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大切にしてる物

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ちょっとしたことや日々感じたことなど。体験したことや、思ったことをまとめました。
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#スキしてみて

本当はずっとだらけて眠っていたい

昔は、こんなにも無理をしてがんばるような性格なんて持ち合わせていなかった。 できるなら勉強なんてしたくなかったし、学校なんて行きたくもなかったし、嫌いな人とは関わりたくもなかったし、ずっとだらけていたかったし。 努力なんてなにそれ……っておもったりしていて、がんばることなんて嫌いだった、はず。 それがいまでは、だらけることなんて嫌い。空きの時間はとてつもなく不安を感じて病みそうになる。お仕事がもう入ってこなかったら……って、息苦しくなる。がんばらない自分は嫌い。 この

消えそうなものがすきだった

わたしは、この時期がすき。 それはきれいな桜で街中が装飾されたよう、暖かい気持ちにさせてくれるから。生きたくない、いなくなりたいって想っていたあの日もいつもこの時期だったように思う。 昔はあまり植物には興味なんてなかった。花の名前はもちろんのこと、花言葉なんて調べたことなんてなかった。それが今では毎年、桜の開花時期を調べるくらいにはだいすきになっていて、未だにすきになれない自分の名前を桜を使いたいくらいすきになり、コンビニの桜スイーツの発売を待ち遠しく感じるくらいにまで桜

すきだった人を忘れたと思っていても、忘れるなんて無理なことだった

すきだった人と別れたあとって、基本は顔合わせたくなくなってしまう。同じ空気を吸いたくないって思うときもあるし、一生関わりたくないって思うときも、もちろんある。でもそれって別れ方によるもので、諸事情で別れざる終えなかった場合もあるから、別れた人は絶対こうだよ!!!ってのは言えないけれども。 よく言われている「男は別名保存」「女は上書き保存」も絶対的なものではなくて、多分こうですってことでしかない。性別なんて関係なく、その人それぞれどう残しているかによるとわたしはそう思う。

執着しているから、苛々してしまっている

恋愛ではなくても、どうしてもなにかに執着してしまうときってある。物だったり、人だったり。人に執着してしまったときは、どうしても離れることがむずかしくなる。自分ではそんな自覚がまったくないから。 あまり違いはないのかもしれないけれど、実はいままでわたしがしていたのは依存と思っていた。でも、依存先がなくなったからと言って生きれないわけではないから、きっとわたしの場合は執着だ。(昔は依存していたのかもしれない…) たとえば恋愛だと、言われたことに対して反対のことされたり、発言と

自分のことは、自分で大切にしてあげること。そして、めいいっぱい褒めてあげる。傷つけてくる人のことは、大事になんてしなくていい。やさしさなんて0対応でいい。無理して強くなんてならなくていいし、笑えなくなるまで強くならなくていいし、嫌いになるまで我慢しなくていい。

わたしたちだって生きている

普段からいろんな人と関わっていると、波長があって仲良くなれる人もいるけれど反対に合わなくて「無理!」ってなってしまう人ももちろんいる。合わないのは、仕方ない。みんな同じ価値観や性格ではないから。無理して気を遣って合わそうとしても、余計に拗れてしまうこともある。だからそういうときは無理しないでそっと離れる方が自分のため。安全。 でも厄介なのがお酒の席での話。 わたしは普段夜職をやっているけれども、本当いろんな人が多くて頭を抱えることが多い。お酒が入っているだけでまともに会話

傷ついてまで笑えるほどわたしたち強くはない

生きていると日々いろんなことがある。本当にいろいろなことがたくさん。たのしいことやかなしいこと。苦しいことやつらいこと。新たな出会いだったり、別れだったり。世の中いろんな人がいる。 そんな中で、心ないことをわざわざ言ってくる人だって存在している。 「なんでそれを伝えようと思ったの?」って疑問に感じることを言われては、わたしたちの反応を見てたのしんでいる人だっているわけで。そして素直に聞き入れないと「あなたのために言ってあげたのに!」って正義感を押し付けては決まって怒ってく

独りになるのはこわいからいつも誰かを求めていた

冬になると人肌が恋しくなるのは、人間みんな誰しも思ってしまうことなのかもしれない。さむいしからカイロ代わりに誰かに抱きしめられて温もりを感じたいのかもしれない。さむいのを理由に抱きしめてもらって安心したいだけなのかもしれない。でも結局は、思ったよりなにも考えていないのかもしれない。それは抱きしめてほしいと思っている本人にしか分かり得ないこと。 どうして人はさむくなると人肌が恋しくなってしまうのだろう。抱きしめてほしくなってしまうのだろう。誰かに会いたくなってしまうのだろう。

理由なんてわかっていたのかもしれない

8月末から10月のはじめまでなぜか仕事のたびに泣いていたくらいに、とてつもなくかなしかった。この世界でひとりぼっちにでもなってしまったみたいに。とてつもなくかなしくてつらくてたまらなかった。 我慢なんてできなかった。しようなんて思わなかったけれども。 「どうしたの?」なんて言われたりしたけれども、そんなのわかるはずがない。だってわたしが知りたかったことだったんだもの。自分が自分のことをいちばん理解しているなんて言うけれども、わたしがいちばん自分のことわかっていなかったのだ