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「何気ないことに目を向けるということ」

雨音が耳の奥底をくすぐる夜、コーヒーをすすりながら原稿と向き合っている。今日も文字とお友達な日である。最近に始まったことではないが、ここ数ヶ月は、その頻度が増えたような気がしている。でも、それで良い。

ちょっと昔であれば、といっても数年前だが、眠たいまなこをこじ開けるためにタバコをふかし、夜道をふらふらと歩いていた。しかしどうにも健康に悪いことに気づいてやめた。それからというもの、おとなしくコーヒーだけを飲むようになった。

一人の夜が、人を強くする。一切を投げ打って目の前のことに没頭するこの瞬間。人の目に触れず、ひっそりと自分を中から練り上げるような時間。それが僕にとっての必要な時間でもある。

もちろんそれも大事ではあるのだが、最近は人と一緒にいる時間が増えた。ありがたいことであって、最近はそれが幸せの一つになっている。幸せって言葉、昔は嫌いだったのにね。


少し前の自分は、幸福とは縁もゆかりもない人間だと思っていた。この世界から目を背け、人と関わることをできるだけ避け、心の奥底にある穴蔵にできる限り逃げ込んでいた。

それは自己防衛に近かった。関わることが怖かったのだ。周囲に対してもどことなくびくびくして、人と話すこともままならず、自暴自棄の繰り返し。今でもそのしこりは残っており、完全に治ったわけではない。

幸せだなんて感覚はなく、単調に毎日はすぎていった。もはや不幸でいたかったのだ。不幸である自分が心地良いと思い込んでいた。だれにも気にかけられないまま、ひっそりと世界から消えていくのだと思っていた。

しかし、そんな自分を変えたいと思ったのもつい最近である。気にかけてくれる大切な人達ができたからかもしれない。死と向き合ったからかもしれない。

それからというもの、なんだか心が笑うことが増えた気がする。ふたをして消した感情が、すこしずつ戻ってきた。毎日食べるご飯、朝に浴びる陽、人と会うこと。何気ないことが幸せだと、そういう感覚を少しずつ取り戻している。

人間というものは、不幸のほうだけを並びたてて、幸福のほうは数えようとしないものなんだ。ちゃんと数えてみさえすれば、だれにだって幸福が授かっていることが、すぐわかるはずなのにね。

ドストエフスキー『地下室の手記』

ふと窓を開けると、雨音が消えていた。そういえば、今日の牡蠣チリソースおいしかったな。明日はどんな一日になるのだろう。

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