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見た目とか体裁とかどうでもいいって言って抱きしめてよ


いつからか、夜景のポートレートの画像を集めるようになった。
夜なら、自分を上手く隠せる気がする。夜の中に溢れる光には、なぜだか嘘がない気がしていた。どうしようも価値のない自分でさえ、夜の闇の中なら少しだけ顔をあげて生きていける、そんな気がしていた。

もう、わたしの気持ちなんて、きっとこの世界中探しても、誰にも一ミリのズレもなく真っ直ぐに伝わることも届くことも理解されることもないだろうと感じてから、誰かに共感を求めることをやめてしまった。「ねえねえ聞いて」と話すことも最近は諦めてしまった。でもね、やっぱりどこかには残しておきたかった。ねえねえ、聞いて。


可愛い女の子が、結婚している人が、お金もちが、ずるがしい子が勝者だってことを毎日毎日再確認しているような日々の繰り返しの中で希望はどこにあるんだろう。
この状況下で健康に生きて、紆余曲折ありながらも長年続けてきた仕事があって、それだけじゃどうしてダメだと烙印を押されるのだろう。もう、周りに推しはかられるのは散々なのに生きている限り、息をしている限り、どこまでもジャッジされながら生きていかなければならないのなら、いっそ殺してほしい、消えてしまいたい。


涙を流しながらこうやって文章を紡ぐ日だってあっていいでしょう、


今月は仕事でたくさんのことがあって、今日一日を切り取ってもいくつも出来事があった。こんなわたしの味方になって心を救ってくれる人がいることを知ったから、また明日もどうにか生きてみようと、そうやって一日一日を紡いでいる。


このわたしが生きている人生がSF映画ならいいのにな、と願う。それならきっと、それなりにスパイスの効いた面白い映画だと好評だろう。


どうしようもなくなった時には、大森靖子さんの死神をエンドレスリピートする。
全部全部、嘘ならいいのにな。こうやって生きていることもわたしを生きていることも全部夢みたいな嘘ならいいのに。


でもね、どうしたって生きていくしか選択肢がない。当然にたくさんのものを手放しながら失いながら、好きだと思った人と別れながら、本当に下手くそに生きているけれど、これからもどうにかわたしはわたしのメチャクチャな理屈で、ほんの少しでもマシになりたくて日々を続けていくだろうから、どこかでまたすれ違って笑ってせめて会釈くらいできたらいいな。二度と会えないまま消えてしまうことはやっぱり悲しいから、光る星に、彗星になれたらいいな。そんなふうに思う日があってもいいでしょう?


わたしの周りには調理しがいのなる悲しみがいくらでも転がっている。
戦え、と言ってくる。立ち上がれなくなるまで、どうにかこの悲しみをたくさんの調味料を使って戦え、と。でもね、わたし本当はそんなに強くないんだけどな。


いつだって選ばれなかったもの、傷つけられたもの、弱いもの、負けたもの、そんなものに共鳴しまう。だって、わたしはいつだって勝ったと思ったことは無い。いつだって、負けだ。負けて勝つという方法もあるけれど、わたしは多分ずっと負けている。


でも、嘘だとしても一度だけでも、好きだと思ってもらえたこと、愛していると思ってもらえたこと、それだけを心の中でいつまでも大切に生きていこうと思う。たとえ、縋り付いていると思われても構わない。


今はまだ映画の中盤くらいなのかな、あとどのくらいの時間を重ねていくのか途方に暮れそうだけれど、毎日何かに躓くような滑り止めだらけの日々だったとしても、生きていくことが正解で与えられた使命なんだろう。


おやすみなさい。





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