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「一理ある」でワンクッション置くと世の中上手くいくかもしれない

「一理ある」とは魔法の言葉ではないか、と最近思う。
相手を全否定もしなければ全肯定もしない、究極の中立的な立場の言葉。
言語界のスイスとも言うべき素晴らしい言葉。

例えば、親に「将来安定だから公務員になれ」と言われたとする。
そこで直ぐに反発or肯定するのではなく、魔法の言葉「一理ある」を唱えて一旦様子見する。

「確かに将来安定した収入源を持つことは大事かも」
「でもそれは公務員じゃなければ出来ないことなのか?」
「そもそも公務員の仕事は自分のやりたい事なんだろうか」

といったように。
そこで出た結論が同じ「公務員にならない」だったとしても、そうやって一旦立ち止まって自問自答した末に出た「公務員にならない」と、最初から突っぱねて出た「公務員にならない」では雲泥の差がある。

多分、世の中には「絶対違う」も「絶対そう」も存在しない。
「多くの人には当てはまる、当てはまらない」とかそういったものなんだと思う。

だから誰かから何かを言われたり勧められたりしたら、まずは「一理ある」と唱えて、とりあえず取り皿に置いてみる。

そこからは貴方の自由。
よっぽどの事じゃない限り(ここではアレルギーと表現しておこうか)、食わず嫌いはしない方が人生の選択肢を広げるという意味でいいかもしれない。
食べてみたら意外と美味しいかもしれないし、美味しそうと思ったものがクソ不味いかもしれない。不味かったら二度と食べなければいいだけの話だ。
あ、言うまでもないですが、法に触れるようなことは勿論駄目ですよ。

とはいえ、世の中には本当にやべー事しか言わない奴も居るにはいるので、そこは見極めが必要になってくるのだが。

まあとにかく、自分の頭で一旦考えてみようという話。


梨女(@xxnashimexx)



ありがとうございます。 ちょっといいご飯を食べたいと思います。