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愛してた君が幸せでいてくれるように


今日はここ数年ずっと応援していたわたしが好きなアイドルの男の子の誕生日。
毎年そっと、心の中でおめでとうと呟く。


この2年はコロナでイベントもなく、例年通り彼の姿を生で見れることもなかった。
同時にこの2年はわたし自身が、自分自身の恋愛で精神的に参っていて趣味としても、アイドルを追いかけることから離れてしまった。年齢的にもう、離れるべきだと思うからちょうど良かった。
何度もアイドルを追いかけること、そのためにお金を費やすことをやめようと思ったこともあった。でも、それがわたしの生きる意味になっていて、そこには名前のつけられない愛みたいなものが確かにあって、仕事のモチベーションでもあって、友達が増えたきっかけでもあって、たくさんの思い出が脳裏にあって、こんなふうに自然に離れられるなんて思ってもみなかった。


わたしと同い年の彼は、みんなが思うイケメンではないけれど、わたしはなにより人のことを馬鹿にしたりせずにいつもニコニコ優しい彼を見るだけで癒されていた。
毎年9月は恒例の舞台があって、彼の誕生日には舞台の中でお祝いをしていた。でも、平日休みをとることが難しかったわたしは一度も行く事ができなかった。
会社も色々なことが様変わりして、休みも取りやすくなり、土日出勤の代わりに平日に休みをもらうことも可能になり、今日はお休みだった。
今年だったら彼の誕生日を一緒の空間でお祝いできたのに、でも今のモチベーションならいかないだろうな、そんなことを考えながら一ヶ月半ぶりの美容院へと足を運んだ。



毎週末、新幹線を使って彼を見るために遠出したこと。
有楽町や銀座に通い詰めたこと。
いつも通っていたスタバでキャラメルマキアートを買っていたこと。
雨の日も待ち続けたこと。
真っ直ぐにあなたと目があったこと。
はっきりとわたしだけのために手を振ってくれたあの瞬間。
9月って夏なのか秋なのかをひたすら1人で待ち時間に考えたこと。
恵比寿や六本木で朝まで友達と飲み明かしたこと。


わたし、知っていたけど、分かっていたけど、男の人が怖い。
いじめられたあの頃を思い出すから、自分を性的な対象として見られることに対して心のなかでいつも異常に嫌気がさしていた。
だから、手の届かない彼を追いかけることは知らず知らず、わたしの心に比例していたんだね。


それでも、現実的にわたしのことを好きだと言って唱えてくれる人が現れて、なぜか気持ち悪くなくて、居心地が良くて、どうしても「好き」が本物に聞こえて。はじめて異性に全部預けて甘えてみたくなった。それは、許されないものだったけれど。



わたしとアイドルの彼との間にも、彼との間にも永遠はなかった。
だから、あの一瞬を永遠にしよう。
あんなに通じ合えた一瞬があったことが奇跡と称するべきものなのだとしたら、きっとそれが永遠。


アイドルの追っかけをやめるときは、やめようと決めた時ではなく自然にやめていた。自然と全く興味がなくなっていった。
そんなものだ。だから、永遠って一瞬なんだね。



愛していたから、好きだったから、それが画面越しの彼でも、許されない恋の彼でも、
幸せでいてくれるようにそっと遠くから祈ることしか、わたしにはできない。



でもね、本当は

誰かの一番になりたかった。
誰かの特別になりたかった。
そんな永遠が欲しかったよ。









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