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守れない約束がカレンダー汚してる

ルミネ2014秋広告のこの言葉を、何度も自分に打ち付けるように復唱している。自分の人生の舵は自分でとれ、そのためにそんなボロボロに傷ついた恋をしっかり忘れろ、と言葉の強さが光るコピーだなと思う。


有給休暇を利用してこんなご時世なので大っぴらに、大きな声では言えないけれど南の島に友達とゆっくりしに出掛けた。人が少ない地域を選んだから、市街地からは離れており、密とは程遠い場所で、ひたすらに青い海と青い空を眺めた。ボーナスを使って、高めの部屋を予約しラウンジも好きに使え、冷蔵庫の飲み物の飲み放題、プールも専用で予約制で、はたからみればきっと「独身貴族だからできるのよね」と言われるであろうステイをしていた。


サンセットは思わず「きれい…」と感嘆の声をもらすほど毎日綺麗で、星も月も見えた。星は肉眼で見えるだけで20個は光っていた。友達とベランダでお酒飲みながらずっと話した。彼女と旅行に来るのははじめてだったが同期である以前に学生時代からの友達であり、唯一わたしのこの恋愛についてリアルの友達に打ち明けた一人。それがちょうど去年のこの時期だった。終わりと決めて会いに行って、どうしようのなくなってなんとか会社に行って仕事をこなして、たまたま同時期に休暇をとっていてGoToキャンぺーンを使ってホテルステイをしようと近場のホテルに泊まりに行ったときにわたしが泣きながら話して、もう一年が過ぎた。彼女も二番目の恋をしていた経験があるから、「早く言ってほしかった。言えなくてしんどかったね。りんが選んだこと全てが正解。その時その時、一つずつ選んだことは自分が考えて考えて出した答えだから全部正解だよ。」と一緒に泣いてくれたことは今でも覚えている。


一年たって、彼女とこうやって綺麗な景色をみて綺麗だと言えている。婚活もはじめた。彼とのことも心の中でどうにか思い出にできている。婚活は辛い。この数か月で10人以上と会って交際に進んで断って、また会うところからやり直し。いつもいつもニコニコ正常前向きなわたしでいられるわけもなかった。何度も部屋で、どうしようのない想いをNoteに泣きながら吐き出したりして過ごしてきた。最近は虚しさが出てきて、「どうしてみんな普通に恋愛して好きな人と結婚できているのにわたしは出来ないんだろう。好きな人は結婚できない人で、忘れるために婚活をしてるって笑えちゃう」とそう思ってしまう部分も多かった。仕事も変化があり、一度すべてをリセットしたかったのもありこの旅行はわたしにとってとても意味あるものだった。


ほとんど出かけずにホテルで過ごした。朝食も持ってきてくれるからベランダで食べた。
プールは彼女だけ入った。わたしは水着を持ってない。泳ぐことは大好きだけれど、自分の体型にすごくコンプレックスを持っているから大人になってから肌をさらすことが無理になった。彼女はスタイル抜群で肌もきれいだから水着も似合っていたし、わたしはカメラマンに徹した。強烈なダイエットをしたこともあるけれど、それは体調を壊すことに直結していて、もともと下半身が太りやすいし大嫌いなのでショートパンツとやらすら持っていない。お金を払ってエステに通ったこともあるけれど、これはもうある程度生まれもったものでどうしようもないと気づいてやめてしまった。コンプレックスは無理にださなくて上手く隠しながら生きていく方法を身に着けて、わたしは「プールの塩素で肌荒れしちゃうのよね。」と言ってごまかすようになった。彼女とは幸い、個人の時間の過ごすことにも遠慮がいらないのでプールサイドでわたしはずっと本を読んでいた。唯川恵さんの本を読みなおしてた。「キスよりもせつなく」を久しぶりに読み直してグッときた。


最終日の夜に部屋で音楽を流しているときに、失恋ソングの話になって、彼女が「小柳ユキのあなたのキスを数えましょうの歌詞が好き」と言って、そこから失恋ソング探しになった。わたしのプレイリストには泣けるバラードと題して失恋ソングを束ねたものがあり、シャッフルした。その延長線上で過去の恋愛話になった。


