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とある日々の星座


The summer sun that blows my mind is falling down on all that I’ve ever known 

We live a dying dream if you know what I mean

夏の太陽が、僕の頭に吹きつけてくる。

それはゆっくりとした速度で空から堕ちてきて、

やがて僕の生ぜんぶを、焼き尽くしてしまうだろう。

僕らは薄れゆく、夢の記憶のような人生を生きていないか?

Oasis 『Falling down』



「ここで降りる」

隣で黙っていたFが、よどみのない冴えた声で言った。僕らをのせた電車は速度を落とし、ちょうど岩倉駅のホームに滑り込もうとしていた。僕の家のある、石仏は次の駅だったのだが。

「わかった」

頷いて、僕も座席を立った。

また歩きか、と思いながら。

人気のない夜の町を、風が通り抜けていく。さすらいの旅人のように。虫のせせらぎに、仄かに草の香りの混じった、涼しげな初夏の風だった。

「さんきゅ」

僕は最寄りのコンビニで二人分の水を買い、外で待っていたFに手渡す。

「いいよ、いいよ」

酔った奴には水を持たせよ。というのを、僕は飲み会の基本的な方針としているが、大学に入学してから初めての飲み会で、僕にこれを教えてくれたのは他ならぬFだった。酔った奴に何を渡せばいいのかも知らなかった、そう遠くない過去を思うと、なんだか今の状況が可笑しく、僕は少し愉快になって、そのことを語り出した。しかし、酒で弱っていたせいか分からない、Fの反応は薄かった。Fにとっては、さほど印象に残っていなかったのだろうか。寂しさを覚えないわけじゃない、が、まあ、それも、無理はないことだ。あの時代、幾度となく繰り広げられた宴の一席、一席を、僕だって、その全てを覚えているわけじゃない。それどころか、ほとんど覚えていない、といった方がきっと正しいのだ。悲しいことに。

長い夜道を、僕らは歩き出した。

途中に自販機やコンビニで、失われた水を補給しながら。ぽつり、ぽつりと、夜の底に言葉をこぼしながら。

「ワイン飲むと吐いちゃう」

Fは、さっきからもう何度目かのフレーズを口にした。繰り返していることは分かるが、回数を数えるほどの集中力はなかった。それくらいには、僕も酔っていた。突然、ラヴェルのボレロが頭の中で鳴りだした。

「大丈夫か。無理、するなよ」

ああ、という声は言い終わらぬうちに低い呻きに変わり、次の瞬間、Fは身体を折り、側溝に吐いた。

吐いても、Fはそれについて短くコメントするだけで、冷静さを保ち続けていた。やっぱり、Fはすごい。吐いたら無関係であってもとりあえず近くにいる人に謝る僕の対応とは、全然違う。

心地よい酔いと、疲労感。肌をやさしく撫ぜる風。それらが生み出す穏やかな沈黙に、足音だけがこつ、こつ、と響き渡る。僕は、今日の居酒屋での会話を思い出していた。話題は目まぐるしく変わり、飽きることがなかった。仕事はもちろん、Fの驚異的な行動力は生活の隅々にまで行き届き、話のネタに困ることがない。こんなことがあった、の数が尋常じゃないのだ。そして、とにかく、話が上手い。掴みやオチといったフックがちゃんとあって、話に引き込まれる。それに、経験だけじゃない。知識の量も半端でなく、こちらがどんな話題を振っても、しっかり受け止めて、展開させて返してくる。Fとの会話に、僕は大いに笑い、そしてそのあと、たとえばFがトイレに立った少しの間、胸の奥に懐かしい痛みを感じていた。大学時代も、今も変わらない。僕は、Fの才能に憧れていた。

家にたどり着いた頃の記憶は、途切れている。

翌朝、僕とFは家から徒歩二分のファミレスで、遅めの朝食をとった。Fはまだワインが尾をひいているようで、さっぱりした「梅おろしうどんセット」を。僕は「うなぎ丼」を頼んだ。この場所では、もはや六百円前後のセットメニューしか頼まなくなっていた僕だが、このときはどういうわけか、素直に、食べたいものを選んだ。

昨日、電車で「降りる」と言ったFに既視感があったのは、その半年ほど前に、僕が高校時代の友人、Tに対して言った、あの時の状況と同じだったからだ。時間帯も、駅近くのセブンイレブンで水を買ったことも、そのあと岩倉から歩いた道程も。風の微温さえ変わらない中で、人物と、配置と、季節だけが、神様のいたずらみたいにシャッフルされていた。あの日、僕らは名古屋で飲んで再会を喜び、僕は飲み過ぎた。岩倉で降りて、僕の家まで二人で歩いたのだった。

