬということだとは」(※2)

現代人は字は読めるが意味はわからないだとか。僕も現代人の仲間入り(適当)

間違ってもこれで論理学の勉強をしようだなんて思わないこと。2年積まれることになります。


参考

※1 ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」
※2 ゲーテ「ファウスト」

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