彼女が二番目の恋愛をしていた学生時代、「次の誕生日がきたら離れよう、あと一か月たったら離れよう、次のデートが終わったら離れよう」と自分にずっと言い訳しながらある日突然、決めて電話で別れたという。その日は今までずっと彼の都合に合わせて動いてきた自分を脱ぎ捨てて、電話したい時間に電話をして「もう終わりにしましょう。本当の彼女を大事にして」とそう行って電話を切って電話帳、写真をすべて削除したという。


もちろん、いろんな場面で遭遇することはあったし、相手が彼女と歩いている横を通ることも会ったけど、絶対に動じずに目も合わせず耐えながらなんとなく記憶から薄めるようにしていったという。社会人になって数年後にたまたま、都会の大きな交差点で相手が変わらずあの頃の彼女と横断歩道を向こうから歩いてくるのが見えて、避けるか悩んだけど学生時代みたいに動じずに彼の横を通り過ぎた。その数分後に彼から連絡がきて、「あなたのそういうところが好きでした」とメッセージがあったらしい。


「その時、わたしたまたま、その頃の一番お気に入りだったセットアップの服を着て一番お気に入りのバックを持っていたことだけが救いだった。それだけがわたしにプライドだった。彼が「そういうところが好き」と言ってきたのも彼らしくてずるいなって思った。でも、わたしの恋愛の中で一番好きな人だったから後悔ないかな。人から見ればバカな恋愛だと思われても、わたしは良かった。」と彼女はそう言った。


わたしは彼女みたいにまだまだ強くないけれど、不思議と後悔はない。人生の中で心から好きだと思える人に出会える確率論はきっとかなり少なくて、それが実らなくても、あきらめる以外に方法がなくても、きっとわたしの身にはなったはず。彼女が彼と久しぶりにあったその交差点は、わたしが彼に「チューしたい」と言われた場所だった。


景色が綺麗で彼とは親友になろうと決めたから写真を送った。そのあとに笑えるように、わたしは数年後ここで生きているかも、と送ったら「一度の人生だからそれもありだね」と返信があった。あなたの人生だからね、と遠回しに言われたなあと思った。だって、そうよね、親友だから。でも親友ってなんだろう、よくわからない。そもそも異性の友達などほとんどいないのに既婚者の年上の人と親友になるってよくわからない。それでも、なんだかこの綺麗な景色を見てほしかった。


でも、彼女の話を聞いて、わたしも強くあろうと決めた。忘れることと思い出すこと、そのことにいつまでも傷つけられているのは自分の思考の癖だと思う。すべてを振り切って自分で自分を脱ぎ捨ててしまおう。傷つかずに生きていくことは避けられない。それは自分がだれかを傷つけるのを避けられないように。


人はいつも選択を迫られながら生きている。今の仕事をして、こうやって文章を書いて思考を整理することも、友達と旅行に行くこともたくさんある選択の積み重ねのいちばん先にあること。わたしはこれからなにを選択していくんだろう。考えれば考えるほどわからない。自分が何者なのかもわからない。考えることより、やり過ごすことだけを覚えてしまったんではないだろうかという気さえする。

時には自分が本当に欲しいものにワガママになってもいいと思う。わたしはそれを彼との甘い時間が流れていたときに自分が自分でダダをしっかりこねたと感じている。そういう時間が長い人生のうちではあってもいいと思う。


だけど、結局人生は生きている限り選択の連続。選んだ数だけなにかを捨てていかなければならない。両方を手にして、それにしがみついているうちはきっと前には進めない。それがなんとなくここにきて、旅行で彼女の強さを聞いて確信した。

今年ももう半分以上が経過しようとしている。一年前は毎日辛くて泣いていた。こんなに人のことを好きになった気持ちをどうやって忘れるのか、それを考えれば考えるだけ分からず涙になった。


一年は人を変える。気持ちも変えられる。傷はかさぶたのままでもいい。人は2つのことだけで(例えば仕事と恋愛)進んでいくとどちらかがダメになったときに沈んでしまうから3つ以上のものを並行して進めると良いらしい。たくさんの選択肢を持って、人生をすすめていこうと思う。もしかしたら、数年後に仕事をやめて海外にいるかもしれない、そんな人生もありだと思う。選んでいく強さは美しさにつながると思う、だから歩みを止めずに生きていこうと思う。





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