翌日、Tと行ったのはこのファミレスではなく、家から徒歩五分ほどのレストランだった。Tはピッツァを注文し、なぜかと訊くと、それはポテトが付いてくるからだと言った。もう八年くらいになる付き合いだが、Tがこれほどポテト好きだということを、僕はこのとき、はじめて知った。

ゆっくりと食事を終えた僕らは、駅へ向かって歩き出した。再び沈黙を携えながら、今度は昼の町を。駅に着くまでの短い間、何歩か行くごとに、暑い、暑い、と繰り返しこぼした。

幾日かが過ぎた。

Fと過ごした日も、Tと過ごした日も、それらが等しく過去になる程度の、幾日かが。

ある眠れない夜、僕は何も持たずに外へ出た。

一人で散歩をした。深い夜、辺りは暗く静まりかえって、ちょっと心細くなった僕は、光を探そうとして、頭が自然と、上を向いた。

思わず声を失うほど、うつくしい眺めだった。

ふりさけみれば 遥かなるーー

そんなフレーズが、花弁の舞うような速度で、僕の掌のなかへ落ちてきた。

しばらく呆然としてから、僕はFのことを思い出した。Fと歩いた夜道も、こんな星屑の絨毯の下に伸びていたのだろうか。あの長い夜道では、なぜか一度も、頭上を仰ぐことがなかった。

それから、大学時代の、放課後に、仲間と校舎の屋上に集まって過ごした時間が、思い出された。Fとのあの夜、居酒屋で色々なことを語り合ったが、星については、なぜか何も語らなかった。

僕は空高く散在する星々に、今、かつてない親しみを覚えていた。数年来の友と、異郷の地で再会したときのように。

再び道を歩き出すと、Tのことを思い出した。あの夜、Tと話したのは文学について。文学の、その暗さについてだった。ところで「文学が好きだ」と人に言うと、「なんか暗い」というイメージを持たれやすい。これはまあ、何とも言えないが、僕個人に関しては、当たっている気はする。

だが問題はそう、個人ではなく、文学そのものの持つ暗さなのだ。どういうことだろうか。

そうして、僕らは別れた。

このように書いてあるとき、

もう二度と会うことはなかった。

と書いてあるように感じてしまうのだ、なぜか。

これをTはあのとき、文学の暗さと呼んだ。文学はともかく基調が暗い。それが、内容にも少なからぬ影響を及ぼしている、と。確か、こんな話をしたのだったと思う。

あの時は、答えが出るとも思えず、考えるのを途中でやめてしまった。今、独り、星と語らいながら、民家と畑しかない道をあてなく彷徨い歩く僕の行く手に、空から白い、微細な欠片が降りて来た。雪だ。僕は壊れないように、そっと手を差し出して、それを受けとめた。

文学が暗いのは、星について語ろうとするからだ。

暗くなければ、星は見えない。

かつて僕は、思い出は星に似ている、という内容の文章を書いたことがある。それは大学の天文部の卒部祝いの記念冊子に、僕が寄せた文章だった。冊子は、どこにしまってあっただろうか。あそこには、それぞれ、新しい場所に旅立とうとする、かつての仲間たちが寄せた、言葉が載っている。僕は、地上からエネルギーを取って勢いよく出帆し、暗夜行路を風に乗って、天の原をゆく、青い船の姿を思い浮かべた。そう、確か、表紙の色は青だった。

僕は家に帰ったら、それを探しだして、読もうとするだろう。あの狭い部屋の、どこにしまってあるのか。もしかしたら、川崎の実家の僕の部屋で、埃を被っているのかもしれない。それでも、いつか僕は、どこかの部屋で、それを見つけ出すだろう。懐かしさと、新鮮さをもって、ページをひらくだろう。そして新しい目で、星と出会い直す。

全てが偶然のようでいて、それでいて、紛れもない必然だった。

このような人生の確信を、なんと言ったらいいだろう。

「運命」と呼ぶべきだろうか。

あるいは、僕なりに。

「星座」と。



Said no more counting dollars, we’ll be counting stars

「さあ、紙切れなんか数えるのはもうお終いだ。僕らは星を数えよう」

OneRepublic 『Counting Stars』

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